第46話 涙のワケ
「私の両親、離婚したって言ったでしょ。あれ、お母さんの浮気が原因なの」
「……っ」
その言葉に、皇成の身体は、ピタリと静止する。
話し出した姫奈は、泣きそうになりながらも必死に堪えていて、きつく唇を噛み締めながら、また話し始めた。
「……お母さん、私が幼稚園の時に、専業主婦をやめて、働き始めたの。そしたら、勤め先の男の人と不倫関係になったらしくて、それから、3年くらい、ずっと家族に隠れて浮気をしてたの」
「…………」
「家の中じゃ、本当に理想のお母さんだった。毎日、お父さんのお弁当を作って、休みの日は、一緒にお菓子を作ったり、お出かけしたりして、お兄ちゃんの勉強を見てあげたりもしてた……だから、全く気づかなくて……でも、ある日、選択肢をだされたの」
「選択肢?」
「うん。『姫奈は、お母さんが幸せなのと不幸なのどっちがいい?』って……私は、なんの迷いもなく『幸せなお母さんがいい』って答えた。だけど、その次の日……お母さんは、離婚届を持ってきた」
「……っ」
離婚届──その言葉を聞きながら、皇成は、朧気に、姫奈の母親のことを思いだした。
名前は、
料理が上手で、いつも明るくて、髪の色は姫奈とは違い、日本人特有の黒髪だったけど、その顔立ちは、姫奈とよく似ていて、とても綺麗なお母さんだった。
だけど、家族思いで、姫奈の父親とも、とても仲睦まじい夫婦だった、あの愛美さんが、まさか、浮気をしていたなんて……
「お父さん、ショックで暫く寝込んじゃって、お兄ちゃんも、それから女性不信気味になちゃった……私は、お母さんだけ、幸せでいて欲しいわけじゃなかったの。家族みんなで、幸せでいたかった。それなのに……私のせいで、全部壊れちゃった……っ」
「………」
姫奈の目には、今にも溢れそうなほどの涙が浮かんでいた。それでも、必死に泣かないように堪えているように見えた。
自分せいで、家族が壊れた。
しかも、幸せでいてほしいと願った、その母親の幸せが、自分たち家族ではなく、不倫相手を選ぶことだったと知った時の姫奈を思えば、なんともやるせない気持ちになった。
「お母さんが出ていく時、私聞いたの……『なんで浮気なんてしたの! お父さんのこと嫌いになっちゃったの!?』って……そしたら、お母さん、なんて答えたと思う?」
「……」
「お父さんのことを嫌いになった訳じゃないって、でも、もっと好きな人が出来たって……私は、結婚する相手を間違えた。だから、姫奈もいつか結婚するときは、慎重に選びなさい。私のように、
「…………」
「私たち、お母さんにとっては、間違いで出来た家族みたい……そう言われたのが分かって、すごくショックで……それからは、何かを選ぶことに恐怖を感じるようになったの。私の選択一つで、世界が変わってしまうのが怖くて、だから、矢印様が見えるようになった時は、すごく安心した。もう、間違えなくてすむと思ったから……っ」
瞬間、グラスの中の氷が、カランと音をたてた。
テーブルを挟み、向かい合わせに座る姫奈は、少しだけ安心したような表情をうかべていて、だけど、その顔は、決して晴れやかなものではなくて
「……皇成君が、告白してくれた時、凄く嬉しかった」
「え?」
「だって、ずっと好きだったの。しかも、矢印様が、幸せになれるって認めてくれた人……だから、絶対に逃がしたくないって思っちゃった」
「…………」
「人の心って、いつ変わっちゃうか分からないから、だから、皇成くんの気持ちが変わらないうちに、できるだけ早く結婚して、つなぎ止めておきたいと思った」
「………」
その言葉を聞いた瞬間、あれだけ結婚に拘っていた理由が、やっとわかった気がした。
幼い日に、選択を間違えたことと、母親の非情な言葉が、今もまだ、姫奈の心に突き刺さってるんだと思った。
選択をすることを恐れる姫奈にとって、矢印様の采配は、絶対だ。
だから、あんなに頑なに、失敗したくないと言っていたのだろう。
そして、母親の不倫が原因で、家族が壊れてしまったからこそ『幸せになれると選択された男』をつなぎ止めたいと思うのは、姫奈にとっては、仕方のないことだったのかもしれない。
その相手が、自分の好きな人なら、なおのこと……
「最低でしょ、私……っ」
すると、姫奈は、また静かに話し始めた。目を赤くし、俯きながら、まるで、弱々しい子供みたいに
「さっき、皇成くんに言われて気づいたの……あの時、皇成君は『ちゃんと家族を守れるようになってから結婚したい』って言ってくれて……皇成くんが、そこまで真剣に、私のことを考えてくれてるってわかって、すごく嬉しかった。それなのに…… 私は、自分のことしか考えてなかったの。ただ、縛り付けたいがために、皇成くんに、結婚してって言ってた。全部、全部、自分のため……っ、ごめん……ごめんなさい……っ」
「…………」
自分の顔を覆い隠し、限界とばかりに、涙を流しはじめた姫奈をみて、皇成は、ずっと握りしめていたメニュー票をゆっくりと閉じた。
自分のことしか考えていない──
そう言って、まるで責めるように、涙を流す姿は、あまりにも痛々しかった。
きっと姫奈は、結婚を断られて泣いたのではなく、母親のように、自分の幸せしか考えられなくなっていることに気づいて、ずっと泣きながら、謝っていたのだと思った。
「ごめんね……これじゃ、あの人と同じ……最低だよね、こんな子……っ」
必死に涙を拭いながら、姫奈が小さく呟く。
すると、その瞬間、妙に視線を感じて、ふと店内に目を向ければ、客や店員たちが、自分たちをみながら、ヒソヒソと話をしているのに気づいた。
なにかの、修羅場だとでもおもったのか?
「あの子、なんで泣いてるの?」とか
「別れ話?」とか
妙な憶測が、飛び交ってる。
まぁ、学園一の高嶺の花と言われるほどの美少女が、冴えない底辺男子の前で泣いているのだ。気にならないといえば、嘘になる。
(……最低か)
俯く姫奈は、まるでフラれるのを覚悟しているような表情で、ずっと下を向いていた。
こんな時、なんと答えるのがいいのだろう。正解を導き出すなら、きっと、矢印さまに聞くのが一番だった。
でも、今は、しっかり自分の言葉で伝えようと思った。
誰かに、決められた言葉じゃなく──
「そうだな、最低だよ。自分のことしか考えられないなんて」
「……ッ」
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