靴下の先っぽ

 産まれたのが六月だから、誕生日はいつも雨だった。


 そして今日は誕生日。


 天気予報では曇りだと言っていたのに、学校から帰る途中で雨になった。


 おれはいま、誰もいないバス停で雨宿りをしている。


 自分だけならべつに濡れても平気だけど、今日ばかりはそうもいかない。


「傘、持ってくればよかったな……」


 つぶやいて、ベンチに置いた紙袋を見る。


 すこし肩を痛めて部活を三日も休んでいるから気分も落ち込んでいるのに、地球は人の感情なんか気にせずに回り続けて、あっという間にを誕生日にしてしまった。


 そして今日のおれのこの気分、女子たちには関係ないみたいだった——



◆◆◆



——「好きです。付き合ってください!」


 呼び出された理科室前の廊下で、話したこともない女子が言う。


 ほのかに鼻をくすぐるアルコールのにおいが、ウザかった。


 告白にうなずくこともできないし、告る前に手渡された——たぶん誕生日プレゼントだろう——小さな箱を突き返すほど鬼にもなれない。


「ごめん。だれかと付き合うとか、いま考えてないから」


 おれの言葉に、話したこともない女子が涙を流す。


「そう、だよね。ごめん」


 精一杯の強がりなのか、微かに笑んでから、話したこともない女子は去っていった。


 これから体育館裏と道場裏にも、おんなじ理由で行かないといけない。


 とてもしんどいけど、ちゃんと断るのが最低限の誠意だと思う。


 小学生のころにも女子に何度も告られてきたけど、そんなときの恋愛感情なんて、相手も憧れでしかなかったから、「興味ねえし」ですませることができた。でも去年から告ってくる女子の本気度がちがって、その頃から、さすがに自分が「モテる側の人間」なんだなってことを、おれは自覚しはじめた。


 ただ野球をしていたいだけなのに、青春時代がそれを許してくれない。


 ため息をついて、おれは体育館裏へ向かった——



◆◆◆



 ——結局、四人に告られて、四人ともフッた。


 そして紙袋には、放っておくこともできないプレゼントが四つ。


 誕生日なのに、悪者になった気分だ。


 暗い気分に思わずため息をつくと、水たまりがはねる音が聞こえ、バス停から顔をのぞかせると、青い傘をさした同じ学校の女生徒がこっちへ向かってくるのが見えた。


 そのままの勢いでバス停に避難し、一息をついたのは、樋本百合ひのもとゆりだった。


「あれ、菊田くんじゃん」


 気がついて、樋本が笑う。


「あ、うん、お疲れ」


 女子たちとは距離を置いていたから、とうぜん同じクラスの樋本とも、ほとんどしゃべったことがなかった。


「菊田くんも雨宿り?」


 言って、傘をたたみながらベンチに座る樋本。


 少しずれて、おれは樋本と距離をとった。


「今日は部活ないの?」

「うん。ちょっと肩を痛めちゃって、休んでる」

「そうなんだ。ピッチャーだっけ?」

「ショート」

「あー、ごめん。ピッチャーとキャッチャーくらいしか知らないや、わたし」


 なにがおかしいのか、声をあげて笑う樋本。


「……樋本って、家このへんなの?」

「うん、そうだね。もうちょっと行ったところ。てか、わたしの名前、知ってるんだね。菊田くん、ぜんぜん女子の名前とか覚えてないと思ってた」


 当然だろ、とは言えなかった。


 学校でのことを知らない男子はいない。まだ女子とか恋愛とか興味のないおれだって、樋本が学校一カワイイコだってことくらい分かってる。


「……まあ、同じクラスだし」

「カワイイし?」

「え?」


 戸惑ったおれを見て、


「冗談だよ、冗談」


 樋本がまた声をあげて笑った。


 本当に冗談なんだろうか? 

 自信がないと、言えない言葉だと思うんだけど。


「それよりさ、これなに?」


 ピタッと笑いやんだかと思うと、こんどは興味津々の顔になって樋本は紙袋を指した。


 いそがしい人だなと思いながら、


「うん、誕生日プレゼント」


 と、おれはこたえた。


「え、きょう誕生日だったんだ?」


 こんどは驚いた顔になって、樋本が言う。


 うぬぼれかもしれないけど、自分の誕生日を知らない女子がいたことに、すこし驚いた。


「あー、そっか。だからみんな今日、ちょっとザワザワしてたのか」


 あごに手を当てて、納得する樋本。


「ひとの誕生日を勝手にイベントにしないでほしいよね、ほんと。あれマジで困る。こっちはまだ誰も好きになったことないのに、勝手にみんな、わたしを初恋の相手にしてるんだよ。わたしは、あんたらの思い出のイケニエかっつうの」

「ハハッ、そうだな」


 樋本の本音に思わず吹き出すと、


「あ、やっと笑った」


 樋本も楽しそうに言った。


「いや、そんな黒いヤツだと思わなかったよ、樋本」

「とか言って、おんなじこと思ってるでしょ、菊田くん」

「まあ。でもそこまで腹黒くないよ、おれは」

「わたしだって、ふつうはこんなこと人に言わないよ。ヤなヤツだって思われるのヤだし」

「優等生だしな」 

「そう、わたしは優等生で、マジメだから」


 その返しに、また吹き出してしまうと、


「でも困ったな。誕生日プレゼント、なんもあげるもん無いよ、わたし」


 と、困り顔で樋本が言った。


「そうだ。菊田くんにさ、わたしの秘密、いっこ教えたげる」


 その言葉にすこしドキリとして見ると、


「まあ、大したことじゃないんだけどさ」


 と言って、樋本は両方のスニーカーを脱いだ。


「ほら、これ」


 そして両足を前へ伸ばし、先っぽの赤い靴下を指さす。


「えっと……?」

「あれ、わかんない?」

「うん」

「ほら、靴下は白って決まってるじゃん。わたしたまにね、この靴下を履いて、こっそり反抗してるんだ」

「ああ、そういうことな」


 ちょっと呆れながら、でもたしかに学校のみんなは、このことを知らないんだろうな、と思った。


「こんど菊田くんも、やってみなよ」

「機会があればな」

「うん」


 満足そうにうなずき、スニーカーを履いた樋本が傘を突き出してきた。


「なに?」

「貸したげるよ」

「でもそれじゃ、樋本が濡れちゃうだろ?」

「家、近いから大丈夫だよ。それにほら、プレゼント濡らしちゃいけないと思って、ここにいるんでしょ?」

「え、なんで分かんの?」


 思わず聞き返すと、


「分かるよ」


 と言って、樋本は微笑んだ。


 その目が、なぜか寂しそうに見えた。


 そんな樋本を見ながら、「そうだよな、樋本は、だもんな」と、おれは思った。


「じゃあ、わたし行くね。傘はあした、テキトーに傘立てに置いといて。ぜったい渡しに来ないでよ。みんなにバレたら——」

「——分かってる」


 遮って言うと、ちょっと驚いてから、樋本はまた声を出して笑った。


「そうだね。うん、よね。じゃあ、また明日」


 いちど手を振ってから、カバンを雨除けにして、樋本はバス停を出ていった。


 その後ろ姿を見送って、おれは立ち上がった。


 帰ろう。


 雨はまだやまないけど、樋本の傘があるから、きっと大丈夫だ。


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