第72話 ケルトのライバル

それから半日が過ぎたころ、ロナルド宅の呼び鈴が鳴った。


「はいはい。誰だよ、まったく。こっちは肉の下ごしらえで忙しいっていうのに」


 ぶつぶつと文句をいいながら手を拭いエプロン姿のままケルトが玄関のドアを開くと、そこには栗色の髪を首元でひとつにまとめ赤いリボンで飾りつけた見知らぬ女性が立っていた。


「どちら様ですか。あいつ……ロナルドは不在ですが」


 あたまにつけた三角巾を取りながら面倒くさそうに応対しに現れた少年に、彼女はぱちくりと瞬きをする。


 おそらく以前ここに勤めていた使用人の物だろうが、レースのあしらわれた可愛らしいエプロンを身につけ機嫌が悪そうにこちらを見る少年の姿は、どこか不釣り合いでいて微笑ましく、母性をくすぐるものがある。


 思わずくすっとした笑みがこぼれそうになったが代わりに品の良い微笑みを浮かべ、彼女は口を開いた。


「初めまして。わたくしはマーリナス様の使用人でメリザと申します。以後、お見知りおき下さい」


 丁寧にあたまを下げたメリザにケルトは苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべる。


 アレク様が世話になっていたというあの警備隊長か。その使用人がいったいなんの用があるっていうんだ。


 昨晩アレクと口論したばかりで虫の居所が悪かったケルトは、さらに顔をしかめる。


「ケルトです。それでご用件は」


「実はマーリナス様がお目覚めになられたと連絡が入ったので、いまから着替えなどお届けに向かうところだったのですが、もしもアレク様から言伝ことづてでもあればうけたまわろうと思ったのです」


「そのためにわざわざ?」


「はい。わたくしはアレク様との接近を禁じられていましたしたが、あの方がいらっしゃってからというもの、お二人が仲睦まじく生活しておられるのを遠くから見ておりました。離ればなれになり、きっとアレク様も心配しておられるのではないかと思ったのです。同行して頂くわけにはいきませんが、言伝くらいならばわたくしからお伝えすることができますから」


 しかめっ面で問いかけたケルトにメリザは気を悪くすることもなく柔和な笑顔を浮かべ、そう話した。


 仲睦まじく、などといわれてケルトはこれ以上ないほど不機嫌だ。帰れと言い放ってやりたかったが、でも待てよと思い留まる。いい案を思いついた。


 ケルトはいままでの不機嫌さを打ち消して、少年らしく可愛らしい笑顔を貼りつける。


「アレク様はご不在です。ですがマーリナス様には大変よくして頂いたそうで、わたしもご容体が気がかりだったのです。ずっとお見舞いに伺わなければと思っていましたし、もしよろしければ、わたしも同行させて頂けませんか。そうすればアレク様の現状なども詳しくお伝えすることができますし」


 言葉遣いを従者であったころのものに改め、ケルトが感じのよい笑顔を向けるとメリザは少しだけ驚いた顔をした後、こくりとうなずいた。


「では一緒に参りましょう。アレク様のお話をして頂ければ、マーリナス様もきっと喜ばれます」


 そうしてケルトはメリザ同伴のもと、よくやく念願の警備隊駐屯所へと足を踏み入れることに成功したのである。



「色々と入り用な物が多くてな、助かったよメリザ」


「他にも入り用な物があれば気兼ねなくお申し付け下さい。それがわたくしの務めですから」


 トランクを開き、替えの衣類などを丁寧に取り出しながらエリザは微笑んだ。


 その隣で窓際に飾られた白い花を指先で遊ぶケルトの姿がある。


「リューリアの花ですね。アレク様の大好きな花だ。きっとこれを生けたのはアレク様でしょう」


 マーリナスはその声に振り返る。まさかあのとき地下遺跡で邂逅した少年がアレクの関係者だったとは。ロナルドから話を聞いて一度会っておきたいと思っていたところに、メリザと現れるとは幸運だった。


「ケルトといったか。ロナルドから話は聞いている。アレクの従者を務めていたそうだな」


「ええ」


「いまはロナルドと共に同居していると」


「嫌々ですがね」


 こちらを見向きもせず、つんけんどんにそう返したケルトにマーリナスは小さな笑みを浮かべる。


「嫌いなのだな」


「嫌いです」


「なぜだ。あれは人当たりがよいことには定評のある男なのだがな」


「ライバルだからですよ」


 問われたことに、おくびれもなく言葉を返すケルトにマーリナスはくつくつと込み上げる笑いをこらえる。


「おまえたちは何か張り合っているのか」


「ええ」


「何を張り合っている」


 互いの腹を隠すのが当然の世界で生きるマーリナスにとって、心を包み隠さず実直な物言いをするケルトの性格は心地が良かった。


 本来ならアレクもケルトのように言いたいことを言い、誰かと喧嘩をしたり張り合ったりしながら思春期を謳歌するはずだったのだろう。


 少々気心が幼くアレクを振り回すこともありそうだが、そんな友がいるのも悪くない。


 子供の愚痴を聞く心積りでマーリナスがそう問いかけると、ケルトはふっと視線を落とし短く答えた。


「アレク様」

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