黄昏時の物語

霜月かつろう

黄昏時とドラゴン

 ゴオォと風が吹いた。


 その瞬間世界は、風の音とその風によって舞う桜の色に覆わられたかのように見えた。新調したばかりのセーラー服のスカートが風にたなびく。


 高校の入学式を終えた学校の帰り道、ふと見つけた公園が春の陽気でとても気持ちよさそうに見え、足を踏み入れた瞬間の出来事だった。


 突然まぶたに衝撃を感じて反射的にグッと、目を閉じる。再び目を開くと目の前に広がる光景に思考が停止した。


 桜色に広がっていた公園は刹那で赤く染まっていた。夕焼けと勘違いしてしまう。しかし、太陽はまだそれほど傾いてはいない。そして……。


「……ドラゴン?」


 自分でも間抜けな声を出してしまったとは思う。しかし、先程まで噴水だった場所にドラゴンがたたずんでいた。体中を覆うのは赤く染め上がった無数の鱗。ガッチリとした四肢は大木の様に太く、その先には鋭い爪が並んでいる。尻尾はびっしりと鱗に覆われ先に行くほど細く固いものに見える。大きな翼はその巨体を飛行させるに相応しい迫力。トカゲより凛々しく見える顔に知性を感じさせる瞳は恐怖というより絶望を押し付けてくる。


 ドラゴンと言えばいま読んでいるファンタジー小説の中でもそれは伝説の存在だった。その世界で普通の暮らしをしていてはお目にかかることのない存在。いるかどうかもわからない存在。


 それなのに……日本の……しかもこんな郊外の街中になんでドラゴンが?物語の中の生き物。しかもその物語の中ですら伝説とされる生き物なのに、リアルの存在として目の前にいる。幻覚や夢かもしれない。しかしそうでないと本能が告げている。質感ははっきりとしており、そこにあるといわんばかりの迫力はそれを実在のものと認識するには十分だった。そしてさらに本能は告げる。死の可能性を。弱肉強食の世界の道理を。


 ガバァ。


 丸のみされてしまいそうなくらい大きな口が開きながらこちらを向いた。その口内の奥に赤く燃え上がる炎が見える。ドラゴンの息は炎を生むと小説にも書いてあったがそれだろう。小説では伝説の盾がその炎を防いでいたがそんなものはここにはない。燃えかすになること以外に選択肢がない。今日から高校生活が始まったというのに人生そのものが終わるなんて想像もしていなかった。


 炎は大きくなりドラゴンがうねり声を上がるとともにそれは勢いよく噴き出す。


 近づいてくる炎が他人事のように感じられゆっくりと見えた。新品の学生鞄を目の前に掲げ盾の様に構えてみる。小説ではこうやって構えれば防げたのだ。伝説の盾と学生鞄という絶望的な差はあるので防げるはずはないけれど。死を覚悟して目を閉じる。走馬灯のようなものはないものなんだとのんきなことを考えてしまう。


 特に取り柄もなく運動は苦手で本を読むことは昔から好きだった。色々な世界に憧れをいただいた。いま読んでいるファンタジー小説はドラゴンを倒し、その牙で剣を作るところで閉じてしまっていた。その手に入れた武器で次の強敵へ向かうようだったが続きが気になる。


 そんなことを思っても、もう死ぬのだからどうしようもないんだ。しかし、いくらまっても意識は途絶えることなく、それどころか熱さもほとんど感じない。不思議に思って恐る恐る目を開けた。そこには炎を防ぐ学生鞄があった。


□□□□


 人の想像力とはすなわち創造力だ。人との進歩は想像と創造が担っていたと言ってもおかしくはない。それはそうなのだろうとは理解している。しかし、目の前のドラゴンとその炎の息吹。そしてそれを防いでいる女子高生の姿。それが人の想像力の賜物だといわれても信じられなかった。それが自分と同種の力だと知っていてもだ。自分の力とは違いが大きすぎる。これも想像力のベクトルの違いだ。しかしあれでは長くは持たない。距離を詰めるために走り出す。


 使いなれた手つきでベルトに付けられたホルダーからゲーム機を取り出す。旧式のそれはディスクを脱着するためのexitボタンがあり、勢いよくそれを押した。


 カシャッ。そんな音とともに飛び出したディスクが宙に舞う。目当てのディスクをホルダーから取り出すと空になったゲーム機に差し込む。そうしてから宙を舞っていたディスクをホルダーに戻した。


 パシャ。空いていた取り出し口を勢いよく閉じると目の前に掲げる。そうしなくてはならない訳ではない。気分の問題だ。あとはイメージする。自分が得意なこのゲームを。格闘ゲームのキャラクターを。2丁拳銃を持ち、時を止めることができるチートとすら呼ばれる最強のキャラクターの存在を。


 派手な音楽とともにゲームのオープニングが始まる。それに呼応するようにゲーム機は光を帯びていく。その光は次第に大きくなり人の形をなしていく。《ティムタ・ロンゾ》それが彼の名だ。彼は私の意思に従って動いてくれる。2丁拳銃を構えると唯一攻撃が通りそうな瞳へと狙いを定めると引き金を引いた。


 軽めの発砲音の後、火を吹き続けるドラゴンの瞳へと着弾する。表現しようのない悲鳴をあげながらドラゴンがのけぞる。攻撃は効くようだ。相性は悪いとは思うがなんとかなるだうか。


 女子高生が困惑した顔でコチラを見ていた。


「大丈夫。私は味方よ。良ければその剣でアイツを倒すの手伝ってくれないかしら?」


 女子高生はさらに驚いた様子でその手に握られた剣をまじまじと見つめる。


「えっ、なんで……私はいったい?」


 その様子だと白銀に輝くその鎧も気づいていないのかもしれない。先程までセーラー服だったそれは、ライトノベルのファンタジーに出てくる姫騎士が来ていそうな美しい装飾の鎧へと変化していた。左手には学生鞄が変化した盾。右手には剣が握られている。


「あなたはファンタジーが好きなの?」


 その言葉に女子高生は更に戸惑った様だった。


□□□□□


「あなたはファンタジーが好きなの?」


 突然現れたお姉さんは訳のわからない私にそんな質問をしてきた。ドラゴンがいて、火を吹いて来たと思ったら学生鞄であったはずのものが盾と変化して防いでいるし、気づいたらドラゴンが苦しみだして変な男の人を連れたお姉さんが現れるし。その変な格好をした筋肉隆々のお兄さんは宙に浮いてる気がするし。


 質問の意図もわからない。確かにファンタジーは好きだと思うけど目の前のドラゴンを見てワクワクなんてしなかったし、今おかれているこの状況も訳がわからないままだし、現実がファンタジーなのかファンタジーの世界に来てしまったのかもわからない。


 そんな風に頭のなかをぐるぐると思考が渦巻いていると、片眼を潰されたドラゴンがコチラをにらんでいるのに気づく。


「えっ、あっ、ヤバいんじゃぁ……」


 その声にお姉さんは冷静にドラゴンを確認した。


「お願いロンゾ……時間を止めて」


 へ?


 時間を止めるなんてそんな話……。


「ロンゾ……全弾撃ち抜きなさい」


 えっ?なんでドラゴンの顔が横にあってドラゴンはコチラを見失ってるの?時間が跳んだみたいにドラゴンの位置が……いや、私たちの位置が変わっていた。


 パスッ、パスッ。と軽い発砲音が立て続けにドラゴンを襲う。しかし、硬い皮膚に阻まれてドラゴンの反応も小さい。


「やっぱり硬いみたい。あなたはそれを振れる?出来ればお願いしたいのだけれど」


 お姉さんは私の右手にある剣を視線で指すとそんな風にお願いしてくる。


「振ったことなんてないです……」


 剣道部でもなく、運動は苦手。でもお姉さんは笑顔で微笑み返してくる。


「大丈夫。技術は必要ないの。必要なのはイメージ。あなたが好きなそのお話のイメージ。そのイメージにあなたの感情を乗せてみて」


 イメージに感情を乗せる?今心にあるのは不安だ。恐ろしくあり、こんな状況に少しだけワクワクしている。そう、このファンタジーの主人公もいつだって不安だったのかもしれない。自分の力を信じきれず、人の期待に応えて冒険を続けるのだ。そうやって剣を振るっていた。そうだ。こんな風に……。


□□□□□□


 正直に言えば想定以上だった。ドラゴンの強さも女子高生の才能も。


 光かがやく剣に切り裂かれたドラゴンはほのかに赤く光る細かい粒子へと変化していく。その変化を呆然と見つめる女子高生。


「……キレイ」


 そう呟いたのを聞いてそれこそ想定以上なのかもしれないと思う。力に目覚めてしまった以上戦いから逃れることはできない。それを思うと才能はあるに越したことはない。先輩として道は示してあげなくては……。


「ようこそ、物語の世界へ」


 伸ばした右手を女子高生はポカンと見つめた後、恐る恐る手を握ってくれたのだ。


 彼女はこれから大変な日々を送ることになるのだが、それはまた別の話だ。


□□□□□□


 黄昏時。


 太陽が沈み闇が訪れるまでの僅かな時間。


 その時間、世界は自らの境界が曖昧になり物語と重なってしまう時間。


 黄昏時。


 そのわずかな時間。


 物語から溢れ出すもので世界は混沌に包まれる。


 黄昏時。


 世界から影がなくなるその刹那。


 世界は自らを見失い始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る