屍の屋敷

赤糸マト

屍の屋敷

 満月に照らされた深夜、広々とした、決して質素ではない部屋の窓から、一人の青年は眼下に広がる石畳の敷かれた広場の景色を見下ろす。


 青年の眼下には、いくつもの青白い光が漂うその景色にはやけに血色が悪い者や人体が白骨化した後の骨、生命の宿っているはずのない石像など動くはずのない無機物、そんな異形といえる者たちが白く優しい月光の下、数十人は踊れるであろう広場で各々思い思いに行動をしている。


 そんな異形の者たちの中をでっぷりとした、だがどこか気品を漂わせる服装の男が御殿のような広壮な屋敷へと、ビクビクと体を震わせながら歩みを進めている。


 青年は男を一瞥するとジャケットに袖を通し、部屋を後にした。


・・・


 草木も眠る丑三つ時。


 辺りはすでに暗闇に染まりきっており、明かりが無ければ一寸先すらも見通すことのできないそんな月のない真夜中、一人の少年がカンテラに灯る小さな光を頼りに森の中を進む。


 少年の名前はマルク・エドワード。ここから北西800mにある王国の貴族の息子であり、数日前に失踪している父親のゴートン・エドワードと父親の失踪直前に死んでしまった母親のメリッサ・エドワードの行方を追い、ここにたどり着いた。


「……ここか」


 マルクは森を抜け、眼前に聳え立つ、薄らと霧がかった屋敷を見上げる。


 屋敷には誰かが住んでいるのか、屋敷の窓の一つからは温かな光が漏れ出しており、時折窓の端にある人影が動いている様子が伺える。


 マルクはカンテラを動かし、周囲を観察する。


 屋敷の手前にある広場には頭や腕など腐り落ちた死体や、すっかり肉の無くなった骨、腕の良い彫刻家が掘り出したかような、見ているだけでも動き出しそうなほど精巧に作られた石像が散見される。


 一見すれば異常な光景で、通常であればこれを見た者はその異様さに恐怖し萎縮するだろう。だが、恐怖をしながらも、この光景を見たおかげでマルクは何か確信したようで、一人大きく頷く。


「……よし」


 マルクは改めて眼前の異常な光景を見る。気づけば広場には眼前の光景とは裏腹に、心地の良いゆったりとした音楽が流れはじめ、そして昇り始めた青白い光を放つ満月に広場が照らされ始める。周囲には、さきほどカンテラで確認した通り、腐りかけた死体や骨が散らばっており、まるで今にも動きそうな老若男女を模した何体もの石像は、中途半端なところで静かに地面を見下ろしている。再度、男は自身が異常な場所にいることを自分自身に刻み付け、マルクは意を決して異常な広場へと足を踏み入れる。


「なっ!?」


 が、その足は一歩進むのみで、眼前の光景に、マルクは次の一歩を踏み出せないでいた。


「うごいて……!?」


 マルクの眼には、月明りに照らされた無数異形の動く物体が映し出される。


 それは先ほどまで地に腐り落ちていた死体であったり、それはバラバラに崩れていたはずの白骨死体であったり、それは動くことによってより生々しさが増した石像であったり――


 異形の者たちは眼前の光景に恐怖し、震えるマルクの存在に気づくが、まるで自分には関係ないとでも言うように談笑やダンスなどを始める。そして、見るからに腐っている者がいるにも関わらず、そこから漂ってくる香りはラベンダーで、仄かに鼻孔を擽るのみ。


 そんな中、一体の白骨死体がカタカタとマルクへと近づき、その手を差し出す。


「な……なんだよ……」


 白骨死体は歯をカタカタと鳴らし、そしてしばらくすると屋敷へと向かって走り出す。


「……なんなんだ……ここ」

「彼らのことをどう思うかな?」

「なっ!? だ、誰だ!?」


 突然の声にマルクは声をあげる。声の方向には深紅のタキシードに身を包んだ中世的な顔立ちの、先端の尖った耳を持つ少年がにこやかな笑みを浮かべてマルクを見ている。


「え……エルフ……?」

「私かい? 私はこの屋敷の主であるジュセフだ。それで少年、この光景を見て君は何を思う?」


 ジュセフと名乗る青年は笑顔を絶やさずにマルクに問いかける。しかし、マルクは驚愕が抜けないようで、ジュセフの言葉を返せないでいる。


「ふむ、頭の整理が追い付いていないようだね。ならば、だ」


 ジュセフはそういいながら、マルクの腕を掴み持ち上げる。マルクの体はまるで風船にでもなったかのように、ふわりと軽々持ち上げられた。


「そろそろ終わっている頃だろう。屋敷へ来るといい。聞くより見る方が、見るより体感する方が早いだろう。」


 ジュセフはそのままマルクの腕を引き、屋敷へと連れていかれる。


「やっ、やめてください!!」


 しかし、屋敷への入り口の手前でマルクはジュセフの腕を振り払う。そして、威嚇するように自らの歯を剝き出しにし、ジュセフへと明確な敵意を示す。


「ここに父上と母上が来ているのは分かっているんです!! どこへやったのですか!?」


 マルクはジュセフへと精一杯の、しかし恐怖からか僅かに震えが含まれる怒号を浴びせる。ジュセフは少し驚いたようだが、それでもその余裕の姿勢は崩れることはなく、表情を驚きから先ほどまで見せていた柔らかな笑みへと作り変える。


「そうか、君はゴートン氏の……ならば私がどういう者かも知っているのだね?」

「ええ知ってますとも。死体を漁ってはこんな辺境の地の湖畔で亡骸を弄繰り回してるって、それに――」


 マルクは片手を広場へと仰ぎ、そこで蠢く人ならざる者たちを指ししめす。


「このように亡骸を傀儡として操り、死者への冒涜も甚だしい!!」


 マルクは息を切らしながらジュセフへと睨みをきかせる。しかし、そんな侮蔑を受けたジュセフだったが、少しだけ悲しい顔をしただけで、その表情は涼しげなものだ。


「まぁ、そう思われても仕方ないでしょう。実際私は死体を弄繰り回していますから。しかし、死者を冒涜しているという点については訂正していただきたいですね。見てください、彼らの楽しげな様子を」

「何を世迷言をっ!? 彼らに、すでに死んでしまった彼らに意思がっ、魂があるとでもいうのですか!!」


 マルクは先ほどよりも大きな怒号を周囲へと響かせる。しかし、先ほどとは違い、その目の端からは怒りよりも大きな内に秘めた悲しみが零れ落ちた。


「そうか、やはり私の行動に間違いはなかったよだな」


 マルクはジュセフとは違う声に、目の端を拭いながら顔を上げる。そこには、これまでマルクが探していた人物の一人、父であるゴートン・エドワードが開けられた屋敷の扉の後ろに立っていた。


「ジュセフ殿、倅が失礼なことを言ったようで」

「いえいえ、初対面だと大体こういう反応ですので慣れてるよ。ま、ゴートン氏もあまり人のことは言えないと思うがね」

「それを言われると面目ない。やはり、我々王国の民にとって死者が動き回るこの光景は慣れていないものでね」


 ゴートンはでっぷりとした体を揺らしながら愉快にジュセフに話しかける。そしてジュセフもまた、親し気にゴートンへと返事を返した。


「ち、父上!? 大丈夫なのですか!? この男は死者をっ、母上の遺体を攫い、父上をここに呼びつけたんだ―—」

「まぁ、そう慌てるでない。話を聞いてからでも遅くは無いだろう。いや、それよりも見た方が早いか。おーい、来なさい」

「なっ、父上、何を言って――!!」


 ゴートンは息子の糾弾を聞こうとせず、屋敷の奥へと声をかける。返事はなかったが、それで問題ないようで、ゴートンはマルクへと向き直る。そして、マルクの肩へ両手を置き広場へと振り向かせると、そこで行われている異形の者たちの饗宴を見せる。


「まず、お前の問を正すとしよう。このジュセフ殿は人智を超越してはいるが、お前の言うような非人道的なお方ではない。ほら見なさい、彼らの楽し気な姿を。私もお前同様にはじめは疑ってはいたが、彼らの行動は人間やエルフ、人類種のそれと同じ。そして、そもそも彼らが傀儡だとして、ジュセフ殿に何のメリットがあるというのだね」


 父の言葉に、マルクは改めて広場を見渡す。


 しばらく時間が経ち、その光景に慣れたため、最初こそ、畏怖や恐怖を感じていたマルクであったが、眼前で揺れ動く異形の者たちはマルクに対して何をするわけでもなく、その静かな音楽に体を動かしたり、穏やかに月を眺めたり、その場にいる異形の者同士で何かを語り合ったりと、その光景はまるで団欒を楽しむ人々のそれであり、見た目さえ目を瞑れば、そこには穏やかな光景が広がっているように感じ始めていた。


 そして、その中の、先ほどマルクに対して手を差し伸べた白骨死体はまるで旧友にでも会ったかのように、マルクに向けて親し気に大きく手を振った。


「そして、先ほど私がここに呼びつけられたと、そういっていたが、それは誤りだ。ここに来たのは……おや、どうやら来たようだな」


 ゴートンはマルクの両の肩に乗せた手をどけると、柔らかな自然な笑みをへと向ける。


「マルク……?」

「……へ?」


 マルクは聞き覚えのある声にゆっくりと振り向く。


 そこには、数日前に死んだはずである母親——メリッサの姿があった。


「かあ……さま……?」

「……マルクッ!!


 唖然とするマルクにメリッサは飛びつき、強く抱きしめる。その体は確かに生前の温かさはなく、ひんやりと冷たい死体そのものである。


「母様……かあさま……なのですね……?」

「ええ……そうですよ。あなたの母であるメリッサですよ」


 しかし、それでもマルクにはその奥底からくる温かさを確かに感じているようで、肌の冷たさに嫌がることなく、その体を強く抱きしめた。


「妻の死体については、持ち出したのは私自身だ。この通り、どうしてもジュセフ殿の元に運ばなければならなくてな」

「まぁ、こんな悍ましい場所に死体を持っていくなんて、他の方には言えないだろうねぇ」

「許してくださいよジュセフ殿」


 ゴートンはジュセフの言葉に苦笑いを浮かべる。そして、マルクへと向き直る。マルクとメリッサは気持ちが落ち着いたのか、その体を互いから離すと、ジュセフへと向き直る。


「ジュセフ殿、先ほどは失礼しました。無礼を詫びさせてください。そして、母上に合わせていただき、ありがとうございます」

「いつものことだ。気にしていないよ。それに君に会いたいといったのは君の母君自身だ」


 ジュセフの言葉にマルクはメリッサへと視線を向ける。メリッサはジュセフの言葉に対し、強く頷いた。だが、疑問の残るマルクはジュセフへと言葉を続ける。


「魂が……見えるのですか……?」

「魂……まぁ、あれらをそう呼ぶのであればそうだね。僕には生物の個としての核、人格を形成するものと対話できるんだ。それを用いて彼女や広場にいる彼らの意識を一時的ではあるものの、復活させているんだ」

「なぜ、そんなことを……? そんなしれ死霊術のようなことをしても、私のように人々からは畏怖や嫌悪をされるだけではないですか」


 マルクの問に、ジュセフは少しだけ考えるそぶりを見せる。しかし、どこか諦めたような表情で、マルクへと口を開いた。


「んー、そんなことを言っても、生まれたときから彼らの声が聞こえていたからねぇ。僕はそんな彼らに動かせる体を渡しただけだ。あ、ちゃんと犯罪者とか、危ないい人は弾いているよ。魂ってのはその人の人格そのものを形成するものだから、その本性は隠すことができないからね」

「それでも、通常一度死んだ者が動いたら人々は嫌悪するものです」

「それであれば君は、彼らに、君の母親に、自らもう一度「死ね」と言えるのかい? もう一度思い人に会いたいと思う彼らに、生前に残ってしまった後悔を払しょくするために、ただ、少しでもいいから長く、静かに暮らしたいと願う彼らに」

「そ……それは……」


 マルクは歯切れ悪く押し黙る。もし、母親が生き返っていなければ、「それでも」と彼はジュセフを糾弾しただろう。しかし、死生観の違いか、倫理観の違いか、「何か」が引っかかるマルクにとって、ジュセフの言葉が自信をもって正しいとは言えないでいた。


「おそらく君が引っかかっているのは、僕が生き返らせる対象を自分の価値観で選別しているからだろう。僕もそのことについては正しいとは思ってないよ。それもあって、僕は「死んだことのない」人々に迷惑をかけないように生き返らしてる。でも、それでも彼らの「生きたい」という思いを無視することはおかしいと僕は思う。そして、それ以上に彼らが「生きている」以上、彼らは人類種と同等に考えるべきだ」

「……」

「別に僕の意見を肯定する必要はないよ。各個人には己の考えがある。僕はそれを否定するつもりもないし、他の人が僕の意見を否定する時もその理由に耳を傾けたいと思ってる。だけど、その前に一度、一時でいいから見てほしい。彼らの「今を生きる姿」を。彼らが何を思い、再び生を受けたいと思ったのかを」


 ジュセフの言葉にマルクは顔を上げる。満月はすっかり上っており、辺りは青白い優しい光で照らされている。そして、そんな昼間のように明るい月夜の中、広場には確かに「今を生きる人々の姿」が映し出されていた。

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