世界一クサいラブソング

13-1

午後から降り始めた雨は次第に強くなり、夜の冷え込みが一層厳しく感じられた。

何を着て行くかものすごく悩んで、デート服なんて持ってないけど、家にある中で一番それっぽいウエストが切り返しになっている厚手のワンピースを選んだ。


待ち合わせの吉祥寺駅までは、あいにくの雨なのでバスで向かうことにした。後ろから2番目の右端の席に座ってから、最初に湧き上がった気持ちは期待ではなく不安だった。ずっと楽しみにしていたはずなのに、早く会いたいはずなのに、このまま時が止まってほしいとさえ思った。少しでも自分を良く見せたいという自意識が働いてしまったら最後、自分の仕草や発する言葉すべてに自信が持てなくなって、いつもの私ではいられなかった。

終点が近づき、手鏡を取り出してメイクをチェックする。ほぼ毎日スーパーで顔を合わせている人に会うだけなのに、周りに聞こえているんじゃないかと思うほど心臓がバクバクと脈を打っている。そんな私の緊張の音をかき消すように、大粒の雨がバスの窓ガラスを叩きつけた。


バスは公園口の目の前に止まった。待ち合わせは北口の方なので駅構内を通り抜けて移動する。約束の時間の10分前だったけど、辺りを見渡すと既にしげさんが待っててくれていた。スーパーのエプロン姿の印象が強いので、グレーのダッフルコートを着たしげさんは普段より若く見えた。

「しげさん、こんばんは」

「あ、小坂ちゃん!」

「お待たせしました」

「ううん、僕もさっき来たところだよ」

「じゃあ、行きますか」

しげさんは、スーパーで会うときよりも落ち着いているように見えた。いくら仕事ばかりしているとはいえ、しげさんにもオフのときがあるんだなと思って、そんなしげさんにどうやって接していいのか戸惑った。

「すみません、付き合わせてしまって。お仕事も休んでいただいて」

「全然!エツコさん『私に任せなさい!』って張り切ってたよ。あと、社員の近藤君もいるから、お店のことは心配しなくて大丈夫だよ」

しげさんがいつものように笑ってくれたのでようやく少しほっとした。


「たぶん、この辺りです」

「あれかな?」

しげさんがビールの看板を指差した。

「ここです!」

木目調の壁がオレンジのライトに照らされた外観は温かみがあり、専門店らしい雰囲気が漂っていて期待が高まった。

階段を降りて店の中に入ると、左側がカウンター席、右側がテーブル席になっていて、奥にはカラオケが設置されていた。私たちはカウンター席に通されて、二人横並びで座った。

メニューを広げると、スタンダードなおつまみのメニューだけではなく、それぞれの種類のビールに合うオリジナルメニューも用意されていた。ドリンクのメニューは事前に調べてあって、私のお目当ては10種類飲み比べセット。10種類の中には、このお店でしか飲むことのできない限定ビールも含まれていてとてもお得なセットだ。

「私、これにします」

「僕そんなに詳しくないからなー、小坂ちゃんのおすすめは?」

「アメリカンペールエールは、あまりクセがなくて王道だと思います」

「じゃあ、それにしようかな」

「食べ物、好きなもの頼んでいいですよ。私はあまりこだわりないので」

注文をお任せすると、しげさんはメニューに大きくイラストが載っていたローストチキンとポテトサラダを注文した。

「小坂ちゃんは、こういうお店よく来るの?」

「いえ、初めてです」

「そうなんだ」

「一人ではなかなか来れないので」

「たしかに、一人で入るのは勇気がいるかもね」

ビールが運ばれて来て、まだ二人ともぎこちないまま乾杯をした。最初はしげさんにも勧めたアメリカンペールエールから。グレープフルーツのような香りとホップの苦味でさっぱりとした味わいになっていて、飽きのこないビールだと思う。次はベルジャンホワイトを一口。これもさっぱりとした味わいだが、さっきより酸味が強い。でも、とても飲みやすい。順序としては先にアルコール度数の低いものから飲もうと思いつつ、黒ビールにも手を伸ばす。焦したモルトによってチョコレートのような苦味と甘味が感じられてとても美味しい。

「味って、全然違うの?」

しまった。一人でビールに夢中になってしまっていた。

「全然違います。しげさんも一口飲んでみますか?」

私はしげさんにグラスを勧めて、一つひとつのビールの特徴を説明した。

「うわっ、苦っ!」

「今しげさんが飲んだのはインディアペールエールですね!ホップがたくさん入ってるので苦く感じると思いますが、ほのかに柑橘系の香りもして、慣れるとクセになります」

「ビールって、こんなにいろいろな種類があるんだね」

「そうなんです」

「小坂ちゃんがこういうの詳しいの、意外だな」

女の子でお酒好きなのは、マイナスだったかもしれない。いろいろ知識を話してしまったことを後悔した。

「...すみません、引きました?」

「そんなことないよ!小坂ちゃんが夢中になって話してるところを見れて、嬉しいって意味だよ」

自分のことを受け入れてもらえたみたいで、なんだか安心した。

最初は二人とも緊張感があったけど、お酒が進むにつれて会話も盛り上がった。しげさんが若い頃働いていたスーパーの店長が個性的な人だったらしく、その人のエピソードをモノマネしながら再現してくれて、知らない人のモノマネなのにお腹を抱えて笑った。しげさんは、すっかり出来上がっていた。


「よしっ!」

しげさんは突然大きな声を出すと、席を立って小走りで店の奥へと向かった。何が起きたのかすぐには理解できなかったが、気づいたときにはしげさんがカラオケモニターの前にいて、耳馴染みのあるイントロが店内に流れた。これは、通称”世界一クサいラブソング”として流行っている『Ice』という曲。動画投稿サイトで歌い手や芸能人がこぞってカバーしていて、若い世代ならたぶんみんな知ってるけど、お茶の間に浸透しているような曲ではない。タイミング的に曲を入れたのはしげさんだけど、こんな曲知ってるんだ。というか、みんなに歌声を聞かれてしまうお店で、しげさんが歌い始めたことが想定外すぎた。


_________________________________________


僕は魔法使いさ

君が壊れたときには 僕が触れるとすぐに元に戻せる


君のその顔から笑顔が消えたときには

僕の大きな手で頭をなでるから

嬉しくて笑うだろ


僕の魔法の力は 君が僕を好きなほど強まっていくみたいだ

どうしてなのかな?


君のその瞳が涙で滲んだときは

僕の腕の中で乾くのを待てばいい 

あっという間に ほら


君のか細い声で弱音が聞こえたときは

唇を重ねて僕が全て飲み込もう


君のその心が凍りついてしまったら

僕の体温でしか温められないだろう


溶けてしまえ

_________________________________________


しげさんはノリノリで、ときどき私の目を見ながら歌った。私に向けて歌ってくれているみたいで、恥ずかしくて、嬉しくて、笑ってしまった。こんなに酔っ払っているしげさんはレアだから、一緒に飲みに来て正解だった。

席に戻ってきたしげさんはとても満足そうな顔をしていた。

「しげさんが急に歌い始めるから、びっくりしました!こういう最近の曲も知っているんですね!」

「あ!おじさんだからってバカにしてたな?」

「えへへへ、バレました?」

「小坂ちゃんひどい!でも、今ので見直したでしょ?」

「はい!しげさんがカラオケで歌うの自体、意外でした」

「上手かったでしょ?」

「はい!」

それからは、お互いに見つめ合っては訳もなく笑いが止まらなくなって、会話にもならない謎の時間に突入した。人と関わることを避けて生きてきた私が、誰かと過ごす時間をこんなにも幸せに感じられるようになるなんて。生まれて初めて、誰かとずっと一緒にいたい、という感情が自分の中に湧き上がった。でも、楽しい時間には必ず終わりがある。


「もうこんな時間だ!あんまり夜遅いと危ないし、小坂ちゃん帰った方がいいよ」

しげさんがまとめてお会計を済ませてくれたので、お金を渡そうとした。

「いいよいいよ」

「いえ、私がお誘いしたので、払います」

「これくらいいいから。スーパーの店長、意外とお金持ってるんだよ」

そんなことを得意気に言われてしまうと、払ってもらうのがきっとしげさんを立てることになると思って、引き下がった。

「ありがとうございます」

「うん」


「しげさん、雪です!」

お店を出ると、数時間前まで勢いよく降っていた雨が静かな粉雪に変わっていた。背景の夜空とのコントラストで、その白さが際立って綺麗だった。

「今日は一緒に来てくれて、本当にありがとうございました」

改めてしげさんにお礼を伝えると、笑顔で「うん」と答えてくれたけど、足取りがおぼつかない様子だった。

「しげさん、大丈夫ですか?」

「うん、だいじょうぶー」

「...ほんとに、大丈夫ですか?」

しげさんはよろけて、その場にしゃがみ込んだ。

「しげさん大丈夫ですか!?」

しげさんの顔色は悪く、とても辛そうにしていた。お店ではずっと無理をしていたんだなとようやく気がついた。

「ごめんなさい、私、気づかなくて。どこかで休憩しますか?お水、買ってきますよ?」

「大丈夫、タクシーで帰るから、本当に大丈夫」

しげさんが無理して立ち上がろうとしたので、肩を支えた。

「ごめん、タクシー、呼んでもらえる?」

私はちょうどこちらの方向に走ってきたタクシーに見えるように手を挙げた。

「しげさん、本当に大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫、ごめんね。小坂ちゃんも、気をつけてね」

とても大丈夫そうには見えなかったけれど、しきりに「大丈夫」だと言うしげさんにこれ以上お節介なことはできなくて、心配しつつタクシーを見送った。

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