第7話 信仰と呪術

 翌朝、食卓を囲むバテル、ヘンリエッタとナタリア親子。その日の朝食は、昨晩のご馳走からナタリアが更に一工夫加えたものであった。一方、彼女の母、メリッサだが、今朝も体調は良好で、ナタリア曰く、一緒に朝食を摂れるのは久しぶりとのことだった。


「バテル君達はカフカに向かいたいのよね。今日中には村を発つの?」


 口に食べ物が残っているバテルに代わってヘンリエッタが答える。


「いえ、急いではいませんので。今日である必要は。」

「ゴクン。なにかお礼がしたいんだ。」

「お礼?」

「うん。美味しい物を食べさせてもらって、着る物ももらって。何か恩返ししたいってヘンリエッタと話していたんだ。」

「そんな恩返しなんて……私達もバテル君達と話せて楽しかったし。じゃあ、明日までこの村に泊まっていかない? 明日はその、私とアイクの結婚式があるの。村のみんなでお祝いしてくれるんだけど、バテル君達も一緒だと嬉しいな。」

「結婚式、見てみたい!」

「決まりね。お母さん、いいでしょ?」

「えぇ、もちろん。人は多い方が楽しいわ。」


 その時、ドアを叩く音がした。ナタリアが対応する。


「おはよう、ナタリア。あら、アイクから聞いた通り、元気そうねメリッサ。あっ、もしかして貴方達が噂の冒険者さん? 確か、金髪のボクがバテル君よね。そして、あなたがヘンリエッタさん。」


 朝からナタリア家を訪れた黒い長髪の女性はフレンダという。アイクの母親である。後ろにはアイク本人もいた。


「あらフレンダ。朝からどうしたの?」

「貴方の様子と可愛い冒険者さんを見に来たのよ。昨晩は宴の仕込みで忙しかったから。バテル君のその服、いい感じね。子供の頃のアイクより男前よ。」

「ちょっとお袋まで。昨日もナタリアに同じ事を言われたんだぞ。」

「あらそうなの。」


 朝食を済ませたバテルとヘンリエッタはアイクとナタリアに連れられて、カナット村の村長ヘーデルの元へ挨拶に向かった。その道中、村人の二人へ向ける視線は、歓迎と警戒が混ざっていた。


「村長、紹介しよう。こっちの子がバテル君。こちらがヘンリエッタさんだ。」


 会釈をする二人。村長の口数はとても少なく、彼の家内であろう老婆が主に旅人達を歓迎した。その老婆曰く、村長は元々口数は少ないらしい。少しして、ヘンリエッタがある話題を振る。


「ヘーデル村長、ご存知でしょうがここに来るまでにゴブリンの縄張りを示すマークがありました。ギルドに依頼を出されたほうが……⁈」


 突如、ヘーデルの様子がおかしくなる。目は虚になり、ぶつぶつと同じ言葉を呟く。


「大丈夫、あのコロニーは安全。大丈夫、あのコロニーは安全。大丈夫、あのコロニーは安全。大丈夫、あのコロニーは安全。大丈夫、あのコロニーは安全。大丈夫、あのコロニーは……」


 その気味の悪さに唖然とする二人。アイクとナタリアは慣れたようにヘーデルを奥の部屋へと運び、他の村民と何か話をした。


「すまないね、二人共。村長、あの一件依頼、ゴブリンの事になるとあぁなってしまうんだ。」

「あの一件とは?」


 アイクとナタリアは二人を日当たりの良い場所に連れて行く。芝生の上に腰を下ろすと、彼は数日前にあった事を話し始めた。


「実は二人が来る前に、ある男がこの村を訪れたんだ。その男は『キャスパー』という名で、ゴブリンのせいで野宿できなくて困っているとのことだった。」

「僕達と同じだね。」

「あぁ。そのキャスパーが来る前、ゴブリンの件をギルドに依頼するかどうかで議論が行われていたんだ。ゴブリンの危険性とギルドへの依頼金を天秤にかけた議論。ゴブリンはコロニーの長が慎重な奴なら、刺激しない限りは安全だからな。それでもメリッサおばさんはゴブリンの繁殖が爆発的に増えると縄張りの広域化で村が危険になると訴えた。」

「確かにそうだ。ゴブリンの繁殖については未だに分からないことが多い。判断を見誤った結果、Bランクになった例もあったはずだ。」

「……結局、村長の決定により、皆でお金を出しあい、エノールのギルドに依頼する事に決まったんだ。そこにキャスパーは現れた。」


 表情の曇るナタリアとアイク。


「キャスパーは泊まったその日に、村人達を集めて自分の思想を訴え続けた。」

「自分の思想?」

「なんでも、大賢者アレイスターの復活についてとかいうよく分からない思想だ。」

「大賢者……アレイスター。」


 ヘンリエッタは未だかつてない動揺を見せた。『大賢者アレイスター』、彼女にとってその名前はとても重要なものであるのはまた後の話。


「ヘンリエッタ?」

「あっ、いえ、すいません。取り乱しました。アイク、話を続けてください。」

「キャスパーはアレイスター復活の為に奴が司教を務めるアレイスター信仰にこの村が協力するよう求めた。村民はそんな事に興味はないし、お布施といって金銭を要求するキャスパーに文句をいう者もいた。」

「まぁ、そうでしょうね。」

「キャスパーは村民がなびかないことを知ると、それ以上は何も言わなかったんだ。」

「それが村長の様子がおかしくなったことと何の関係が?」

「……次の日の未明、村長はキャスパーと共に森から帰ってきたんだ。俺達が眠っている内に二人でゴブリンのコロニーを見てきたそうだ。村長を危険な目に合わせたキャスパーに皆は怒った。そして、追われるように奴はこの村を去っていった。それからなんだ。急に村長があのコロニーが安全だと言い出したのは。」

「それで、ギルドに依頼を出していないと。」


 アイクは黙って頷く。ナタリアは彼の話の最中、険しい顔をしていた。


「どうしたの? ナタリアお姉ちゃん。」

「この話にはまだ続きがあって。そのキャスパーが村を去ってすぐにお母さんの体調が急に悪くなったの。お母さんは昔、薬学、魔法医学の研究をしていて、この村唯一のお医者さん。そのお母さんでも自分の体調が悪い原因が分からないの。エノールの街に連れて行こうとしたけど、お母さんが森に入ると、ゴブリンの影がチラつくように。まるで、この村から出さないようにしているみたいで。」

「……私がメリッサさんを診てもよろしいですか?」

「い、いいけど。ヘンリエッタさんは医学に心得があったの?」

「そうなの⁈ ヘンリエッタ!」

「「えっ?」」


 バテルが驚いた事にナタリアとアイクは驚いた。ナタリアは旅人ヘンリエッタに母の問診をお願いすることにした。


「どう、ヘンリエッタ。何か分かる?」


 ヘンリエッタはメリッサの腕から首回りを触っていく。


「……昨日は気づきませんでしたが、魔力に淀みがあります。」

「ヘンリエッタさんも魔法が使える方でしたか。そう、体調が優れない原因はこの淀みなのです。私の持てる知識の全てを使い、処置を施しましたが、どうすることも出来ず……ゴホッゴホッ。医学を修めたのに、情けない限りです。」

「ヘンリエッタさん、お母さんは治るの? どうしたらいいの?」

「申し訳ありません。残念ながら治し方までは。ただ、淀みが発生する原因は二つ。一つは病気、これは薬で治すことが可能です。もう一つは呪術と呼ばれる闇魔法の一種です。」

「おそらくはその呪術でしょう。これに近い症状の病気に効く薬を飲みましたが、いっこうに。」


 ナタリアはメリッサを責める。


「そんな、なんで呪術のことを教えてくれなかったの!」


 メリッサは悟りを開いたような顔をして、肌の荒れた自身の手を見つめる。


「病気の可能性があったからです。それに、呪術はそれを行使した者がいるということ。もし貴方がそれを知れば、その者を探すかもしれないと。」

「その者……まさかキャスパー? あいつなのね! なら直ぐに追いかけないと。」

「やめなさいナタリア。あの男がこの村を発ってから大分経ちます。それに、キャスパーが犯人なら不可解なことがあります。」


 ヘンリエッタがその続きを説明した。


「呪術を行使した者はその対象者から一定以上離れられず、また、その者を定期的に視認する必要があります。つまり……」

「この村の誰かがお母さんに呪術をかけている、ということ?」

「呪術は継承することができます。厄介なのは呪術の行使者からそれを継承する者は魔力の有無が関係ないことです。継承する条件は魔力を有している、もしくは対象となった人間を憎んでいる感情があるかどうか。」

「そんな、お母さんを憎んでいる人なんてこの村にいるはずが……。」


 村人を疑い始めたナタリアにメリッサは釘を刺す。


「やめなさい……証拠はありません。それに全ては憶測。ナタリア、村の人達を疑うことは決して許しません。分かりましたね。」

「……はい。」

「メリッサさん、体調を崩されてから村長さんとはお会いに?」

「いえ、一度も。ですが聞く話によると村長さんも様子がおかしいとか。ゴホッゴホッ!」

「お母さん! 大丈夫? ゆっくり休んで。」


 ナタリアはメリッサの上体を支えながら、彼女を横に寝かせた。そして、愛する母が少しでも楽になればと、その背中をさすった。


 ナタリアは複雑な思いであった。明日、自分達の結婚を祝ってくれる村民達。その中に母を苦しめている者がいるという可能性は彼女にとって辛い事実であった。


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