第33話 戦姫のおめかし

 二日後……。


 一台の馬車が鉄格子で囲まれた、広大な屋敷の前で停まる。そこはマグワイヤー家の屋敷であった。

 メイド姿の女性が荷台のドアを開ける。


「いってらっしゃいませ。ご主人様。」

「う、うむ。」


 車中から現れたのは緑色のドレスに着飾り、化粧を施したアナスタシアであった。戦場で見せた凛々しさはどこへやら。


「一つ聞いてもよいか?」

「はい。なんでございましょう?」

「その……このドレス似合っているか? お母様の真似をしていると笑われないだろうか。」

「(この質問四回目……)はい、とてもお似合いでございます。ルナマリア様とはまた違った魅力を醸し出しておいでです。」

「そ、そうか。そそそそれでは、行ってくりゅ。」


 メイドは最敬礼をする。アナスタシアがマグワイヤー家の門を潜ると、ひつじ達が出迎えに来ていた。


「お待ちしておりましたアナスタシア・ルミナス様。ルクシオン様は庭園にてお待ちです。ご案内致します。」


 マグワイヤー家の庭園には、丁寧に手入れされたピンクローズが一面に咲き誇っていた。


「ルクシオン様、アナスタシア様がご到着されました。」


 ピンクローズを眺めていたルクシオンは振り返る。


「こ、この度は私の為に時間を割いて頂き、誠に有難うございます。」

「ふふっ、どうしたんだいアナスタシア。そんなにかしこまって。おや、そのドレスは確か……昔、ルナマリアが着ていた。」

「は、はい。お母様が、私が大きくなったら是非着て欲しいと言っておりましたので……へ、変でしょうか?」

「いや、とても似合っているよ。二十年前の私なら間違いなく惚れていただろうね。」

「ほ、惚れっ。」


 アナスタシアの顔は真っ赤に染まる。


 一瞬訪れた静寂を破るように、金髪の女性と青年が現れた。


「あら、それは聞き捨てなりませんね。私という者がいながら。……お久しぶりですね、アナスタシア。」

「フローラ叔母様。それに、ハラルド殿まで。」

 

 女性の名は『フローラ・マグワイヤー』。ルクシオンの妻であり、ルナマリアの妹。即ちアナスタシアの叔母である。

 フローラと共に現れた青年は『ハラルド・マグワイヤー』。ルクシオンの息子であり、アナスタシアの二つ年下である。


「怒らないでくれよフローラ。それより、君はどう思う? アナスタシアのドレス姿は。」

「えぇ、とてもお似合いですよ、アナスタシア。お姉様が帰ってこられたのかと思ってしまった程です。」

「そ、そんなお母様と比べられると……そ、そう、本当に綺麗なピンクローズでございますこと。ずっと見ていられる。」


 不安だったドレス姿を褒められたアナスタシアは、嬉しさのあまり話題を強引に変えた。


「えぇ、ひつじ達と愛情こめてお世話をしていますの。ハラルドもよく手入れをしてくれていますのよ。」


 アナスタシアはハラルドと向かいあう。


「お久しぶりです、ハラルド殿。先日、マルクと会ったのだが、あのやんちゃ坊主同様、見ない間に逞しくなられましたな。」

「光栄です、ルミナス卿。ヴェスティアノスでのご活躍はお聞きしております。弟弟子として誇りに思います。」

「弟子といえば、マルクは今ルクシオン様とヴィオラ様の元で剣の腕を磨いているとか。」

「はい、彼とはよく手合わせをします。ですが、私が勝ちそうになると、加護を使われるので困っているところです。ホーネット卿がそのままヴィオラ様に怒られるまでが、いつもの流れですが。……ルミナス卿は、まだ剣技が習得出来ていないとお聞きしましたが。」

「……あぁ、まだ、な。私も其方達と共に修行せねばな。まだまだ未熟だ。」

「それは楽しみです。まだ、一度も貴方に勝てていないですから。」


 アナスタシアとハラルドは共に切磋琢磨してきたライバルである。アストラムの加護を受け継いだアナスタシアとは違い、ハラルドはルクシオンが健在の為、加護の力は有していない。


「それでは、行きましょうハラルド。アナスタシア、ゆっくりしていってくださいね。」

「それでは、また。」


 フローラとハラルドは屋敷に戻っていった。


 二人と入れ替わるように先程のひつじが紅茶を運んでくる。


「この紅茶の香りはやはり落ち着く。昔、ルナマリアに勧められて以来、私も虜になってしまったよ。」

「はい。私もです。南東部のラザンにて、生産量を増やしてはいますがまだまだ高級品。全ての民にこの香りを知ってもらうことが私の小さな夢です。」


 紅葉の香りで緊張のほぐれたアナスタシア。とても懐かしく、そして悲しい目をしていた。


「なぜ、此度の戦で、皆私を称賛するのでしょうか。」

「……。」


 突然、会話の雰囲気が変わる。だが、ルクシオンはこうなる事を分かっていたようであった。


「私は多くの兵を預かり、命令を下し、そして死なせました。オケアノスの攻防では二万もの兵が……。私は糾弾されると思っていたのです。」

「君が称賛されたのは、ヴェスティアノスから領土を奪還し、敵国の皇子フラクトールを討ち取ったからだ。アナスタシア・ルミナスという総司令がいなければ、アルカディアの民の血はもっと流れていただろう。二万という数字が霞むほどに。」

「ですが……。」

「先にそのオケアノスについての話をしよう。報告では、アノスロッド率いる軍が索敵を掻い潜り、リメスを攻めたとのことだったね。」

「はい。」

「考えられる方法は二つ。一つは索敵部隊の索敵ミスだが、あのカエサルと連携していた以上、その可能性は低いだろう。」

「もう一つは?」

「君達が索敵をする必要のないと判断した場所を通ってきた、としたら?」

「索敵をする必要のない場所……まさか、ですが、あそこは。モノスの谷を通ってくるなど!」


 モノスの谷とはリメスとオケアノスの間にある峡谷である。谷の壁面にはいくつもの穴があり、モノスと呼ばれる巨大なウツボのようなモンスターがそこを通る者を捕食する。人間だけではなく、獣人にとっても非常に危険な場所として認識されている。


「あくまで仮説だ。敵はアルヴヘイム方面の防衛を弱めてまで、アノスロッドをオケアノスに向かわせたんだ。君を討ち取る為にそれ相応の代償を払う事をレイメイは選んだ。」

「ですが、モノスの谷を通過する場合、自軍にどれだけの被害が出るか分かっているはず……」

「アナスタシア、これが戦争だ。敵を倒す為なら、命すら平気で差し出す。その覚悟を持った者が勝つ。獣人達はモノスに捕食されても、その存在がバレないよう、声ひとつあげなかったのだろう。」


 ピンクローズの香りが風に乗って二人を包む。


「あの一ヶ月。私とレイメイでは覚悟が違った。私には自軍の兵を死なせることを前提とした策など……」

「仮説だと言ったはずだ。それに君の戦い方が否定された訳ではない。自軍の被害を抑えながら、勝ち進む君なくして、ヴェスティアノス遠征など不可能だったのだから。自分に自信を持ちなさい。」


 ルクシオンは紅茶を口に運ぶ。アナスタシアはリメス陥落における一つの仮説が聞け、少し納得した様子であった。


「……君は戦姫と呼ばれていたそうだが、そのことについてはどう思う?」

「とても辛いです。」

「辛い? 何故そう思うのか聞かせてくれるかな。」

「もし、お母様の夢見た、種族を超えた平和な世界が実現されたとしても、獣人にとって私は多くの仲間を屠った戦姫。彼らの戦姫に対する憎しみは消えることはない。私は人間と獣人が分かり合うのに、邪魔な存在となるでしょう。お母様の理想を阻むのは、自分なのではないかと。そう思うと、私はどうしたら……」


 途中で話すのをやめ、俯くアナスタシアを見て、ルクシオンはうっすらと微笑んだ。


「その理想を追い求めたルナマリアも多くの獣人を斬っていた。理想と現実は当然のように矛盾する。だが、これだけは覚えておいて欲しい。彼女の理想は間違いなく正しかった。夢物語のようなその理想を実現出来なければ、この世界に未来はないのだから。」

「ルクシオン様……。」


 二人のやりとりはもう少しだけ続く……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る