一頁 展望



 晴天。

 何時もの登校時間より少しだけ早い、朝靄のかかる住宅街。

 僕は周囲へ気を張り巡らせつつ、慎重に通学路を歩いていた。


『少し先に小学生が歩いてるから、気ぃつけて』


 住宅街を通る歩道の壁に手をつき、万一にも人目につかないよう壁や地面の中に身を隠す花子さんのナビに従い、おっかなびっくりと進む。


 眼鏡を外した、レンズを通さない世界。

 何もかもが霞がかって見える今、視力の悪い僕はこうでもしなきゃ歩く事も出来やしない。


『次、左前にオバサンね……あー、壁ん中って息苦しいね。気分的に』


(しょうがないでしょ、今の状況じゃ)


 少々挙動不審気味に大通りの人を躱しつつ、口内で毒づく。

 自分でも面倒だとは思っているけど、これには変装の意味もあった。


 花子さんは幽霊という身分上、霊視能力のある人には目立ちすぎる。

 今使っている丸眼鏡も少々古臭い特徴的なフレームをしており、出来る事なら使用を控え、発見される要素を少しでも減らしたかったのだ。


 誰に――なんて、そんなの決まっている。

 つい先日に会った超能力者、花子さんが『華宮』と呼ぶ桜の髪飾りをした少女に。である。


 あんな別れ方をしたのだ、僕の発見に躍起になっていたとしてもおかしくない。

 自意識過剰であると願いたいが、用心をしていて損になる事は無いだろう。


「…………」


 ゾクリ。

 脳裏にあの冷たい目が蘇り、悪寒が背筋を駆け上がる。


『んなキョロキョロしたってアンタにゃ見えないだろ。居ないよ、近くにはさ』


 そうは言われても、不安なものは不安なのである。

 あの炎の熱、命の危機。

 現代社会に生きる人間が僕に害意を持っているという事実は、ある種幽霊に襲われるよりもずっと恐ろしい事だった。


(あの少女は、自らを私達と言った。それはつまり、仲間がいるという事……)


 実際、僕は逃げる最中に彼女を支える男の姿を見た。

 確かに近くに少女は居ないのだろう。しかし、他の仲間が居るかもしれないではないか。

 僕は詳細不明の『華宮』の影に怯えつつ、学校への道を急ぐ。


 ……あの夜の出来事から日曜を挟み、二日経っての月曜日。

 僕は未だ様々な事に対する解決法を何一つ見出だせないまま、ビクビクと震え続ける日常を送っていた。





 ――悪いけど、華宮についてアタシが知ってる事はそう多くないよ。


 歌倉女学院から這々の体で我が家に帰還し、一心地付いた後。

 ぶり返してきた恐怖やら痛みやらで取り乱した僕の質問に、花子さんはそう答えた。


『華宮ってのは昔から続く名家でね……簡単に言えば大地主って感じかな? 県庁とか、文化ホールとか。告呂にある大きい建物には、大体どっかにその名前が入ってんじゃないかね』


 知ってる事はそれくらいだ、と軽く肩を竦める姿に鼻白んだものだが、どうやら嘘偽りは無いようだった。

 しかし色々と察するに、髪飾りの少女の母親は花子さんと仲の良い教え子だったように思えるのだが、それでも何も知らない物なのか。

 するとそんな疑念が顔に出ていたのか、彼女は静かに首を振り。


『ちょっと感覚麻痺してないかい。アンタ若風に「僕は霊能力者です」って告白してんの?』


 ぐぅの音も出なかった。

 実際、僕も手首やオカルト関係の事は若風先生のみならず、知人の誰一人として打ち明けていないのだ。

 当然、花子さんも何も伝えられていなかったとして違和感は無い。

 ああ、無いのであるが。


(死活問題だぞ、これは……!)


 朝の学校。クラスメイトが訪れる前の静かな教室で一人、思案する。

 敵意を持ち、強力な殺傷能力を持つであろう者を相手に、ちっぽけな情報だけでどう立ち回れと言う。


(今から調べるにしても、どうやって。華宮の歴史はともかく、あの炎の超能力について解説してる文献なんて無いだろ)


 というか、そもそも調べて何になるというのか。

 戦う気か?

 逃げる気か?

 それとも交渉か、はたまた命乞い?

 それらに必要な情報って、何?


 どうする。どうすればいい。

 一体どうしたら僕は助かる。

 脂汗が滲み、身体が震える。

 そうして心が鉛を吸ったかのように重くなり、吐き気すらをも催して。


『……だいじょうぶ、でありますか?』


「っ……!?」


 カサリ。傍らに開いためいこさんが蠢き、心臓が軋む。

 感情が伝わったのだろうか。苛立ち紛れに髪をかき乱し、大きく溜息を吐いた。


「……大丈夫。少し落ち着こう。怯えるな、冷静になって考えろ……」


 敢えて声に出し、自分にそう言い聞かせる。

 この二日間見えない恐怖に意識を割いて来たが、そろそろ具体的な行動を起こすべきかもしれない。

 でないと、嵩む不安で押し潰されてしまいそうだった。


(まず僕の目的は、死ぬ事も記憶を失う事も無く逃げ延びる事)


 一番手っ取り早いのは警察へ出頭し保護してもらう事だが、華宮の言葉では現代社会では僕を裁く方法が無いらしい。

 つまり、僕の告解は全て狂言扱いになり、保護なんてしてもらえる筈が無いという事だ。

 現実的な手段にも関わらず、現実的な選択肢でないという摩訶不思議。

 本当にオカルトってのは、もう。


(で、華宮の目的は僕の処理……というか、めいこさんを燃やす事。だと思う)


 あの夜の事を思い出す限りでは、めいこさん――華宮が怪異法録と呼ぶ彼女をどうにかする事が第一で、僕自身については二の次だったような気がする。

 しかしそれでも記憶の消去はするつもりであったようだし、喧嘩をふっかけてしまった以上、最早穏便に済むとは思い辛い。

 ここからどう動けば、僕は最良の結果を掴む事が出来る。

 何が可能で、何をするべきなのか。必死に頭を働かせるが、答えは出ない。


『……まぁ、一個だけパッと思いつくものはあるけどね。するべき事』


「! それは、どういう……?」


 窓辺から校庭を眺めていた花子さんが突然呟き、思わず立ち上がる。見れば彼女は何やら辛そうな表情を浮かべながら、正門の辺りを指差していた。

 そこに一体どんな活路があるのか。

 その表情に疑問を覚えつつも駆け寄り、身を乗り出す勢いで示された方角に目をやって――。


『――若風の過去。それ知って、これからどう接するかだよ……』


「……………………」


 ……いや、確かに悩ましい問題ではあるけども、今その話はしてねっす。

 花子さんの指先で歩いている先生の姿を見た瞬間、僕は色々な意味で頭を抱え膝から崩れ落ちたのであった。





 ――古来より。

 この世界には幾千、幾万もの『異常』が在るとされている。


 それは物理法則や世界の在り方を凌駕した超常の物。

 人間は勿論、自然と共に生きる野生動物でさえも適合する事の難しい、強大で不定形の事象。


 例えば魔法。例えば神話。例えば魔物。例えば呪い――――例えば、怪異。


 古今東西、世界各地。それらは長きに渡り人の想像や獣の恐怖の裏に張り付き、時に悪辣な魔物や災害として立ち塞がり、時には隣人として間近に侍る。

 その存在は決して公にならぬまま、遥かな過去より長い時間をかけて浸透し、馴染み。現在においては、一般市民の与り知らぬ場所で『常識』の一端として扱われていた。


 当然ながら、日本の地にも怪異とそれを鎮める霊能力者という形で顕現し、長い歴史の裏側で人知れず攻防を繰り返している。


 ――その中にあって、一際大きな力を持つ家が六つ。


 華。酒。稲。魂。舞。そして刻。

 怪異に捧げ鎮める六つの供物の字を冠し、千年に渡り日本を支え守護する力、その具象。


 ――灯桜の属する華宮の家は、その一つ。

 死者を悼む『華』を捧げる一族である。





「――それで、あんたはおめおめ怪異法録を持ったガキを逃した、と」


 告呂の地、静かな郊外に厳然と聳える華宮の屋敷。その和室。

 竹のかち合う乾いた音が響き、鮮やかな梅の絵が描かれた扇子が閉じた。


 本来であれば扇子を痛める無作法ではあるが、不思議と様になった所作。

 それを成した者の対面に座る灯桜も特に表情を変える事無く、静かに頷く。


「……申し訳ありません。私の力が至らぬばかりに……」


「全くだよ。甘々だよ甘々、灯桜の『桜』はさくらんぼって意味なのかい?」


 バッサリ。配慮というものを微塵も感じさせない軽さで持って、扇子を持った女性――華宮家当主である華宮明梅は、娘である灯桜の言い淀む先を切り捨てた。


(うぅ……)


 灯桜は胸中で怪異法録の少年を恨むものの、しかし己の油断が招いた不徳である事は変わりない。

 故に何も言わず、ただ項垂れる。


「そうさ、アレを取り逃がすなんてとんだ大失態だよ。こっちの存在がバレた以上、怪異法録側も用心深くなるんだ。ホントなら罰の一つくらいは受けて貰うトコ……なんだがねぇ」


「……?」


 母からの叱責を粛々と受け止めていた灯桜は、その煮え切らない声音に顔を上げた。

 常に大雑把かつ決断力のある振る舞いをする明梅にとって、このような態度をとる事は非常に珍しい光景だ。

 彼女は軽く溜息を吐くと、またもやパチンと扇子を叩く。


「とりあえず、今回に限っては特にお咎めはナシって事にしとくよ。喜びな」


「……それは、母としての温情と言う事でしょうか」


「まさか。あたしがその辺のエコヒイキが嫌いってのはよく知ってるだろ」


「では、何故?」


「……そこら辺は、あんたにゃ関係無い事さ」


 明梅はパタパタと扇子を振ると話を切り上げ、灯桜へ鋭い視線を向けた。

 その瞳の奥に燻る華炎を見た気がして、自然と居住まいが改められる。


「ともかく、もう一度だけ聞くけど、あんたがやり込められたっていう『花子さん』の核らしき霊魂。その人は年行ったオバサンの姿だったんだね?」


「はい。随分と綺麗な方だったと思いますが、おそらくは」


「そんで動き、法録を持ってたガキを守った」


「はい。少なくとも少年が指示していたようには見えませんでした」


 彼のあの驚き様、そして悲鳴。

 全てが想定外の出来事であったと察せられ、とても演技の類には見えなかった。

 そう伝えれば明梅はむっつりと黙りこみ、何事か考える様子を見せる。

 そして無言のままの時が流れる事、暫し。


「……分かった。じゃあ、もう行って大丈夫だよ」


「……あの、今後の事については……」


「言ったろ、一先ずお咎めナシだ。降りたいんなら止めやしないが、やる気あんならそのまま追いな」


 素っ気なく、そう告げられる。

 その甘い判断に疑問を覚えるが、おそらくそれも『あんたにゃ関係無い事』の内に入るのだろう。

 灯桜は問いたい気持ちを押し留め、強引に自己完結。深く礼を返し、腰を上げた。


(術はある。早く、あの少年を追わないと……)


 それは、ある意味では歳相応の意地でもあった。

 華宮としての義務感、そして市民を守りたいという正義感。

 それに怪異法録の少年に対する屈辱が混じり、強い執着心を生み出していた。

 余計な事を考えず、ただ目の前の目的だけを見据え。一刻も早く少年を捜索すべく静かに襖を引き――。


「灯桜」


「っ、はい」


 不意に背後から呼び止められ、反射的に振り返った。

 そこには穏やかな、同時にどこか悲しそうな表情を浮かべた明梅が、こちらに視線を向けており。


「……あんたが最後にどんな判断を下しても、全部ケツを持ってやる。だから……あたしの分まで、頼んだからね」


「? ……は、はい、ありがとうございます……」


 やはりいつもとは違う母の様子に首を傾げたが、その激励は素直に受け取った。

 最後に彼女に向けて一礼し、開いた襖の外へと消える。

 そして廊下を歩む傍ら携帯電話を取り出すと、迷いなく冬樹の下へと繋いだ。


「……もしもし、水端さんですか。お仕事中申し訳ありません、少し試したい術があり、協力をお願いしたいのですが――」


 ……意気燃ゆる灯桜は、怪異法録を焼き屠る為に行動を開始する。

 中庭に咲く散らない桜――華宮家の象徴たる御霊華の花弁が風に舞い、そっと彼女の背を押した。





「――ったく、真面目だねぇ。あたしとは大違いだ」


 ……灯桜が去った後の和室。

 残された明梅は、一人乾いた溜息を吐いた。

 よくもまぁ、こんなガサツな自分からあのような大和撫子が産まれたものだ。

 懐から取り出した煙草に火を点けながら、そう自嘲する。


(あたしの躾が良かった……なんてね。全部、貴女の教えの真似っ子だ)


 静かに紫煙をたなびかせ、彼女は手元に置かれた書類を一枚つまみ取る。

 それは灯桜がしたためた、怪異法録の所有者に関する情報が書かれたものだ。


 持ち主である少年の似顔絵や、口にした言葉、その他諸々。灯桜の記憶する限りの情報が、事細かに記されている。

 やれ似合わない眼鏡だの、平均より背が低いだの。余程腹に据えかねているのか、その殆どに刺々しい私見の注釈が添えられているが――その中に一つ、明梅の目を大きく引く項目があった。


 ――黒い長髪、白いシャツとタイトスカートを纏った、三十代程の女性霊魂。


「……あたしでは、貴女を救えていなかったのでしょうか」


 ぽつり。力なくそう呟いて、書類を床にひらりと落とす。

 思い返すのはかつての恩師。尊敬し憧れ、そして己の手で焼き屠った筈の存在。

 もし彼女が現世に留まり、そして己を取り戻しているにもかかわらず少年に手を貸しているのならば、それは――。


「…………」


 そこまで考え、頭を振る。

 既にこの件は自らの手を離れ、娘へと受け継がれている。

 例えどのような真実があろうが、それに対する答えを出すのは灯桜の役目。

 最早、己が関わるべき物では無い。


(……先生ぇ)


 今は見えない灯桜の背中を追い、襖の先を見つめる。

 そこに広がるは後悔と絶望の過去。彼女には確かにその光景が見えていた。

 ……出来る事ならば、自分よりもより良い結果へと辿り着いて欲しい。

 勝手な事ではあるが、そう願わずにはいられなかった――。


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