第40話 天使を救う為に、怪物にのみ許されたたった一つの冴えた嘘――承

 元々トゥルーは魔力SSだった。

 そんな彼女が、天使としての力を全て解放したら、そりゃ俺の体でもごりごり削られる。

 例えば直撃を受けていなくても、余波からレアルを守ったら肉体がそれなり抉られるくらいには傷つく。痛くないけど。

 かなり広い空間に出たが、次から次へと放たれる虚光ハイライトが一面の壁をあっという間に吹き飛ばす。

 トゥルーもエイトハンドレッドも、この場所がどうなってもいいと言わんばかりの気配だ。

 

 多分。

 ランクXに入りつつある。

 

 ただあの光が心臓や頭に直撃したら。

 間違いなく俺でも、自然治癒の暇もない致命傷で即死なのは分かっている。


 喰い散らかされたかのように欠損だらけになった体を確認して。

 それが修復されていく様を確認して。

 躊躇無く殺意しか向けてこないトゥルーの表情を確認した。


 この中でいたかったのはトゥルーの、人を殺す事しか考えていない様な顔だ。

 そんな顔も出来るのか、君は。

 そんな顔が出来てしまったのか、君は。


 レアルの様な催眠や洗脳とは違う。

 まるで一切の記憶を奪われ、戦闘兵器と化してしまったかのようなトゥルー。

 一体何をされたんだ。

 一緒にマーガレットアイスを食べた時の、純真無垢なお前はどこに行ったって言うんだ。

 オレンジが薄くて、バニラが濃いんだろう!?

 それを教えてくれるんじゃなかったのかよ……!?


「エイトハンドレッドと言いましたね」


「何かな?」


 レアルが息を巻きながら、悪魔を見るような目でエイトハンドレッドに言う。


「トゥルーに何したっていうんですか……あなたも催眠使いですか」


「催眠魔術は私には使えないし、そもそも私は魔力はCランクだよ」


 自嘲するように小さく笑って、エイトハンドレッドは言った。


「だが機器の知識ならそれなりにあってね。魔術改造によって“魔物”だった時代に戻ってもらっただけだ。心を封印し、誰を殺すべきか殺さざるべきかの区別だけさせ、古代の天使を再現した」


 レアルが爆弾でも見るかのような眼で、先程までトゥルーが眠っていたカプセルを見た。


「……まさかこのカプセル」


「知ってるのか」


「論文レベルですが。帝国が発案した、魔力で感情や自我を自在に出来てしまう魔導器です……ですが実在したなんて」


 曰く、生物の意識や自我、即ち心という概念は魔力で象られているらしい。

 だから外部から魔力を干渉させることで、書き換えてしまう事が出来るらしい。

 誰にも侵せない、犯せない禁断領域であるはずの心を、封印する技術。 


「ああ。その論文は私が書いた。思えば帝国の研究施設から追い出されたのもそれが原因だったね」


 まるで誇る事ですらないと言わんばかりに、エイトハンドレッドが語る。

 

「心はリミッターだ。そんなものがあったら、私達は何時までたっても扉を開く事が出来ない。私達は何も知ることは出来ない」


 再びトゥルーの中心から“虚光ハイライト”が放たれる。

 一瞬だけ光る隙があるだけに、何とかレアル共々かわせる。

 だが、俺ですらかわすという選択肢以外ありえない威力だ。さっきから光は地下の壁を突き進んでどこまで向かっているか分からない。

 まるで今のトゥルーの様な空洞が、どこまでも広がっているように見える。

 

「獣のリミッターを外すなら、ちょっと工夫してセーフティを付けてやればいい。それだけで天使もこの通り、綺麗に天使らしく活き活きとしているだろう?」


 獣?

 今、トゥルーの事、獣つったか?


「てめえは一体何が目的なんだ……」


 トゥルーの事を助けなければ、救わなければいけないのに。

 二年前から沸々と温めてしまったエイトハンドレッドへの恨みつらみが俺の前頭葉を塞ぎ始めた。


「あんたが泥棒の創世として人造で鍛え上げた人間、創り上げた魔物……それでどれだけの人が殺されたのか知ってんのか」


「大体何人、なら頭に入っているつもりだが」


「それで滅ぼした村の名前は、殺した人間の名前は、傷つけた人間の名前は、犠牲にした人間の名前は!?」


「採取するデータの対象じゃない」


「分かった。もう喋んなくていい」


 潰す。殺す。ぐちゃぐちゃにしてやる。挽肉にしたって心が満たされない。

 復讐心。

 テルースの笑顔、死んだ時の魚の様な眼。

 エルーシャの笑顔、全てを失ってからの拷問を繰り返した悲痛の表情。


 そもそもこいつが俺達から全てを奪った、元凶だ。

 テルース殺した髑髏の天秤の頭領。

 そしてエルーシャと俺を壊して、しかもその癖一人だけ落ち延びた。

 

 草原で三人で遊ぶだけの平和な世界は。

 全ての過去は、こいつに壊された。


 俺の体中、それで一杯になって、気付けばエイトハンドレッドのすまし顔に俺は拳を――。

 

虚光ハイライト


 だがまるでそんな俺を揺さぶり起こす様に、トゥルーの掌から放たれた光が、俺を弾き飛ばした。

 右腕に直撃し、肉体能力SSの体でさえも大方の予想通り、耐えきれずに吹き飛んだ。

 その衝撃に引っ張られるようにして壁に激突する。


「ライ!」


 激突しながら。

 いつか泣きじゃくりながら、トゥルーが俺の右腕を治した時の事を思い出す。

 そうだ、今は未来を何とかしなくては。

 トゥルーが苦しんでいる。

 レアルが俺の右腕に悲痛な顔をしている。

 

 何とかしなくちゃ。

 でもどうやって?


「ほぅ。今のは即興版とはいえ、唄をまともに受けてそれだけで済むか。不可逆な筈の天使の唄を以てしても回復するのは、新しい学習だ。興味深いね」

 

 肉体能力がSSだから。自然治癒は絶対だから。

 だけどそんな怪物でしかない俺に、傷つく事しか知らない俺に、どうやってトゥルーを救えるんだ。

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