第30話 橘くんとラブレター


 その後、コーヒーとミルクティを買ったあと、ベンチを探して、皇成こうせい姫奈ひなは二人並んで腰掛けた。


 夕方の空は、次第に赤紫に変わり始め、冬が間近に迫る澄んだ空気の中、二人はしばらく話をしていた。


 お互いに、すれ違っていた数年間。


 取り戻せない、その時間を思うと、なんだかとても切なくなったが、姫奈は、全て話してくれた。


 ずっと自分のことを好きでいてくれたや、橘くんが好きだと友達に誤解されたこと。そして、それが分かって、皇成の心は、今以上に満たされていた。


(俺のこと、ずっと見てたって、本当だったんだな)

 

 思わず、身につまされた。


 しかも、自分が地味で目立たない底辺……というか、だったせいで、姫奈は友達に、と勘違いされたらしい。


 だが、無理もない。たちばな君と皇成が、二人並んでたら、確実に橘くんだろう。


 カッコよくて、優しくて、しかも中身もイケメン! 皇成なんて、秒で敗北だ。


 だが、まさか、そのせいで、姫奈にまで迷惑をかけていたなんて、さすがの皇成も思わず


「なんか、ごめんな、俺が地味なせいで……」 

「え、あやまらないで……! それに、あれは、私が悪いの。本当は、誤解された時にはっきり『好きな人は皇成くんだ』っていわなきゃいけなかったのに、皇成君に嫌われてると思って、言えなかったから」

「え?」

「しかも、私ね。そのせいで、橘くんにも酷いことしちゃったの」

「橘くんにも?」

「うん。橘くん、小学5年生の時に転校する事になったでしょ。その時にね、私の友達が、私の名前で勝手にラブレターを書いて橘くんに出しちゃったの」

「え!?」


 すると姫奈は、ミルクティーの缶で手を温めながら、申し訳なさそうに話し始めた。


「その手紙にはね。『好きです』って、はっきり書いたらしくて『会って、しっかり告白したいから、公園で待ってます』って……転校したら会えなくなるし、みんなは、私の背中を押したつもりなんだろうけど、私は……っ」



❈❈❈


 その日のことは、今でもよく覚えている。


 小学5年生に上がる直前の春のこと。桜が咲いた公園で、姫奈は、顔を真っ青にして橘くんを待っていた。


(ど、どうしよう……っ)


 あのラブレターは間違いだ――そう言ったら、きっと橘くんを傷つけると思った。


 だからといって、嘘で告白なんてしたくない。


碓氷うすいさん……!』


 すると、迷いと不安が渦巻く中、ついに橘くんがやってきた。


 引っ越し当日の朝で、忙しいなか、わざわざ来てくれて橘くんの手には、友達が書いた姫奈名義のラブレターが握られていた。


『あ、橘君……っ』


 それを見て、姫奈は青ざめたまま話しかける。

 

 たった一つ選択を間違えただけで、事態はどんどん悪化していく。


 今、自分は橘君を傷つけようとしていて、姫奈は、それが苦しくて仕方なかった。


『あの……その手紙……っ』


 だが、結局そのまま姫奈は何も話せなくなって、対面したまま、無言のまま時が過ぎ去ると、しびれを切らしたのか、橘の方から話しかけてきた。

 

『あのさ。碓氷さん、イジメられてるとかじゃ……ないよな?』


 真剣に、そう問いた橘に、姫奈は目を見開いた。


『え、イジメって……』

『だって、碓氷さんが好きなのはだろ? だから、こんな手紙出すなんておかしいなって思って。イジメられて、無理矢理、好きでもない奴に告白させられてるとか、そんなんじゃないよな?』


 橘くんは、姫奈が皇成のことを好きだと気づいていたらしく、それ故に、イジメられているのかと心配してくれたようだった。



 ❈❈❈



「橘くんは、すごく優しい人よ。カッコいいし、人気があるのも頷けるって言うか……その後は、素直に誤解されてることを話して、橘君、怒りもせず、私のこと許してくれたの」

「そ……そうだったのか」


 姫奈の話を聞いて、皇成は昼間の橘の話と掛け合わせる。


 橘は、姫奈が皇成を好きだと気づいていて、また、皇成が姫奈を好きなのも気づいていた。それなのに、いきなり、自分の友達の好きな女の子から、ラブレターをもらうわけだ。

 

 当時の橘くんを思うと、かなりの修羅場だったに違いない。しかも、その後数年たって、今度は、皇成から姫奈を紹介されそうになるなんて、そりゃ怒りたくもなるだろう。


(ゴメン、橘くん……っ)


 あとで、しっかり謝っておこう!

 そんなことを考えていると、姫奈がまたぽつりぽつりと話し始めた。


「私ね、昔から運が悪いの。判断力がないって言うか、やることなすこと、いつも悪い方に向かっちゃうというか……だから、皇成君みたいに矢印が見えるようになれたらいいなって、ずっと思ってた」

「え? 矢印が……?」

「うん、だから、いつも願ってた。『どうか、私にも矢印が見えるようになりますように』って……でも、願い続けてたら、本当に叶っちゃったの。軽く死にかけたけど」

「いや、笑い事じゃないからな」


 くすくすと笑う姫奈に、皇成は軽く突っ込んだ。


 小六の時、姫奈は離島に行った際、島のほこらにお願いをしたらしい。すると、その後、階段から落ち、死にかけたらしいが、目が覚めたら、矢印が視えるようになっていたと。


 もちろん、その祠と何か関係があるのか、はたまた願っていたことが、その瞬間、たまたま叶ったのかは分からないが、姫奈は矢印様が見えるようになって、とても喜んだそうだ。


 これでもう、選択を間違えなくてすむと――


「それからはね。私の人生、大きく変わったの。矢印様に聞いて、自分磨きを頑張ったりもしたし」

「自分磨き?」

「うん。メイクの仕方とか、自分にあったスタイル維持の方法とか、髪の長さとか、どんな風に振る舞うのがいいかとか、色々聞いて、魅力的な女の子なるために、色々頑張ったのよ。素敵な女の子になれたら、皇成君も、私のことを好きになってくれるかなって思って」

「え、俺のため……?」

「うん。皇成くんに振り向いてもらうために、すごく頑張ったのよ。でも、頑張ってたら、いつの間にか『高嶺の花』とまで言われるようになっちゃった」


 頬を染めていった姫奈の言葉に、胸が酷くざわめいた。


(じゃぁ……俺のために、ここまで綺麗になったってことか?)


 姫奈は、中学生くらいの時から見違えるように綺麗になっていった。皆が、高嶺の花というほどの、学校一の美少女。


 だが、姫奈が綺麗になればなるほど、皇成にとっては、手の届かない存在になった。


 でも、その姫奈が、ここまで魅力的に成長したのが、全部自分に振り向いて欲しかったからだなんて……


(ッ……やべぇ、めちゃくちゃ嬉しい)


 一途に自分だけを思い、自分のためだけにここまで綺麗になって、そして、今こうして自分の隣にいてくれる。


 それが、この上ないくらい、幸せなことだと思った。だが……


「でも、皇成君、全く振り向いてくれないから、高校生くらいになったら、だんだん諦めなきゃいけないかなって思うようになったの」


「え……?」


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