第52話恋の執行猶予

 私は話を終え屋内に入ると、扉のすぐそばで登は待っていてくれた。

「……お疲れ。おかえり」

「うん。ただいま」


 私たちはそこからは無言のまま教室に戻った。

「あ」

 教室に入り、すぐに登に抱きしめられた。


 それは甘く優しく、でもいつもよりもずっと力強く。

 あ〜、脳味噌がー、溶かされるー。


 よう、美鈴。


 あら? 悪魔美鈴さん。


 最近、天使と悪魔って表現聞かないよな。

 それは良いんだけど。


 なんですか、悪魔美鈴さん、はっきり言ってくださってよろしくてよ? 私、今、愛しい登に抱き締められてトロトロですのよ?


 もうお前誰だよ、という感じだよな美鈴。


 良いから早くお言いになって? 悪魔美鈴さん。


 落ち着きなさい! ノーマル美鈴! そこの悪魔美鈴の話は聞いてはいけません!


 やっと出て来たか、天使美鈴。だが、私が言う言わない関係なく、現実はそこにあるぜ?


 くっ!


 なんの話でしょう? 天使も悪魔も美鈴はうるさいですねぇ、ノーマル美鈴はもうとろけてしまいそうで。


 くっ、! いいか! ノーマル美鈴! 気をしっかり保てよ!


 悪魔美鈴来ますわ!


 くっ! ノーマル美鈴! いいか、気をしっかり保つんだぞ!


 抱き締められながら、あまりの甘さに働かない私の脳味噌でそんなことを考えていたのは、私なりにこの現状を察していたのだろう。


 いつもより、キツめの抱擁ほうよう

 2人だけの教室。

 彼が何を思ってこうして抱き締めてくれたのか分からないけれど、彼はその抱擁をゆっくりと解いた。


「あっ」


 結論から言えば、私のこの『あっ』は迂闊うかつだった。


 彼の目が私の全てを奪おうとその色を変えた。

 そうか、私の脳内の悪魔美鈴はこのことを……。

 その抱き締め方は今までの優しさいっぱいのものとは、まるで違ったのだから。

 狂おしいほどに腕の中の存在を、絶対に逃さないという意志が込められていて。


 トロトロの心の中で、でも、と思う。

 事前に察知出来てもどうにもならないよなぁと。


 だって、この時を夢見ていたのは、誰よりも自分なのだから。


 そうして、私たちは初めての口付けを交わした。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 キツめだけど、苦しくないように抱き締めた腕の中の美鈴の暖かさを感じながら、俺はそれをなんと表現して良いか分からなかった。


 夕暮れの2人きりの教室。

 立山と美鈴の会話。

 本当ならその話を自分の中で整理する筈だった。


 なのに、ただ一つのことが俺の心の中を占めてしまった。

 美鈴は誰のものにもなっていなかった。


 ああ、分かっている。

 仮に過去誰のものであれ、過去に誰かを狂おしく愛そうとも、それは過去であり、今の彼女には元より関係はない。

 愛することは変わりがないのだ。


 なのに、ああ、なのに。


 この身に渦巻く独占欲はとんでもなく俺の心を支配した。


 嬉しい?


 もちろん嬉しいさ。


 どんなに過去は過去としても、愛せば愛すほど愛する人と繋がった別の誰かに対する嫉妬は永遠に消えてくれない。それもひっくるめて人は人をになるのだろう。


 なのに、なのにだ。


 渡したくない。

 この世に存在するただの1人にすら、この腕の中の存在を渡したくはない。


 独占欲? 生温なまぬるい。

 妄執もうしゅうだ。


 男の妄執など男の嫉妬並みにみにくいだけだ。

 女の嫉妬が嬉しいのは男のサガなのかもしれないが。


 少しだけ冷静になれた気がしたが、駄目だ。愛おしい存在が今、この腕の中にいるだけでいくらでも湧いて出て来てしまう妄執。


 だが俺は美鈴を好きだ。

 このただの妄執の餌食えじきにするなどしてはいけない。


 そう思い、鉄? いや鋼の意志でもって、ゆっくりとだが美鈴を解放しようと腕をほどき……。


「あっ」

 結論から言えば、美鈴のこの『あっ』は迂闊だった。

 俺はこの愛おしい、狂おしい存在に口付けを交わした。





 どれだけ長い間、俺たちはそうしていただろう。


 何というかお互い止め時が分からないというか。

 うん、これはヤバい。

 脳味噌トロトロになってどうにもならなくなる。言わば、恋のダークサイドだと思う。


「帰ろうか」

 ようやく唇を離し、その言葉は俺から言った。


「うん」

 茜色の光に照らされその前髪を恥ずかしそうに触る美鈴は、その顔の赤さもともない、とても可愛いく綺麗だった。

 俺にはその彼女の美しさを見て、本当に突然、前触れもなく何かがパッと心の中に広がったのを感じた。


 ああ、そうか、これが。


 もう一度彼女に両手を差し伸べる。

 その手を見て彼女は恥ずかしそうにちぢこまったが、抵抗せずに俺の腕の中にもう一度収まった。


 今度は優しく彼女を包む。


「美鈴」

「なに?」

「俺から執行猶予をあげる」


 そっと身体から離し愛おしい彼女の目を見る。

「美鈴が告白してくれるまで俺は待つよ。でも、その後は逃してあげれない。……一生。それが嫌ならそのあいだに逃げてほしい。愛してるよ」


 俺は少し寂しそうな目をしたのだと思う。

 大丈夫とでも告げるように、美鈴は俺の目を見ながらそっと手を重ねたから。


 俺はまた優しく美鈴を抱き締める。

 その存在を確かめるように。

 恋のような激しい動悸どうきはない。

 ただ、とくんとくんと静かで穏やかな音だけ。


 恋だけを見ていたら一生なんて重すぎる。

 恋が荒れ狂う荒波なのだとしたら、これは静かで穏やかな大海。


 俺は自分の心の中にパッと広がった何かが理解出来た。


 ……ああ、そうか、これが『愛』なんだ。


 今日、俺は恋の先にある愛というものを知ってしまった。

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