第87話 幕切れは突然に
ふたりの声が重なる。アレクの声には恐怖が滲み、ロナルドの声は怒気をはらむ。
ロナルドは信じられない思いでベインを見上げる。血走った目に獣のようなうなり声。歯を立てて食い込んだ唇は血が滲み、明らかに自分に殺意を向けるベイン。
(なぜここに! ベローズ王国警備隊に連行されたはずだ。なぜ。なぜ!)
だが悠長にそんなことを思案している暇はなかった。ベインは狂気に歪んだ顔で、再び力任せにロナルドの顔に向けて刃物を振り下ろした。
それを首をひねってぎりぎりのところでかわし、身をよじってなんとかベインの股ぐらから抜け出したロナルドは慎重にベインと間合いを取りながら、混乱するあたまをなんとか整理する。
どうやってベローズ王国警備隊の包囲網から抜け出したのか分からないが、ベインがここにいるのは事実だ。それならばやるべきことはひとつしかない。
警棒を一振りして顔つきを鋭いものに変えたロナルドが地を蹴り、憎悪の上に歓喜を上乗せしたベインはとち狂った笑い声をあげながらそれを迎え撃った。
それからの攻防戦は激しいものだった。ロナルドはベインの攻撃を受け止めつつ何度も攻撃に転じたが、ベインは信じられないような身のこなしでその全てをかわしてみせた。
互いが一瞬の隙を見逃さずに攻撃を繰り出し、寸前で受け止める。そのふたりの攻防は素人目には速すぎて見て取ることができず、けたたましい剣戟の音が立て続けに金属音を打ち鳴らして届くだけだった。
だが戦いのさなか、そのことに違和感を覚えたのはロナルドである。
ベインはモーリッシュの護衛を務めていた人間だ。あのずる賢いモーリッシュが雇ったからには元々腕は立つのだろうが。だがこれほど腕が立つのなら、先代王の遺跡で邂逅した際に逃亡という選択肢を取ったのはおかしい。
あのときベインが逃げたのは捕らえられることを恐れたからだ。ロナルドがたったひとりで追いかけていたのにも関わらず、戦う選択肢を捨てて逃げた。
それなのにいまは敵意をむきだしにして襲いかかってくる。その姿はまるで獰猛な野獣そのもの。あのときはまだ人間らしさがあったように思えたが。
(まるで別人格だね。こんなのマーリナスでも勝てるかわからないぞ)
ベインの鋭い突きは制服の脇腹部分を切り裂いた。
その様子をアレクは地面にへたり込み茫然とみつめる。
記憶がない。そのことを思いだしたのだ。モーリッシュの隠れ家に連れ去られた二日目の夜から記憶が途切れ、ロナルド宅のベッドで目が覚めたときには全てが終わっていた。
ロナルドの説明によれば、モーリッシュの証言でアレクを連れ去り金庫に閉じ込めたのはベインだと判明している。
けれどなぜそんな行動を取ったのか、理由はわからないと話したらしい。当のベインは当時何を問いかけても口を開こうとせず、大人しく縄についたといっていたけど……
あの瞳。あれは間違いなくバレリアの呪いだ。
熱に浮かされて記憶がないけれど、なにかの拍子でベインは瞳をみてしまったんじゃないだろうか。
そう考えればベインが取った不可解な行動にも合点がいく気がする。あの呪いはひとをおかしくする。
もしかしたらベインはケルトのように自分を追いかけてここに戻ってきたのかもしれない。
血の気の引いたアレクの前でふたりの激しい攻防は未だ決着がつかず、ロナルドの額には大粒の汗が浮かび上がりついに疲労の色がみえ始めた。
対してベインは相変わらずキレのある動きと速い攻撃を繰り出しており、疲れなどないようにみえる。
(このままではまずいね)
自分の攻撃が防戦に傾き始めていることはロナルドにも自覚があった。酒場での乱闘で体力を削ってしまったのが響いている。
ここまでベインの腕が立つとは思いもよらなかったが、このままいけばじり貧だ。体力は削られて一瞬のミスが致命傷になる。
ロナルドの背中に嫌な汗が伝った。
「ロナルド副隊長っ! ご無事ですかっ!?」
突如差しこまれたその声がロナルドを救った。
やっと酒場の制圧が完了したらしい。手の空いた隊員たちがロナルドをみつけ、こちらに走ってくるのがみえる。
安堵と共に大きく息をついて、いったんベインから距離を取ったロナルドはやれやれと笑ってみせた。
「まだ続けるかい? さすがのキミも数には勝てないんじゃないかな」
ベインの動きがピタリと止まる。ロナルドが指し示す先に目を向ければ、こちらに駆けてくる大勢の警備隊の姿。
ゆっくりと刃物を下ろしてその様子を眺めるベインの顔は、突然スイッチが切れたように無表情なもへと変わった。
その様子にロナルドは小さく眉を寄せる。なにを考えているのか読み取れなかったからだ。
だがすぐに答えはでた。無表情となったベインはなにごともなかったようにナイフをしまうと、あれだけ殺意を抱いていたロナルドやアレクにさえも
「ははっ……どうなっているのさ」
あまりにもあっけない幕切れに思わず乾いた笑いがロナルドの口からもれた。
去り際になにか、ひとことくらいあってもいいだろう。
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