第57話 モンテジュナルに起因して

「ロナルド副隊長。今日はもうお帰りで?」


「ああ。上への報告は済んだ。もう三日徹夜でさすがにふらふらだからね。今日は早めにあがらせてもらうよ」


 ロナルドは駐屯地の廊下ですれ違った兵にそういって力のない笑みを浮かべる。


 マーリナスの代任としてここ三日責務に追われ、ろくに自宅に帰ることもできないまま駐屯地に入り浸っていたロナルドは、普段は綺麗に整えられた髪も所々癖がついて乱れ、黒ずんだ目の下の影がもとよりある爽やかな風貌を上塗りして、疲労の色を濃く浮かび上がらせていた。


「地下遺跡の隠し財産押収までありましたからね……本当にお疲れでしょう。あとは我々に任せて一晩ゆっくり休んでください」


「ああ、悪いがよろしく頼むよ」


 その様子に同情したように顔を曇らせた兵に笑顔を向けてロナルドは歩みを進める。


 マーリナスが不在のため、副隊長であるロナルドが一手に責務を背負うはめになることは重々承知の上であったし覚悟はしていたが、次から次へとこなさなければならない激務に脳を回し続け、あたまも体もくたくただ。


 だけど、どんなときも脳裏からアレクの姿が消えることはなかった。なにをしていても、なにを考えていても、同時にアレクのことを考える。


 いますぐ会いたくて会いたくて、仕方がない。アレクが目の前にいないというだけで心が常にざわつき、落ち着かない。


 それでもロナルドがそんな様子を微塵もだすことなく、そつなく責務をまっとうできたのはひとえに強靱的な心の強さゆえだったのだろう。


「あ! 副隊長! そういえば頼まれていたことの報告が後回しになってしまいました。あのユンメル三世の件ですが!」


 ロナルドに背を向けてその場を後にしようとした兵がふと思いだしたように、あわててロナルドを振り返り声をあげた。


 いますぐその場を後にしたい衝動をなんとか抑え、ロナルドもまた振り返る。


「わかったのか」


「はい。そもそもユンメル王朝の古代文献は貴重なもので、貴族といえども容易に手に入れることのできる代物ではありません。模写も含めて現在三冊しかないその文献は現在各国の王室が管理しているのですが、幸運なことに我が国にもあったのですよ。それですでに退任された教育係の居場所を調べて、そのような記述があったのか確認しました。いやあ、骨が折れましたよ。本当に」


 ぽりぽりとあたまを掻いて苦笑いする兵にロナルドは息をのむ。


 アレクにテストをおこなった後、ロナルドはあの歴史の示唆が果たして正しいものなのか確認せずにはいられなかった。


 そのため部下に確認するように頼んでいたのだが、部下が報告した内容はロナルドが一番恐れていた答えだった。


 古代文献が貴重なものであることはロナルドとて理解している。だが王国図書館などの管理であれば貴族もツテを使って閲覧することは可能だ。いきすぎた興味。探究心。そういったものでアレクが手を伸ばしたというなら安堵できたものを。


 王室の管理となると話は別だ。それは決して外部に漏れないものなのだから。


「……それで。その教育係はなんといったのかな」


「とても驚いた顔をされて、確かにそうだと仰いました。まあ、もう八十を過ぎたご老体ですから、どこまで当てにしてよいのかわかりませんが。いまも独自に学問の研究をされているそうなので、呆けているわけではないと思います」


「そうか。それで文献を保有しているのは我が国と、どこの国なのかな」


「ベローズ王国とモンテジュナル王国です」


「助かったよ。忙しいところ無理をいって悪かったね。ご苦労さま」


「いえいえ。またなにかあればお申し付けください。それでは」


 あたまをさげて背を向けた兵を笑顔を貼りつけて見送り、ロナルドもまたきびすを返して歩みだす。その途端ロナルドからすっと笑顔が消え失せた。


 ベローズ王国警備隊長であるギルは国王とも面識がある。アレク救出の際に顔も見てしまったが、とりたておかしい挙動はなかったはずだ。アレクが王室の人間であればわからないはずがない。


 ならばモンテジュナル王国だろうか……


 しかしモンテジュナルは現存する王国である。その王室の者が亡命とは考えにくい。ならばそれに準じる立場か。そう思案するものの、やはり確かな答えを導き出すにはまだ材料が足りない。


 だが仮にアレクが王室の人間であったとしても、いまとなってはロナルドにそのことを誰かに話すつもりなどなかった。

 

 駐屯地を抜けるとロナルドの体は嘘のように軽さを取り戻していく。歩む足幅は一歩一歩大きくなり、しまいにははやる気持ちを抑えきれず駆けだした。


 大通りを走り抜けていくつか角を曲がり、目の前に現れた見慣れた我が家の薔薇のアーチをくぐって庭先を抜け、扉に手をかける。小さく息が切れたが、いまは疲れよりも幸福感が勝っていた。


 ドアが開かれ、上に備えられた呼び鈴がカラン……と高い音を発する。


 同時に奥からパタパタと駆けてくる小気味よい足音。


 白金色プラチナブロンドに輝く髪を軽やかに揺らし、やわらかな紫色アメジストの瞳を自分に向けて満面の笑みを浮かべる天使。


 ロナルドは疲れなどその場で吹き飛ばして笑顔を向ける。


「おかえりなさい!」


「ただいま、アレク」




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