それでもなお

衣谷一

01_見たくないものがいる

 学校が終われば部活。部活が終われば帰宅、それとも寄り道? 帰宅すればネットサーフィン、時々勉強? 放課後の過ごし方と言えばこんなところか。


 しかし、奈緒の放課後が変わってしまったのはいつからだったろうか。いつからそうなってしまったのかも本人には分からなかった。こんなことになってしまったのも理由は理解できなかった。納得もできなかった。


 本来は部活動があったけれども、奈緒は何となく具合が悪くて休むことにした。本来なら部活のメンバーで帰る帰途、いつもより早い時間帯を歩いていた。


 駅まで十数分の距離。電車に揺られて二十分。駅から家まで数分。


 何もないはずの時間。『ちょっと寄り道をして遊んでみよう』だとか、『ファミレスでスイーツを食べよう』だとか。帰りにできる楽しみはたくさんあるはずだった。一時間弱の道のりには誘惑がたくさんあるのだ。奈緒だって、以前は『楽しい』ことに興じていたし、時には一日はこのためにあるとさえ思っていたほとであった。


 それがどうして。


 顔は伏せがちになっているから全体に影が落ちているかのよう。寄り道に視線を目配せすることなく、まっすぐに道の隅っこを進む足取りは少し早かった。すれ違う何者かがいれば目だけをぎょろりと動かしてその姿を捉えた。通りすがりに首を絞められているようだった。


 その人が通り過ぎれば遮られていた息が漏れる。奈緒にとっては彼らの無関心こそが安堵させるのである。赤の他人の興味のなさが身にしみて、つい気を緩めてしまう。


 それがかえってつけ入るすきを与えるのである。


 ほんの少しだけだった。ほんのちょっとだけ、後ろの方へ目を向けてしまった。


 しまった、と思う余裕もない。緩んだ心に刃物が突き立てられる。


 視線の先には電柱が立っている。そのそばにたたずむ存在。それは、中年の男のようだった。柄に書いたような毛量のなさ、ビールをしこたま溜め込んだ腹の出っ張り。灰色の背広には赤い模様がついていた。奈緒を見つめる視線はぼんやりとしていて、本当に見えているのか。判然としなかった。


 けれども奈緒にとってはどうでも良いこと。それがいる、それだけで十分だった。どこで情報を仕入れたのか、それともずっと張り込んでいるのか。気がつくとそれが見つめているのである。いつから始まったか。気がついたらいたのだから、もしかしたら気がつく前からそうしていたのかもしれない。


 あるべきでない事実に奈緒は再び息ができなくなった。今度はあたりの空気を奪われてしまったかのような。とにかく、奈緒はこの場から離れるべく限界までの早歩きで駅を目指すのである。

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