人は寝ている時間に夢を見る。夢の時間は頭を整理する時間にもなっているから、自身の意図しない世界観で自分の世界を支配することも多くあるだろう。夢なんてその程度のものである。もしあなたに夢があるとするならばその夢は早くに消し去った方がいい。現実味を帯びている夢とは夢とは言わない。それは目標である。叶わないから夢であってそれを見続けるのは生きていく上では非常に邪魔な存在になる。中高生には夢をもって私たちの学校を目指してくださいなんていうこともあるが、夢のような学校に入れるわけがない。自分の行けるところにしか行けないのである。私は幸いBFからFランに入り今は公立大学にいるけど、正直言うとこれはかなりイレギュラーとして言えない。叶わないとは言わないがそれ相応の努力がいる。公立大学の大学院に入るには公立大学の試験のレベルを越えなければならないのでそれだけ頑張れるのであれば、正直学部から入学できたはずだ。私の問題はそもそも自分に見合っていない大学に入ったことに起因する。努力という言葉はあまり好きじゃないけれど、一般的にはそれなりに努力を重ねて大学でもいい成績を残す努力をした。もちろん留年なんてもってのほかだと思う。私は留年もしてないし浪人もしていない。基本はストレート入学で、ましてやAO入試があった時の話なので学力ではなくて自分の潜在的な力を顕在化させるのが試験の内容で”一芸入試”とでも言って置いたらいいだろうか。私は趣味の範囲は広かったので建築学科に入るときには西洋建築史を調べまくって当時としては珍しくA3のパワポを作って印刷して持って行った。もちろん大抵の人が地元の歴史についての資料を作っていったのでちょっとお門違いだった感は否めないけれど。学部生活には夢なんてなくて基本的には現実ばかりを見ていた。力学の授業では必ずSを取っていたし、設計の授業もSの常連だった。途中から建築の哲学書を書き始めてしまったのでそこで設計としては評価は低かったが今でもその建築哲学は役立っている。例えばあなたが大学院を考えているとするならば必ず国公立を選んだ方がいい。国公立というのはそもそもの母数が少ない。学生ならなんでもいいなんて言うのは嘘だ。どこの大学院を出たのかが後々ジャブのように効いてくる。かといって学部であんまり高いレベルの学校に入れなくても十分である。夢と思わずに努力をしたらいい。公立大学レベルなんてそれなりの大学に進めば苦労はするが進むことができる。問題はどこだかわからない大学に行くことで、名前が通ってない大学からだと公立の先生方は嫌がるのでその辺で夢は途絶えてしまう。きっと夢は夢になってしまうだろう。夢なんて見るものではない。徹底的に考えるのはできるのか、できないのか。それに尽きる気がする。私はできることをやれるようにやってきたにすぎないので、自分自身運がよかったとか思うことはたまにしかない。でも大切なのはどこに行っても人間である。地位ある人間が自身を過剰に評価して先方に伝えるので、教授とは仲良くなっておこう。これも地道な作業である。


夢をみるのは良くないけれど、現実になる夢があるのならば目標に変えてしまおう。


その程度のことである。

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