憐幸のフィーネ

悠理。

憐幸のフィーネ


澄み渡る空を仰いでも、何も起こらない。

風を感じながらただ私は立ち尽くした。

目の前の赤い実のなった木の下に何があるのかも、きっと誰も知らないのだと。

その事を私は知っているのだ。

信じる者は呪われる。そう、私のように。


騒々しい店内で一人、紅茶をすする。

もう三十分になるだろうか。

本来なら既に友人と合流し、映画館へと向かっているはずだった。・・・寝坊というのは実に罪深いと思う。

周りを見ると、若い女性たちが楽しそうに談笑していた。

私もまだ十七とはいえ、あまりそういったタイプでもないのが少し悔しい。悔しかろうが人は中々変わってはいけない生き物なのだ。

ふとケータイを見るとメッセージが来ていた。どうやら後十分程で着くそうだ。

この際このままここで一人ゆったりとしていようかとすら思えてしまう。

ほんのりと眠気の残る頭のまま、私は席を立った。

食器を片付け店を後にする。二,三分程歩いたところに本日遅刻してきた友人がいた。

私を見つけると、自分の頭に手をやり笑う。駆け寄ってきた友人はごめんねと一言。

私は友人の頭を軽く叩くと、夕飯おごりねと笑った。


「あこはいいよねー。かっこいい彼もいて、成績も優秀で、しかも人間出来てる!…っは!もしかして神なのでは?」

「ちょっと意味わからないかなぁ・・・。どちらかと言えば私が凄いんじゃなくて、人類が追い付いてない感じ?」

見る予定の映画を楽しんだ後、私達は夕食をとりにファミレスへやってきていた。

各々が注文をし、届いた食事を楽しみながら何気ない会話をする。

こういった時間が私は好きだ。

同棲している彼との会話も勿論楽しい。だが、何かが違う。…気軽さだろうか。

「美咲はいつもテンション高いよね。疲れないの?」

そう問うと、私の友人はニンマリとして言う。

「あこが私を楽しい気持ちにしてくれるからだよ!ホント、最高の親友だよ!」

その言葉に私はほっとした。私自身はそこまで面白い話はできないし、友人を遊びに誘うセンスもない。

今回だって、美咲から声をかけてくれなかったら映画を見ることも外食をすることもなかったかもしれない。

いや、映画を見ることも外食をすることも、彼とならあり得るだろう。ただ美咲のおかげで友人としての楽しい時間を味わえる。

「美咲の方が明るくて友達も多いじゃない。未だに何で美咲が私を親友にしてくれるのか、分からないんだよね」

その言葉を聞いて、美咲はぷくっと頬を膨らませる

「もー!あんまりそういうこと言ってると私怒るよ!そして泣くよ!」

その後の美咲をなだめるのは大変だった。


二十時になり美咲と別れる。今日は彼も帰りが遅くなると言っていた。

ひと気のない、薄暗い道を進んでいく。時折猫の鳴き声がした。

女性が歩くにしては少し危ない道かもしれない。

まあ、暗い道自体が危ないのではなく、暗い道に潜む人間こそが恐ろしいのだ。

この道にその類の人間がいるとすれば多分、私と彼の事だろう。

自宅マンションの前へとたどり着くと、見知った後姿がそこにはあった。

「おかえり」

その背に向かって私はそう言う。

「あこもお帰り。今日は楽しかった?」

「うん。美咲は明るいからね。私も元気もらえる」

言葉を交わし、私達は愛の巣へと向かった。

「お風呂沸かしたらあこは入る?」

「うん。ダーリンが入るなら」


翌日の月曜日、私は学校を休んだ。


そして気が付けば一週間が経ち、ケータイには美咲からの心配メールが届いていた。


「あこ・・・?」

胸元の歯型を見て触りながら、ダーリンが言う。

「どうしたのダーリン?私はちゃんとここにいるよ」

私はダーリンの堅い体を抱きしめる。

愛の巣に閉じこもってもう一週間なのか。

「そろそろ学校行きたい?」

潤んだ瞳には私しか映っていない。

「本当に行きたくないよ。ダーリンがお仕事から帰ってくるまで一人きりだけど、ずっとダーリンの事だけ考えていられる…。素敵な時間なんだよ」

唇と唇が触れ合う。

「僕も一週間、早く帰ることばかり考えて仕事していたよ。帰ったらあこと何をしようかって考えるのも、いつもより楽しいんだ」

絡み合う熱い体が擦れ合った。ぎゅっと強く抱きしめ合う。

「高校卒業までに頑張て資格とるから。そしたら一緒にお仕事しようね」

唇が、また触れ合った。


一週間ぶりの学校は、今までと何一つ変わらなかった。

美咲が絡んでくるのもいつもの事だし、つまらない授業そっちのけで別の事を勉強するのもいつも通りだ。

違うことがあるとすれば、久しぶりの学校なため自分が少し疲れていることくらい。

休んでいた一週間、私はずっと家の事をしながらダーリンの事を待つ日々を送った。外に出るのはスーパーへ行く時くらい。実に充実していた。

七日間毎日毎日ダーリンの事だけ考えて過ごす…。こんな幸せがあるとは思わなかった。

美咲と映画を見に行ったあの日、ダーリンは美咲に嫉妬していた。悲しそうに、寂しそうに私に甘えてくるダーリンは可愛くて食べてしまいそうになる。

一緒にお風呂に入った後髪を乾かし、そのまま布団に入った私達は他の誰も想像できないほどの甘い時間を過ごした。

それが忘れられず、一週間もダーリンの妻の様に過ごしてしまったのだ。

いずれはそうなると、お互い信じてやまない。

「あこ、今日は一緒に帰る?それとも図書館?」

「今日は図書館かな。美咲はどうする?」

「一緒に行くよ!私も勉強したいし」


学校から図書館までは歩いて十分程。図書室で勉強してもいいのだが、本の量や机の大きさを考えると、やはり図書館に行ってしまう。

美咲と図書館はよく行くのだが、それを話すと他のクラスや学年の人はみんなびっくりする。実を言うと、うちの学年でテストの順位が発表されると、必ず一位と二位に私たちの名前が載る。

性格や言動からは想像できないが、美咲は結構頭がいい。

私が一つのジャンルを深く勉強するのに対して、美咲は広く浅く勉強する。漢字検定の準二級が浅いかはわからないが・・・。

クラスでは私たちがよく勉強会をしているのは周知だが、その理由はあまり知られていない。

私はダーリンの助手を務めるべく、法律を。美咲は将来の事が決まらないために様々な知識を集めている。資格を沢山取り、私なんかよりもよほど色々な知識を美咲は持っていた。。

「美咲」

私は美咲を呼ぶと、わき腹を小突く。美咲は眉間にしわを寄せ、口を尖らせた。

「わき腹をツンツンするくらいなら爪の垢煎じて飲ませてよー!私も天才になりたい」

「いやいや流石にそれはきもいから…」

机に突っ伏し、美咲は大きなため息を吐く。

「あこはいいよなー何でもそつなくこなすし、きれいだし可愛いし頭いいし運動できるしなーんでもできるし!!」

図書館のためそこまで声は大きくないが、不満げに言う。美咲は勘違いしているのだ。私はまるで思考を放棄したただの動物だというのに。

「千歩譲ってそうだとしても、美咲には美咲のいいところがあるんだから。私のコピーになったら親友解消だからね」

美咲の顔がパッと明るくなる。最高の笑顔で「ありがとう」と言うと急に真顔に戻った。

「私、今ならあこを抱ける気がする。今夜、家来ない?」


図書館からの帰り道、美咲は私が休んでいた一週間の事を聞いてきた。大層心配そうな顔で美咲は言う。

「今回はどうしたの?風邪にしては長かったけど・・・。一応みんなにはそう伝えてあるから安心はしてね」

美咲は私とダーリンの関係にうすうす気付いていた。だからと言って否定もしないし、肯定もしない。

「私もいつまでも無関係ではいたくないんだよ・・・。でも、調べたりなんてことはしたくない」

何かあるなら相談してほしいという事なのだろう。

・・・いい加減、美咲には知ってもらわなければいけないらしい。


今から何年前になるだろうか・・・。まだダーリンが大学一年だったころ。

私はまだ高校生にすらなっていなかった。

その頃はダーリンの事をイケメンで有名大学の法学部に入った人が近所にいる、程度にしか知らなかった。

学校での私は優等生で通っており、性格も穏やかで才色兼備という神様のような称号をもらっていた。

友人関係は広く浅く。合わない他人にも愛想を振りまき、気持ち悪いくらいに良い子を演じていた。

母子家庭で母親は昼夜問わず仕事に励み、私は学生をしながら家事を担当した。

一生懸命に働き続けた母は、私が高校に入ってすぐに倒れ、そしてそのまま亡くなった。

遡って、私が中学三年生の頃。私とダーリンは初めて出会った。

学校が指定したボランティアにたまたまダーリンも参加していたのだ。

家も近所だっただからか、その後は顔を合わせる度に挨拶をする程度にはなっていた。

ある時、私は帰り道の公園で時間をつぶしていると、それに気づいたダーリンが手を振ってきた。私がお辞儀をすると近寄ってくる。

「こんばんは。スーパーの帰りかな?そろそろ日も暮れる頃だし、たまにはおくっていくよ」

傍らに置いてあった袋を持ち、私を立たせる。

「大丈夫ですよ。今帰っても母はまだいませんし、家事は私が担当なのでいつも私のペースでやってるんです」

できる限り笑顔でそう答え、何とかやり過ごそうとした。

「これは驚いたな。その年で家事を担っているなんて」

立たせた私をもう一度座らせ、隣にダーリンも座る。

「マイペースに帰るのはもちろんいいけどあまり遅くなっても心配だから、道草に付き合ってもいいかな?」

愛嬌のある笑顔でそう言う。私を見つめるその瞳は、まっすぐだった。

これを機に、私とダーリンは頻繁に言葉を交わすようになったのだ。

交わす言葉の端々に、頭の良さや気遣い、優しさを感じ、私はいつの間にか好意を持つ。

しかし告白することは一度もなかった。

巷では少し噂になったりもしたが、私達は否定し続け、そして高校生となる。

ダーリンは今の職についた。


「美咲、私とダーリンの事だけど」

私は心配そうな顔の美咲に話しかける。

「今度、ダーリンに相談してみるね。二人だけの秘密とかそういうのもあるから・・・。私も美咲には安心しててほしい」

美咲は目に涙を浮かべてこちらを見る。

「少しでもいい。ゆっくりでもいいから、待ってるね」

そう言って私達は解散した。


玄関を開けても、そのにはダーリンがいない。

「今日は遅いって言ってたからな」

図書館で寄り道をしてもやはりダーリンは帰っていなかった。

私は息をつき、ソファにかばんを置くと、夕飯の用意を始める。

冷蔵庫を見て使う食材を出し、調理していく。

魚をさばくのは苦手なのだが、ダーリンが好きな煮つけを作ろうと思う。

ダーリンが帰ってきたら玄関まで行って、キスをして、リビングにかばんを持っていったらスーツを預かり、ハンガーに掛け、抱き合う。それが日課。

今日も、明日も、明後日も。

「こんなもんかな」

あとは煮るだけの状態までもっていき、一息つくと私は寝室へと向かう。

二人が濃厚な愛を育んできた場所。

ここに一人で座っているのが私は好きだ。お気に入りのぬいぐるみを抱いて、物思いにふける。

私は、ダーリンとの沢山の思い出を味わっていた。


十分ほど経った頃、玄関の鍵を開ける音がする。

私は急いで立ち上がると、走った。

「ただいま、あこ」

「おかえり、ダーリン」

私達は軽く唇を触れ合わせる。私はかばんを預かると、リビングへ向かった。

「今日はね、美咲の事で相談があるの」

スーツを脱いだダーリンは何だか疲れているように見えた。

上着をハンガーに掛け、ダーリンを見る。

両腕を広げたダーリンの胸に顔を埋めた。

「美咲ちゃんがどうかしたの?・・・流石に今回は心配かけちゃったかな」

「あの子はいつも心配してくれてるよ。でも私達に踏み込もうとはしてこない。距離感も分かってる凄くいい子だよ」

私にとって、私達にとって都合のいい存在。

「面倒なことになる前に、私とダーリンが健全であることを証明しないとけないかもしれない」

私がそう言うと、ダーリンは黙って私を抱きしめた。

キッチンをちらっと見ると、口を開く。

「ありがとう、あこ。今日は魚の煮つけなんだね」

そう言い、体を少し離した。

「でもご飯の前に寝室でお話ししようか」

この時に私が気付いたのは、ダーリンの辛そうな空気と、私の狂った愛情。


寝室のベッドへ座ると、唇を重ね合わせる。赤い表面に舌を這わせ、荒くなった息を必死で隠した。

「あこ」

ダーリンは私の名前を呼ぶ。

「僕はあこに酷い事をしてしまっているのではないかと思う時があるんだ。僕の勝手な感情であこを苦しめているんじゃないかって」

私の胸に頭を押し当てて、ダーリンは言う。

そんなことを思わせてしまっていただなんて、私は最低だ。

「ねえ、ダーリン。私は今すごく幸せなの。それは学校が楽しいからでも勉強が人よりできるからでも、まして美咲がいてくれるからでもない」

ダーリンをぎゅっと抱きしめると、私はもう一度唇を重ねる。今度は甘い粘膜を味わうように、ゆったりと。

腰から服の中に手を入れ、背中に手を這わせる。

唇を離すと同時に私はダーリンを強く抱きしめた。

私の頭を撫でるダーリンの手は、切り取ってしまいたいくらい大切なもの。

「今の仕事をしていると、僕には倫理観の欠如があることを感じてならないんだ。頭ではわかってる。だから仕事でも問題は無い。でももう苦しいんだ。あこが近くにいない事も、あこが僕の知らない不特定多数とすれ違っていることも。・・・美咲ちゃんと仲が良くなっていくことも」

ダーリンは私を抱いたまま横になる。私は強く抱きしめられ、背中へと回されていた手はぎゅっと力強かった。

「もう、あこへの想いでいっぱいなんだ」

抱きしめられたまま、九十度回転する。ダーリンの下になった私の首には、手がかけられていた。

震える手に、私は愛情を感じる。

ダーリンの背中に手を回し、抱き寄せる。力のなくなったダーリンの手はそのままに、私はダーリンの頭を撫でた。

「いいよ」

私はダーリンから手を離し、大の字になる。

「ダーリンにだったら何をされても幸せ。学校なんて、クラスメイトなんて…美咲ですらどうでもいいんだ」

ダーリンは私の首から手を離し、そして上半身を起こす。

「私の夢はダーリンと一緒に生きていくこと。ダーリンに殺されること。どっちでもあるの。ダーリンが耐えられないなら、私は学校なんて辞めてずっとここにいるよ」

その言葉にダーリンは安心したのか、寝そべっている私の上に重なるように横たわる。

「大好きだよ、あこ。愛してる。こんなに頼りない僕でごめんね。でもそろそろ限界なんだ。二人で起業でもするか・・・それとも」

私はそれを一番望んでいた。ダーリンは勿論それを分かっていて、こうしてくれたのだろう。


とある日曜日。とある社会人の借りたワンルームに、手をつないだ男女が寝そべっていた。

寒い時期だったからだろうか、窓から見える赤い実のなる木が美しい。

二人の手は繋がれていない方の先が無かった。

互いの右手を繋ぎ、左手は後日、その赤い実のなる木の下で見つかったらしい。

シルバーリングをつけた男女の左手は腐敗していた。しかし、がっちりと結ばれたその手を離すことは誰にもできなかった。

幸せそうに寝そべる二人は、きっとその木の下でいつまでも一緒にいるのだろう。


澄み渡る空を仰いでも、何も起こらない。

風を感じながら、ただ私達は立ち尽くした。

目の前の赤い実のなる木の下に何が詰まっているのかも、きっと誰も知らないのだと。

その事を、私達は知っているのだ。

信じる者は呪われる。そう、私達の様に。

ただ、これは私達にとって最も歪んでいて、それでいて幸せな呪い

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憐幸のフィーネ 悠理。 @yurimusic4

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