第55話 宝物をかけて

「おい。おまえ、それどうしたんだよ」


 捕らえたモーリッシュを連行しながら、隣を歩む兵がふと声をかけた。兵の視線は脇腹を押さえながらとぼとぼと歩むトマス・レンジの首元に向けられている。


「ああ。ロナルド副隊長に会ったときに手渡されたんだ。念のため持っておくようにって。なにかの魔道具らしい。後で返しておかなくちゃな」


「ふうん。まあ、その程度の傷ですんで本当に良かったよ。上にあがったら手当してもらえよ」


「ああ」


 トマスの表情は明るい。負傷したとはいえ怪我は軽いし、このまま見つけられないのではと不安に思ったモーリッシュの確保も成功した。あとはおとり役になってくれたあの少年が無事に帰ってくることだけを願うのみだ。


 トマスの首元にかけられたネックレス。それは確かにロナルドが手渡したものだった。


 トマスがアレクを見失ったと報告したとき、ロナルドはアレクを追うトマスが万が一にもアレクと邂逅し瞳を見てしまうことを懸念した。そのためトマスに手渡していたのだが、このとき度重なる予想外の出来事と瀕死のアレクを見つけたロナルドのあたまからそんなことはすっぽりと抜け落ちていたのだ――



 自分を見つめるそれは、絶えず輝き続ける紫色アメジストの輝き。心が、体が、自分自身が、その輝きの中に引きずり込まれてゆく。


 その世界に陶酔したロナルドがハッと意識を取り戻した頃には、目に映る光景はいままでとはまったく違うものだった。


 まわりの景色など目に入らず、後方から駆け寄ってくる足音も耳に入らない。誰かの驚いたような声も、誰かの叫び声も。遠く遠く。


 ロナルドの世界に映るのはアレクただひとり。


 誰よりも美しく、誰よりも愛おしく、触れることさえ恐れ多い。だがそんなアレクを強く渇望する自分がいる。その欲望は果てがなく、目の前のアレクから目が離せない。


 少し濡れた唇に指をはわせ、ロナルドはゆっくりと唇を重ね合わせた。冷たかった唇はほんのりと温かみを取り戻し、少しだけ深く唇を押し込めば目眩を覚えるような吐息がアレクからもれる。


 そして、こくりとのどを鳴らしたアレクから唇を離したロナルドを見つめる目があった。


 ケルトの案内でギルの肩を借り、なんとかここまでふらつく体で足を進めてきたマーリナスだ。


 そのときマーリナスの胸をざわつかせたものはなんだったのか。


 なぜロナルドがアレクに口づけを。目に映る光景だけが強烈に目に焼きついてマーリナスの思考を止める。


 その傍らではケルトがロナルドをにらみつけていた。アレクを助け出すのは自分だと思っていたのに先を越された悔しさで、いまにもロナルドを殺しそうな勢いで怒りをにじませ歯を噛みしめる。


 そんなふたりの心情など知らぬギルはロナルドがアレクを見つけ出していたことに、ホッと肩の力を抜いた。


 その後方で――転がったバスケットの中からパン切り包丁を抜き出し、そんな三人に向かって走り寄ってくる影があった。


 闇の中で走る影の頬に刻まれた傷が、サフェバ虫の光によってちらりと浮き上がる。


「それは俺の……」


 どくどくと脈打つ鼓動。目に映るのは開かれた金庫とその中で横たわる宝物アレクに寄り添う男の影。


(盗られてたまるか。それは俺だけの宝物だ!)


 狂気をはらんだ影の瞳は紫色にぎらぎらと輝いて、まっすぐに獲物をとらえていた――


 そんな狂気の足音が後方から近づいてきているとは知らないギルは、これですべては一段落だと豪快な笑い声をあげる。その笑い声は遺跡内に響き渡り、聞き届けた探索中の兵たちも互いに表情を緩ませた。


「ロナルド副隊長。まさかあなたが先にアレクを見つけていたとは、思いもよりませんでしたな。これでマーリナス殿も安心でしょう。いやいや、見つかって本当によかった! はっはっはっ!」


 だがそんなギルの横を一陣の風が凪いだ。


 横をすり抜けた風の正体をとらえようとギルが鋭い視線を移す。だがそれより早くギルの横顔に走り抜ける影をとらえたマーリナスは、反射的にギルの肩から体を離し足を動かした。


 普段なら俊敏に動けたその体は鉛のように重く、思い通りに動かない。足はふらつき目はかすむ。


 だがそれでもマーリナスは必死に影を追いかけた。


 後方で目を丸くしてなにかを叫んだギルの声も耳に入らず、こちらを振り向いたロナルドの顔すらよく見えない。


 伸ばした手は影をとらえ、指先にひっかかった衣類を力ずくで引っ張った。


 ロナルドの目の前に刃物が迫り、直後飛び出してきた影とマーリナスの姿が重なり合う。


 それは一瞬のできごとで。


 ザシュッ……! 


「マーリナス殿っ!!」


 追ってきたギルが般若のような形相で影を殴り飛ばす。重く鈍い音を立てて影は通路の壁に向かって吹き飛び、ぴくりとも動かなくなった。


 だが。


 腹部を押さえてどさりとその場にひざをつき、刺しこまれた得物の感触と、どくどくと脈打つ血流をてのひらで受け止め額からあぶら汗を流すマーリナスは、かすみゆく視界の中で自分を見つめるロナルドとアレクの横顔を映しながら、その場で意識を手放したのである。

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