5ー8「再開」
「鳴、これどうするの?」
空緒は束になった原稿をさして言う。
「あぁこれ、飛華にあげるよ」
「えっ、千集院ノベルに載せないの?」
騰波ノは嬉しそうに頷く。それは一つの意味を指し示していた。
「鳴、分かってるの? 私たちは」
「いいんだ」
「え」
「いいんだよ、もう」
諦念のように聞こえたが、騰波ノは涼しい笑みを浮かべていた。
「いいって、何も良くないじゃない」
「いや、これで本当にいいんだ。私は見つけたんだ。一人の小説家としての性質を」
「小説家としての、性質……」
「私がこれからどうやって筆を握って生きていけばいいのか。全部、わかったんだ。だから安心して。飛華は退学しなくていいから」
「そんなの……」
何度目かわからない涙を零すまいと空緒は必死に堪らえる。
「貴方はもう筆を握れないじゃないっ!」
微笑と共に騰波ノは首を軽く横に振った。
「小説はいつだって、どこにいたって書けるよ。紙とペンがあればね。だから自分が書きたいときに、書けばいい」
怒。悲。悔。憂。罪。
空緒の頭では色々な感情が駆け巡っていた。何から言葉にすれば彼女に上手く伝えることが出来るのか、それが分からずに混乱していた。
――この状況を招いたのは私だ。最初からこうなることは見えていたはず。私が物書きとしての自覚を欠いた結果がこの現実を生んだ。
「少なくとも、私はそれで良いと思ってる」
空緒は歯噛みするように頬を震えさせていた。
「やっぱり私が退学になる!」
ゆっくりと首を横に振った騰波ノの表情は、自信に満ち溢れている。それを拒むように、激しく首を横に振る空緒の表情は、今にも泣き出しそうだ。
「私が退学になるからっ! 私が、退学にぃ……」
騰波ノはそんな空緒を笑って、そっと包み込むように抱きしめた。
「ありがとねぇ……飛華」
耳元で囁かれた優しい声音は、空緒をむせび泣かせた。
騰波ノは何度も空緒の頭を優しく撫で続けていた。
悲壮に満ちた嗚咽だけが、小さな部屋で何度も続いた。
☆
茹だるような暑さが残る九月一日。午前八時五十五分。
一年一組の教室は、やはり冷房が効き過ぎていた。
夏休みモードが抜けきらないのか、教室内はいまだ気の抜けた風船のように張りがない。
一学期と何も変わらない光景のように見えた。
だが確かに、少しだけ変わったものもあった。
難波は前の席がなくなっているのを、寂しそうな目で眺めていた。
杉田も時折後ろを向いては溜息をついている。
空緒は相変わらず夢中でノートにペンを走らせていた。
衣嶋が入室するのと同時に、全員が慌ただしく着席した。
「もう君たちも理解しているとは思うが」
一同衣嶋を見る。空気が張り詰めた風船のように引き締まった。
だがその時勢いよく扉が開く。皆が弾けるように開いた扉を見た。
「すいません!」
他の生徒はあんぐりと口を開けている。難波は驚きのあまり声を出した。
「と、騰波ノ……くん!?」
何故退学者がここにいるのか。お前の席はもうここにない。クラスの驚きはこれとは別にあった。
衣嶋は黙って後方を指差した。騰波ノは黙って頷く。
歩きながら騰波ノは照れくさそうに「セーフだよね」と言う。
近くを通り過ぎる際に空緒は「遅い」と一言。
颯爽と登場し、一番後ろに向かっていく女子制服姿の騰波ノを、皆はただ呆然と目で追いかけている。
弛緩した空気を再度引き締めるように、衣嶋は軽く両手を合わせるように叩いた。
そのまま手を教壇に置いて、いつもの冷徹な声で言った。
「ではさっそくだが、只今より、中期必修試験を開始する!」
チャイムが鳴り響く。
冷房が効き過ぎた教室の窓に、太陽が降り注ぐ。
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