20.知らなんだか
「え、ティオ様のお姉さまなんですかあ?」
まったく空気を読めていないらしい、クラテリアの声が静まり返ったホール内に響き渡った。学園に入学する以前に家庭教師に付き、礼儀やマナーを習得したとは思えない彼女に対しローザティアは厳しい声を放った。
「クラテリア・ツィバネット。そなた、仮にも男爵家の娘であるならもう少し言葉をわきまえよ。婚約者でもない者を略称で呼び、王族に対しても頭を下げぬ。それでは、ただの下品な娘としか見られぬぞ」
「へ? あ、だってティオ様はそれでいいって」
「確かに発言は許したが、無作法を許した覚えはない。口を閉じよ」
当たり前のように会話を続けようとしたクラテリアに対し、再度ローザティアの鋭い声が飛ぶ。さすがに黙り込んでしまった少女から視線を外し、王女は友人たるフランネル公爵令嬢に向き直った。先ほどまでとは異なり、友をいたわるどこか柔らかい顔で。
「それでアルセイラ。ティオロードがどのような愚かなセリフを抜かしたのか、教えてもらえるかな」
「姉上!」
「貴様に聞いてはおらん。愚弟」
この場でまず事情を聞くべきはアルセイラである、とローザティアは考えた。それ故の声掛けだったのだが、ティオロードは何が不満なのか口を挟んでくる。ただ、姉に一にらみされただけで第一王子と、その取り巻きたちはぴたりと固まったのだが。
「アルセイラ」
「は、はい。クラテリア様に対してわたくしが嫌がらせを度々行ったと、ティオロード殿下はそう申しておられます」
「心当たりは?」
「全くございません」
「だろうな。既に調べはついているのだが、そなたの言葉が欲しかったのだ。すまん……アレは、そなたの婿には似合わなんだようだな」
「……いえ、わたくしが至らないばかりに殿下にはご迷惑をおかけしました」
アルセイラの否定と、それに対するローザティアの言葉には会場内全てがしんと静まった。その中でたった一人、こそこそとその場から抜け出そうとした女性が素早く衛兵たちに両手を取られ、口をふさがれた。
「殿下。捕らえたようです」
「何だ、早かったな。つまらん」
その様子を確認したセヴリールの報告に、本気で王女はつまらなそうに唇を尖らせる。ただそれは一瞬のことで、すぐに表情を戻すと今度は実弟たちの方に視線を投げかけた。
「ティオロード。誠に愚弟だな、貴様は」
「でも! クラテリアがそう言ったのです!」
「当人の証言だけでは証拠にはならぬ。物としての証拠と、信頼できる者の証言を揃えて出せ。もしその娘が私にいじめられたと言ったら、貴様は証拠もなしにこの場で私を糾弾するのか?」
「い、いやそれはさすぐげっ」
あくまでもクラテリアの側につこうとしたティオロードだが、さすがにもしその対象が姉であればという仮定に即答はできなかったようだ。その口をローザティアの扇が一撃したのは、それを情けなく思う姉の突っ込みである。
「つまり先ほどの発言は、アルセイラが自分より立場が低いと思っての暴言か。アルセイラは私に非があると思えば、遠慮なく指摘をしてくれたのだぞ? 全く、我が弟ながら情けない。貴様なんぞに我が友をやれるか、この愚か者」
ぴしぴしと第一王子の額を畳まれたままの扇で軽く叩き続けるのは、姉である第一王女だからこそ為せる技。ぴし、という一撃で弟を昏倒させ、その扇の先端でジョエル、二ルディック、ステファンをするりと指し示して彼女は、怒鳴りつけた。
「貴様らもそうだ。婚約者のある身で他の女に惚れることが良いわけではないが、そういうことであれば己の身分を放り出してでも守ろうとはせんのか? 身分はそのまま、婚約者を放り出して自分は好き放題などということが許されるか、このたわけ者ども!」
「は、はいいっ!」
「申し訳ありません、殿下!」
「どうぞ、兄に免じてお許しを!」
「誰が許すか馬鹿者! ユージェスト兄上も、このことは既にご存知だぞ!」
慌てて頭を下げる三人の中で兄を出して逃げようとしたステファンを、その当事者であるセヴリールが一喝した。ガルガンダ家の長男ユージェストはおろか、実の父親である外務大臣ですら全て知っているのだが、そこまでは伝えるつもりはなさそうである。
「今の馬鹿な発言はともかく、これまでの愚かな行為、貴様ら四名分すっかりこちらに報告されておるわ。この学園はな、在籍する者が貴族や有能な平民であることもあって警戒は厳重であるし、そなたらの気づかぬ監視網も巡らされておるのだぞ」
「それらの情報を総合した結果、フランネル公爵令嬢アルセイラ殿はツィバネット男爵令嬢クラテリア殿に対し、いかなる悪意を持った言動もおこしておりません。ティオロード殿下、そしてこの場におられる皆様方も、そこはご理解ください」
「そ、そんな!」
「え、じゃああれは、誰なのよ」
ローザティアとセヴリールの宣言は、会場の中によく響き渡った。目を見張るティオロードの横でクラテリアが眉をひそめ、ぼそぼそとひとりごちる。それに気づいて王女は、感心したように目を細めた。
「ふむ。クラテリア嬢の疑問ももっともなことだな。私はそなたの自作自演を疑っておったのだが、どうやらそうではなさそうだ」
「あ、当たり前です! どうして、自分でそんなこと!」
「元気だけはあるな……ま、よかろう」
先ほど厳しく叱られたにもかかわらず、同じような口調でクラテリアはローザティアに言葉をぶつける。その表情に、王女は一つ頷いてみせた。
「クラテリア・ツィバネット。そなたが愚弟の妻になるなら、好きにするが良い。ツィバネットは後継者がおらなんだからな、これを婿に取れ」
「え?」
「は、はい! やったよクラテリア!」
姉の言葉を聞き、ティオロードが満面の笑みを浮かべた。しかし、クラテリアの方はキョトンと目を丸くしてローザティアと、そしてティオロードを見比べている。
「え? え? 何で?」
「クラテリア、どうしたんだ?」
「だって、ティオ様が王様になるんじゃないの?」
クラテリアのその発言は、何度も静まり返っている場内を最大限の静寂に包み込むことに成功していた。
そうしてあちこちからひそひそ、ぼそぼそと小声で話をし始める観衆たちの冷たい視線を、彼女に集中させることにも。
「知らなんだか? というか、この国の民であれば皆知っていると思うたのだが」
その中でローザティアは、あからさまに大きくため息をついてみせた。それからこほんと一つ咳払いをして、扇の先で自分を示す。
「我がファーブレスト王家は、該当者に問題がない限り第一子が王位を継ぐ習わしだ。つまり、現在の国王陛下の跡を継ぎ王位につくのはこの私、第一王女ローザティアである」
「……え、えぇえええええ!?」
男爵令嬢の、貴族らしからぬ悲鳴は会場どころか、外で警戒をしている兵士たちの耳にまで届いたという。
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