第29話 彼女の色


 夕方の空は、いつも切ない色をしていた。


 あたたかなオレンジ色が赤に変わり、次第に紫へ変化する、そのコントラストは、まるで世界の終わりとか、終焉とか、そんな瞬間を模倣しているようにも見えて、まさに黄昏と哀愁の色だと思っていた。


 だけど、いつもは切なく感じる、そんな黄昏時の空が、今日は不思議と切なくなかった。


 空の色は、次第に闇に近づいていくのに、寂しくも、切なくもないのは


 きっと隣に――彼女がいてくれるから。


 そう、ずっと片思いしていた、幼馴染の女の子が……



***



「何か、飲む?」


 公園につくと、皇成は、まず自販機を探した。


 オレンジから赤紫に変わり始めた空の下。


 吹く風は思いのほか冷たくて、少しでも身体を温めようと、飲み物を求めて、公園の中を移動する。


 姫奈は、素直に皇成の後に続いて、皇成の真横というよりは、斜め後ろくらいをついてきた。


 風が吹くたびに、姫奈の髪が揺れる。そして、その姫奈の髪の色は、相変わらず綺麗な色をしていた。


 ロシア人の血が混じっている姫奈の髪は、金髪と白髪の中間くらいの色で、まさにミルクたっぷりなミルクティーの色に、よく似ていた。


 だけど、そのせいで、子供の頃はよくいじめられていた。いじめられていたというよりは、勘違いされて、避けられていた。

 

 彼女の名前は――碓氷うすい 姫奈ひな


 字もイントネーションも、思いっきり日本人の名前だから、よく知らない子供たちからは『髪を染めている』と言われていたから。


 そして、そのせいか、姫奈は、よく『自分の、この髪が嫌いだ』と言っていた。『皇成くんみたいに、黒い色だったら、誤解されることもなかったのに』と……


 だけど、皇成は、そんな姫奈の髪の色が、大好きだった。みんなは、何もわかってない。

 

 姫奈の髪は、日の光にあたると、それはそれは美しい色を発するのだ。まるで、天使でも降りてきたかのように、神々しくて、柔らかな色を発する。


 だからか『大人になったら、黒く染めたい』そういった姫奈の言葉を、強く否定したことがあった。


『俺は、その色が好きだから、絶対に染めないで!』


 今となっては、酷いワガママだ。

 自分の好みを、勝手に姫奈に押し付けた。


 だけど、そんな自分が好きだといった髪色のまま、姫奈が隣にいるてくれることに、なんだかとても感慨深いものを感じた。


「髪……いつか、染めるの?」


 ふと気になって問いかければ、姫奈は小首を傾げながら、皇成を見上げた。


「なに、急に?」

「急にって、言うか……昔、染めたいって言ってただから。うちの高校って、頭髪は目立つ色じゃなければ自由だし、染める気になれば、染められるんじゃないかなって」

「……うーん。確かに、昔は染めたいって思ってたかな。先生にも、目立つのが嫌なら、いつでも黒染めしておいでって言われてるし」

「え、そうなのか?」

「うん。やっぱり目立つしね、この色。特に日本だと、みんな真っ黒だし……でもね。もう染める気はないの」

「……なんで?」

「なんでって、皇成君が言ったんでしょ。『染めないで』って」

「……!」


 懐かしい記憶をほじくり返されて、思わず頬を赤くなった。

 

 どうやら、覚えていたらしい。

 あんな一方的な、お願いを—―


「別に、あんなワガママ聞かなくても……黒でもピンクでも、好きな色にすればいいだろ」

「ふふ、さすがにピンクは校則違反じゃないかな~。それに、無理して染めてないわけじゃないよ。昔は、この色が嫌いだったけど、今は好きだから」

「好き?」

「うん。皇成君が、って言ってくれたから、ずっと、このままでいようかなって」


 そう言って、姫奈が頬を染めれば、皇成は小さく息を飲んだ。


 それは、まるで「好きな人の言葉だから」

 そう言っているようにも聞こえて──


「そ、そっか……」


 思わず視線を逸らす。

 すると、その瞬間、冷たい風が頬をかすめた。


 だが、本来なら冷えるところ、体はやたらと熱くて、むしろ、その冷たい風が、ちょうどいいくらいにも感じた。


「ねぇ、今も好き?」

「え?」

「私の髪の色……今も好き?」


 さらりと、長い髪を指先でもてあそびながら、姫奈が問いかけた。細く白い指に、髪が絡まる姿が、やたらと艶めかしい。


 だけど、その姫奈の言葉に、皇成は言葉を噤んだ。


 幼い頃みたいに、ストレートに言えれば良かった。だけど、そのを言うのが、なんだか、めちゃくちゃ恥ずかしい。


 だけど――


「す……好き、だよ。……とっても、綺麗だと……思う」


 カタコトになりながらも、必死に紡いだ。


 昼間、クラスメイトの前で、公開プロポーズなんて大胆なことをしておきながら、あのプロポーズよりも、こっちの方が、何倍も恥ずかしかった。


 だけど、それでも言ったのは、目の前の好きな子が、をしていたから――


「皇成君……顔、真っ赤」

「っ……からかうなよ」

「ふふ、だって。……ねぇ、さわって」

「え?」

「私に髪、皇成君に……さわってほしい」

「……っ」


 その言葉には、さすがに目を見開き、立ち尽くす。更にグレードの上がったお願いに、心臓が止まる思いがした。


 ──髪にさわる。

 

 ただ、それだけのことなのに、どうして、こんなにもドキドキするんだろう。


「さ、さわって、どうすんの?」

「どうって……別に、どうもしないけど」


 聞き返せば、姫奈もまた頬を赤くした。恥じらい、少しだけ視線を落とした彼女は、とても可愛らしかった。


 だけど、女の子の髪って、そんなに簡単に触れていいものじゃない気がした。


 何でかって言われたら、よくわからないけど、なんとなく『特別』なもののような気がしたから。


「さ、さわるのは……」

「嫌なら、無理にとは言わないけど」

「べ、べつに嫌ってわけじゃ……!」

「じゃぁ、触ってくれるの?」

「う……っ」


 ここまで言われて「触らない」なんて返事ができるだろうか?


(いいんだろうか……本当に……?)


 軽く躊躇ちゅうちょするも、ゆっくりと手を伸ばすと、皇成は、躊躇いがちに、姫奈の髪にふれた。


 あまり力を込めず、まるで子供の頭を撫でるみたいに、耳の上あたりをゆっくりと撫でてやる。


 すると、姫奈はとても嬉しそうな顔をして、髪を撫でていた皇成の手に、自分の手を重ね合わせた。


「ねぇ、皇成君」

「な……なんだ」

「私の髪にふれられるのは、だからね?」


 そう言って、綺麗に笑った姫奈を見て、皇成は固まった。


 心臓は、少しづつ鼓動を早め、触れた手は、次第に熱くなる。


 ミルクティー色の髪をした彼女は、もしかしたら、ミルクティー以上に、甘い女の子なのかもしれない。


 だけど、静かな公園で過ごす二人っきりの時間は、まだ始まったばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る