第四章「星と嵐の夜」

4―1「探偵・雷電快晴」


 翌週の月曜日。毎週恒例の一限HRにて、異変が起きていた。騰波ノの相方、空緒そらお飛華とびかの姿がどこにもなかった。


「さて、どうしたものか……」騰波ノとばのは机に突っ伏すように、力なく項垂れている。

 衣嶋きぬしまの短い報告が終わり、自習となった。騰波ノはトイレに行こうと席から立ち上がり、廊下側へ歩いていく。

 教室から出ようとした時、聞き難い会話が耳に入ってきた。


『おい、聞いたか。難波の奴、不正やってるらしいぜ』

『うそ、マジ⁉ どんな?』


 騰波ノは教室を出て、足をすぐに止めた。盗み聞こうと教室を隔てた壁にもたれかかる。

 ――難波さんが不正?


『ああ、噂によると複数のアカウントを作成して自作品の評価を自演しているか、若しくは複数のアカウントにお金を出してアクセスや評価を伸ばしているらしいぜ』

『マジかよ、引くわー。人は見た目によらないって言うけど、最低だなあいつ!』 

『あれは典型的な、裏で何考えているかわからないタイプの腹黒い女だよ』 

『ひぃい、怖えぇ』


 その場で居続けるも不自然なので、騰波ノはトイレへと向かう。明らかに動揺したぎこちない足取りだった。

 いつものように男子トイレの洋式に入った。さっきのことについて、考えていた。やはり何かの聞き間違いなのではないか、と思うことしか出来なかった。

 そろそろトイレを出ようとしたとき、誰かが会話しながら入ってきた。


『でもよ、不正なんてばれたら失格じゃないのか? あれ、その前に退学?』

『ばれたらな。でもそうじゃないから、今のランキングを物語っているだろ?』


 どうやら会話の主は、さっきの二人組らしかった。


『俺たちみたいに真面目にやってる奴が、損するとかどうかしてるわぁ』

『世の中は大抵そういう風に回ってるんだよ。ていうか普通に考えて有り得ないだろ。タイトル変えただけなのに、ランキングが四位まで上がるとか』

『確かにな。俺たちで通報する?』

『いや、それはやめておけ』

『なんでだよ? 試験中に不正なんてされたらたまんねぇだろ』

『まずネット媒体の不正を暴くのは、俺たちじゃできない。だから証拠が集められない。仮に難波から金を受け取った何者かがいるとして、はい自分です、なんていう奴なんかいねぇよ。なにより、今回の試験は最下位にさえならなければいいんだよ』

『そうだけどよぉ。なんか納得いかねぇよ』

『よく考えろ。もし難波が不正を働いていたとして、学院側がそれを想定しないとでも思うか? 過去俺たちが入学するまでに色々な必修試験が行われていたとして、誰でもしそうな不正対策をしないなんてあり得ると思うか』

『それって、わざと見逃してるってこと?』

『わかんねぇけど、とにかく今回の試験の一番のデメリットは、最下位に退学が設けられいることだ。だから最下位にさえならなければ、とにかく次に進める。ここは大人しく見守るのが吉だ』

『じゃなんだ、難波は上手くやったってことかよ?」

『まぁ考え方次第だな。お前覚えてるか、一年生のテーマ』

『テーマ?』

『入学式の時にあったろ』

『あぁ、あのなんか変な映像のやつか。うーん、あんま覚えてねぇなぁ』

『バカだなぁ。一年は【自覚と現実】だよ』

『あぁ、なんかそんな感じだったような。俺さ、あの時眠くてあんま覚えてねぇんだよ』

『それから考えたんだけどよ。この試験って、何かを体現化しようとしているんじゃないか?』

『体現化? 何に?』

『さぁな。そこまではわかんねぇよ』

『なんだ、お前もわかんねぇのかよ』

『ちげぇよバカ。お前と一緒にすんな』

『何がちげぇってんだよバカ』

『俺はよ……わかりたくねぇんだよ』

『はあ? 俺もバカだけどよ、お前も相当だな』

『うるせぇ、欲望に溺れた哀れな女よりはまともだよ』

『それもそうか』

 

 会話が聞こえなくなるまで、騰波ノはトイレから出られなかった。ただ拳を強く握りしめ、目を大きく見開いていた。


 ☆


 翌日の朝。騰波ノは講義もバイトもなかったので、改めて難波の小説を読んでみることにした。

 必修試験が始まりたての頃は、少しだけ難波の小説を読んでいた。こうして腰を据えて読むのは久しぶりだった。

 前回読んだ時とは、明らかにタイトルが違っていた。だが内容は、以前読んだ時と特に変わらないように思えた。

 インスタントコーヒーを淹れ、またしばらく読み続け、いつのまにかお昼を過ぎていた。この時既に、騰波ノはある違和感を覚えていた。


「これが、難波さんの小説なのか……」


 まず前半から中盤を過ぎた頃には、キャラクターの言動や行動が、別人のようになっていた。物語上そうなったのではなく、唐突に変わったりするのだ。その原因は、すぐにわかった。

 難波の小説は、PV数の記録も完全にバックアップしてもらっているので、削除期間を除いた日毎のPV数が見れる。そしてある日を境に、急激にPV数が上昇している。例のネコちゃんバズりだ。ちょうどその辺りの話数以降から、少しずつ微妙に物語が歪んでいっている。

 その理由が、例の誹謗中傷を浴びた読者の感想コメントだった。


『このキャラクターの行動に納得いかない』

『〇〇はあんなこと、いわない』

『あの展開ムカつくから書き直してくれ』

『ストレス多すぎ』

『もっと女の子を増やして欲しい』

『もっとイケメンを増やして欲しい』

『読者あっての物書き。お忘れなく』

『読者が求めていなものを書かないで』

『需要と供給。考えましょうね?』

『オナニーするな。天才でもないアマチュアが』

『あのキャラがムカつくのでもう読みません』

『作者はこの物語を、一番理解していない』


 人格批判を除き、これもほんの一部にすぎないが、難波はこれらのコメントを、できるだけ多く受け入れ、物語に反映させようとしていた。その結果、当初想定していたゴールとは大きくかけ離れた作品になっている。完全に、どこを目指せばいいのかわからず、修正不可能な程に迷走していた。


「痛っ……」突然の頭痛に、騰波ノは頭を抱えた。携帯が床に落ちる。

 胸が苦しくなって、喉が締まりそうになった。今までに何度か頭痛はあったが、これほど大きいものは初めてだった。

 ベッドに倒れこむ。視界がぐらぐらと歪み、やがて目の前が真っ暗になった。

 どれくらいの時が経ったのか、携帯電話が鳴っている音で目を覚ます。

 表示画面を見ると『難波香苗』から。目覚まし時計を見ると、四十分ほど気絶していたことがわかった。

 ゆっくりと携帯を拾い、電話に出た。


「……はい」

『突然すいません、騰波ノくん』

「はい…………どう、した?」

『騰波ノくん……? 大丈夫ですか、なんか』

「大丈夫、だから……それより、どうしたの?」

『あの良かったら今日、お時間空いてますか?』


 ☆


 さっきまでの苦しさはいったいどこへいったのか。自分でも不思議になるほど騰波ノの体調は良くなっていた。

 午後三時を過ぎた現在、ぞろぞろと人が行き交う中央ホール前で難波を待っている。どう見ても明らかに女性が多い。騰波ノは少し不安になった。

 そんな時だった。


「お待たせしましたぁ」と難波の優しい声が聞こえてくる。いつものように地味なグレーの緩いカーディガンを羽織っている。


「今日ってなにかあるの?」騰波ノは続々とホールに入っていく人たちを、物珍しそうに眺めている。


「それがあるんです!」興奮気味に難波がいう。

「へ、へぇ」

「実は今日、あの雷電らいでん快晴かいせいさんの講演会が開かれるんですっ!」

「ら、らいでん、かいせい?」

「はいっ! あれ、どうしたんですか騰波ノくん」

「えっと、その、らいでん何やらさんは、アイドル?」


 信じられない、とばかりに難波はおっとりした目を大きく見開き、手を口にあてている。


「あの『探偵』さんですよ! 文豪戦の審査員だった方です。騰波ノくんも見ましたよね?」

「あ、あぁ、あの『探偵』さんのことね」

「ほら、早く行きますよ!」


 珍しく難波はスキンシップを発揮して、騰波ノの腕をぐいぐいと引いていく。驚きはしたものの、騰波ノは頭の中で――難波さんはいま、何を思っているのだろう――と思っていた。

 文豪戦の時ほどとはいえないが、会場には大勢の女性客で満たされている。騰波ノは難波に誘導され、席についた。


「す、すごいね。人が、たくさんいるよ……」

「はいっ! あの探偵さんですから」会場の雰囲気にあてられて、難波も興奮気味に目を輝かせている。

 やがて場内がやんわりと暗くなってから、一人の男が現れた。それはいつかの痩せ型、眼鏡。灰色スーツにバーコード頭をした五嶌ごとうけいだった。


『ひぃ、えぇ……今日はお集まり頂きまして誠にありがとうございましゅ。もうじき雷電さんがご登場しますので、しばしお待ち下さい』


「またあの人だ……」

「そうですね……」

「この学院は何かイベントがある度にあの人が出てくるのかな」

「噂によると五嶌さんは『創造・発想基礎』の教員だそうですよ」

「えっ!? 雇われ司会者じゃないの?」


 クスクスと笑った難波は「違いますよ」と言う。騰波ノは楽しそうな難波を見て、少しだけ心が軽くなったような気がした。

 イベントの主催者、雷電快晴はすぐに登場した。文豪戦の時と変わらず、欧州貴族のような風貌をしている。

 会場内は、すぐさま黄色い声援で包まれた。そしてもう一人、雷電快晴に続いてひょっこりと出てくる者がいる。あどけなさを残した顔は、鼻が高く、目元がくりっとしている端正な顔たちで、小学生高学年くらいに見えた。品を感じさせる色味をした青いジャケットを羽織り、黄色のネクタイを締め、色の剥げたジーンズを着こなし、味のある赤茶色のブーツも光沢感がある。

 この年で、ハイブランドをいともたやすく着こなす辺り、明らかにお金持ちの子という印象を誰もが感じる。

 そんな突然の来客に、観客も戸惑いの様子だった。


『私の講演会にお集まり頂き感謝します』雷電がいうと、会場内は拍手で答えた。


『改めまして、三年『探偵』の雷電快晴です。そして今日は特別に私の弟子をご紹介致します』


「弟子?」

「どう見てもお坊ちゃま小学生に見えますけど……」


 騰波ノたちが首をかしげる中、五嶌からマイクを受け取った少年は会場に向けてしっかりと落ち着いた声を出した。


『お初にお目にかかります。先日、雷電快晴さんに弟子入りしました。れんと申します。本日はどうか宜しくお願い致します』


 会場がざわめく中、多くの女性客は、少年の健気な様子に母性をくすぐられているようだった。

 その後は雷電快晴の創作法や、創作に対する姿勢、Q&Aコーナーなどがあり講演会は大いに盛り上がった。

 騰波ノは楽しそうな難波を横目にして、今日はやめておこうと思った。こうして楽しい時間に、わざわざ水を差す必要がどこにあるのか。

 話さなければいけないこともあるかもしれないが、それは今じゃなくていいい。

 その前に彼女は自分の文章を読んで、気づかなくてはいけない。そして大事な人に話しをするだろう。いや、賢い彼女だからこそ、もう気づいている。

 だからこそ騰波ノは、来たる時が来るまで待とう、と思う。その時が来るのは、そう長くないはずだ、とも感じていた。

 この講演会で、雷電快晴が残した言葉の中に、一つ興味深いものがあった。その言葉は、帰路につく二人の心中を何度も駆け巡っていた。


『私が小説を書き続ける中で意識していることは、現在の己を知ること、だと思っています』

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