1―6「貴方にとって、小説とは何なの?」
難波香苗と連絡先を交換してから数日が経ち、月曜日の朝を迎えた。毎週月曜の一限では、どこのクラスもHRが行われることになっている。
生徒たちは何か特別な事情がない限り、出席した方が経済的にも良い。欠席すればペナルティが待っているからだ。
難波のお陰で三島スーパーで働き始めていた騰波ノは、襲ってくる眠気を振り払うように教室の席についた。
HRはすぐには始まり、衣嶋は相変わらず淡々と報告事項を述べていく。それもすぐに終わり、教室中に弛緩した空気が流れはじめた。
「最後に全員のアカウントデータが揃い次第、一年一組の専用サイトを作成する。まだ報告してない者は、本日中に私の所にくるように。では解散」
何事もなくHRは終了した。教室内には喧騒が訪れる。
「騰波ノくんはもう先生に伝えましたか?」ちょんと騰波ノは右肩を撫でられた。振り返ると、後ろの席に座っている難波だった。
「数日前に提出したよ。難波さんは?」
「はい、私の方も既に。それよりも原稿の方が大変です」
「俺も似たような感じ。いざ原稿書き始めてみたのはいいけどさ、いまいち設定に納得いってなくて」
「私も。何書いても違う気がしてきて」
「地道に頑張るしかないね」
二人は互いを慰め合うように微笑し、同じようにため息をついた。
「おや、難波さんと騰波ノくんはいつのまに仲良しになったんだい?」
二人の前に現れたのは、杉田だった。穏やか笑顔で、今日も年齢にそぐわない学生服をきっちりと着込んでいる。
「あ、おはようございます杉田さん。実は騰波ノくんとは同じアルバイト先なんです」
「おぉ、そうだったんだね。それは良いね」
騰波ノも軽く挨拶を交わした。
「お話中の所悪いんだけど、難波さん。少し試験のことで近況報告をしたいのだけれどどうかな?」
「はい。では騰波ノくんまた、お店で」
「またね。杉田さんも」
「すまないね。また今度、二人の働いているお店にお邪魔するよ」
二人は教室を出て行った。当然HRは終わっているので、残り時間は自由にして構わない。
すぐさま寮に帰宅する者。二限の講義まで教室で時間を潰す者。ペアで話し合う者など様々だ。そんな中、頬杖をついてぼんやりとしている騰波ノ。杉田と難波が試験のペアだったことについて、今更ながらに驚いていた。
「全然聞いてなかったな」とぼやきつつ、空緒の方をチラッと盗み見た。今日も姿勢正しく、ノートに筆を走らせることに熱中している。
数日が経った。予定通り一年一組の専用サイトが開設された。さっそくクラス内のランキングが公開されている。騰波ノはランキングを見て、思わず声が漏れた。
「そんな……」
二十組中、『空緒・騰波ノ』と表示されたペアは、ダントツの最下位だった。
☆
翌週。月曜日のHR。
衣嶋が今後の予定と報告事項を言い終えて、早くも解散の指示が出た。入学してから、少しばかり時が流れたせいか、教室内も随分と賑やかなものになっている。
「大丈夫ですか、騰波ノくん」
難波は心配そうな様子で声をかけてくる。机に突っ伏すようにしている騰波ノは、小さなうめき声を漏らしていた。
「うぅ、大丈夫、だよ」という曖昧な返事をしている騰波ノと空緒のペアは、想定しているよりも悲惨だった。
「私と杉田さんも、似たようなものですけど……」
ランキング上位のペアは、順調にアクセス数を稼いでいた。軽く何十万ものPVを超えているペアもある。ランキング上位組の作品は、流行ジャンルだった。ただそれなら、中位組や下位組にも流行要素を取り入れた作品はあった。
上位組には、しっかりと目を惹きつける流行キーワードの入ったタイトルをつけ、毎日更新やSNSの宣伝などをマメに行うなど、体制は万全に整えられていた。
ところが騰波ノと空緒は、吞気に書いてはたまに更新するということしかしていなかった。それでもまだ騰波ノの方は、トレンド要素を取り入れた内容の作品だった。
だが空緒の方は全く、その気配すら微塵も感じさせないような作品だった。
タイトルも『雑草道草道中記』といった、ひと目で内容がわかるものではなかった。いざ蓋を開けてみると【女子雑草部】という、謎の部活に所属する女子高生たちが、ひたすた街の至る所に生えている雑草を刈り取っとていく、というものだった。
ただ、騰波ノはこの『雑草道草道中記』を地味に評価していた。一見ただの雑草を抜くだけの狂気さだけが売りの作品かと思っていたが、そうではなかった。
その街々で雑草を抜いては、ミステリな事件が起き、時にメンバーが事件に巻き込まれたり、時には困っている老婆を助けたり、時に小さな子供たちと戯れたり、笑って泣ける青春ドラマだった。
だが騰波ノは素直に思ったことを、空緒に伝えることはしていなかった。それどころか大きな不満すら抱いていた。
今回の前期必修試験で使用されるWEB小説投稿サイト『千集院ノベル』は、100万作品を超える大規模のサイト。
もちろん無名の新作たちが日の目を浴びる確率は、雀の涙もないに等しい。
更に流行要素を全く取り入れないとなると、その確率はより厳しいものになる。
また中位組や下位組のペアみたいに、安易に流行要素を取り入れても人気が出るとは限らない。
こういったWEB小説投稿サイトは、現代作家に求められる必要なスキルを養う予行練習場所ともなっている。
騰波ノと空緒は、そういった作品外の工夫や努力を怠った。結果として二人は最下位になった。
次に『杉田・難波』のペアも似たようなもので、杉田は硬派な文を敷き詰めた戦記を書いていた。難波は騰波ノと似たように、何とか流行要素を取り入れただけの作品を書いた。
だが純粋に膨大な作品数の前に埋もれた。理由は色々とあるが、まずはSNSを扱った宣伝をしなかったことも大きい。
他にも作家同士での相互関係が築けていれば、運良く最初に読んでくれて評価をつけてくれたりもする。これにはお返しに相手の作品を読んで評価し返さなければけいない暗黙の了解があるが、試験違反ではない。もちろんしなくてもいいが、今後そういった関係性を失うことにもなるだけだ。
忘れてはいけないが、今回の必修試験で彼らに求めらているのは、二人の作品でどれだけアクセス数が稼げるか、という実にシンプルなことである。
「
突然のご指名に騰波ノは身体をビクッとさせた。声の方を向くと、人差し指を騰波ノに向けた空緒だった。
「え、空緒さん?」
「このあと予定は?」
「いや特には、ないけど」
「ついてきて」
「え、どこに」
それに答えることなく、空緒は颯爽と教室を出て行った。それに戸惑いながらも騰波ノも後を追う。
空緒が「入りなさい」と言った場所は、『第一創作室』という場所だった。余計なものが何一つない部屋だ。教壇側には、長方形のホワイトボードが設置されており、教卓を挟んで、横長の机が縦に四列並んでいる。
必要最低限の機能しかない殺風景な部屋だった。
創作室は常時開放されていて、生徒たちが自由に過ごせるようになっている。
そこには数人の生徒たちが疎らにいた。
「座りなさい」
「はい」
空緒は窓際の一番前の席に騰波ノを座らせて、自分はその前で腕を組んだ。
「あれは、なに?」
口元をきつく結びつける空緒の顔には、納得のいかないのがありありと感じられる。
「なにって、どういう意味?」
「貴方の小説よ。あれは何だと聞いているの?」
「何って、いわれても」
どうしてこのような詰問を自分が受けているのかわからない騰波ノは、次第にこの現状に腹が立ってきた。
「質問の意図が少し掴みづらいんだけど、もしかして最下位だったこと、俺のせいだっていいたいの?」
わかりやすく溜息をついた空緒は、大袈裟に首を振ってみせる。
「違う。そんな事どうだっていい。貴方の小説、正気なの?」
「正気? どういう意味?」
「そっくりそのままの意味よ」空緒は挑発的な言葉で返す。頭にきた騰波ノは、勢いよく立ち上がっていた。
「なに、俺の小説に文句あるってこと?」
「そうよ」
「それならこっちも言わせてもらうけど空緒さんの小説なんか24PVだよ? 俺の96PVより低いんだよ、分かってるの? それに何、あの女子雑草部って。女子高生が毎日毎日雑草ばっか抜いてさ。そんな馬鹿な小説見たことないよ。絶対に読まれるわけなんてないだろ! 何でもっとトレンド取り入れて書かないの。俺たちのどっちかが退学になるんだよ⁉ わかってるの?」
今までの、塵が積もるように溜まっていた不満を、勢いに任せて吐き出した騰波ノ。すぐにやってしまったと一度呼吸を整えて、「ごめん」と呟くように席に座った。
瞬間だった。襟元を捕まれた騰波ノは、無理やり腰を上げざるを得なかった。驚いて瞑った目を開らくと、物凄い剣幕の空緒がすぐ鼻の先にあった。
「ふざけないで! 貴方、何の為に小説書いてるの? 今書いているものは本当に貴方が書きたかった小説? 私は読んだけど全くそうは思わなかった。全然、こんなの全然違う! 貴方の小説からは命の霞すらも感じない! 何、小説の真似事でもしたいの?」
「…………は……真似事だって……? ふざけんなはこっちの
気づけば騰波ノの身体がぐわっと浮いていた。
「ふっ、ざっけんなぁ‼」
「えっ、ちょっまっ」
宙を描いた、綺麗な一本背負いだった。
「ぐわっつ」
周囲にいた数人の生徒たちは、いつのまに逃げたのか、既に一人もない。
「いったっぁ……」
受け身をとらなかった為、背中に激痛が走る。悶絶する騰波ノ。空緒の華奢な体からどうしてこのような力があるのか全く理解できない。
ひとまずこれで終わったかと思いきや、即座に首根っこを捕まれて引き寄せられる。
「読者の為? 研究? フ、笑わせないで。本気でそんなことやっているの? それがあの味の無い小説ってわけ。何、貴方は書記係なの? もしそうだとしたら飛んだ大馬鹿者よっ!」
「……」もはや騰波ノに戦意はなく、言い返す言葉もみつからない。ひたすら背中の痛みに耐えながら、首根っこを捕まれ、目を瞑っている。
空緒の恐ろしい叫びだけが、耳奥で鳴いていた。
「私は小説が好き! 誰よりも好き、大好きな小説家だって数え切れないほどいる! でも私は私の為に小説を書いて欲しいなんて一度も思ったことなんてない! そんな無駄な気遣いされるくらいなら、もっと私の知らない世界に連れていって欲しい! 未だ見たこともない文章を読ませて欲しい! もっと、もっと文字を通して学ばせて欲しい! 私が書き手に願うのはいつだってこの気持ちしかありえない!」
流石に空緒の息が切れたのか、引き寄せられた騰波ノの身体が地面に放り出された。だらしなく騰波ノは床に転がる。
空緒は床に両膝をつき、項垂れる騰波ノを睨みつけている。
「いい、騰波ノ鳴、よく聞きなさい。私は絶対にこの作品を書ききってみせる。私は曲げない。私はどんなことがあっても決して小説に噓はつかない。私は、私は絶対に最後まで諦めないから……」
その言葉を最後に、空緒は立ち上がり、一度スカートの裾を軽くはたいた。そのまま再度、寝転んでいるだらしない騰波ノを一睨みした。そのまま唾でも吐かれそうだったがそんなことはなく、肩で息をしながら第一創作室を去って行く。
だが一度、立ち止まってから首を曲げて騰波ノにこう言った。
「――貴方にとって、小説とは何なの?」
騰波ノは死んだ魚のような目で、天井の蛍光灯を見つめていた。そのまま思ったことを投げやりに答えた。
「知らないよ、そんなの」
空緒は何もいわず、今度こそ第一創作室を去って行った。騰波ノは一人、額に汗を浮かべながら、誰もいない部屋で大の字になっていた。
「床ってこんなに気持ちいいんだ……」
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