炙らる墨は夜闇に溶ける


「ぁ、ぁあ、あっ」


 消えていく。


「ま、あ、待って、待っ……!」


 彼女の身体が、霊魂が。焦げ粕となって何処へともなく消えていく。

 慌てて残る彼女の手を引き揺するけど、当然ながら反応は無い。

 それどころか衝撃によって焦げ粕が散らされ、逆に消滅の速度を早めてしまう。

 故に、何も出来ない。

 重さの無い彼女の身体を抱え、辛うじて残った右手を握り締めるだけだ。


「……その霊魂には悪い事をしました。守護霊では無く、あまつさえ怨霊に貶される運命であったなら、昼の内に浄化するべきだった」


「!」


 呆然としている僕の鼓膜を、鈴が揺らした。

 顔を上げれば、後ろ手にトイレの扉を閉めた少女が冷たい視線を向けていた。

 どんな手を使ったのかは不明だが、状況的に花子さんを葬ったのは彼女なのだろう。

 激しい怒りが吹き上がり、歯を砕かんばかりに食いしばる。


「お前……っ! 誰っ、何で、何でこんな……ッ!」


「貴方がその書の所持者であり、この場所に居る。それ以上の理由は必要無い」


 淡々と吐き捨て、少女はこちらに歩み寄る。

 そうして窓から差し込む月明かりの範囲に入り、その全身が照らされた。

 髪飾りを見た時から予感はしていたが、昼に会った女学院生のようだ。

 和風の服装も冷たい敵意も何一つとして変わっていない。


「クソ、クソがっ!! 何で消したんだよ! 邪魔するなよ! 僕達にはこれからやらなくちゃいけない事があったのに! さっき一緒にって決めたばっかりだったのにッ!!」


 怒り、悲しみ、恐怖。

 感情に突き動かされるまま大声で喚き、唾を飛ばして叫び散らす。

 さっきまで描いていた未来が潰えた事も合わせ、涙が一筋地に落ちた。


「消したのでは無く葬送おくったのです。それが、彼女の為でもある」


「余計なお世話だ! 訳の分からない事ばかり言いやがって! 返せよ、花子さんを元に戻せよぉ!」


「……怪異法録にとって、霊魂は燃料に過ぎないのでは? なのに、よく嘆く――」


 少女は怪訝な表情を浮かべ、袖口から長方形の紙束を取り出した。

 桜の花弁が押し花とされた栞だ。


 一体どういうつもりなのか。僕は睨むように観察し――ズキリと、脈絡なく右眼が強い熱を訴える。

 今までに無い反応に戸惑い咄嗟に指を這わせ、


「――桜の火、焔の灯――」


「うわッ!」


 ――煌、と。

 少女がその内の一枚を翳し、某かの呟きを放った瞬間。激しく栞が燃え上がり、その美貌を赤く照らし出す。

 生まれた炎は瞬時に和紙を焼き尽くし、渦巻く火球の形を成して彼女の傍らに浮遊し、侍る。


 つい先程、花子さんの記憶の中で見た物と同種の炎。

 おそらく、あれで花子さんを焼いたのだろう。

 それは分かる。分かるのだが、しかし。


(超、能力? こんなあからさまな、う、嘘、だろ……!?)


 幾ら何でもそれは無いだろう。

 現実を受け入れる事に手間取っている僕を無視し、少女はこちらへ歩み寄る。


「貴方は既に追い詰められている。怪異法録さえ手放すのならば、これ以上の手荒な真似は致しません。渡して下さいますか?」


「か、かいい、ほうろく? めいこさん、いや、この手帳の事か……?」


 僕の問いかけに少女は静かに頷くと、ゆっくりと火球を近づける。

 炎の熱が僅かに鼻の頭を嬲り、本能的に腰を引いた。


「っ……な、なぁ。お前、何か勘違いしてないか。僕、別に何も、」


「渡すか、渡さないか。どちらですか」


 僕の言い訳はにべもなく一蹴。

 まぁ夜中の女子校、しかもトイレに侵入しておきながら語れる言葉なんてある筈も無し。

 どうする。花子さんを燃やした奴に下らなきゃいけないのか、僕は。

 徐々に活発化する心臓を抑えながら、なお距離を詰める少女へと問いかける。


「……っあの、こ、これ、渡したら。命は助けてくれるの……?」


「ええ、約束しましょう」


「五体満足で、怪我も無く?」


「ええ」


「……僕は、警察に捕まる?」


 すると少女は眉を揺らし、不快気な表情を浮かべた。


「……喜びなさい。現在社会において、怪異を用いて行った犯罪を立証する方法はありません。よって失うものは書に纏わる記憶のみとなり、貴方自身は穏やかな平穏へと、」


「論外ッ!」


 その言葉を聞いた瞬間、僕は花子さんの身体を抱えて出入口へと駆け出した。

 五体満足、命が助かる。ああ、それは結構な事だとも。

 だが、記憶を失うのはダメなのだ。

 そうなれば僕はきっと何くわぬ顔で山原の居ない日々を謳歌してしまう。

 そんな事になったら、僕はもう。


「――どこにも、顔向け出来ないだろうがッ!」


 少女を目掛け、強く地を蹴った。

 女の子に怪我をさせたくは無かったが、配慮している余裕は無い。

 無様にして不格好。全身全霊を込めた体当たりは、勢い良く彼女の身体へと吸い込まれ――。


「――荒い!」


「っぐ、ぅぉわっ!?」


 肩先が少女の身体に触れた瞬間、僕の身体は空中に弾れていた。

 当然、僕に体勢を立て直す身体能力がある訳も無い。

 視界が回転。再び背中から手近にあった壁に激突し、情けない呻きを上げながら崩れ落ちる。

 何をされたのか、理解さえできなかった。


「げほっ、ぁ……ぐ、く」


「……そこまで力が惜しいのですか、見苦しい」


 痛みに苦しみ悶える僕に、屑を見るような冷たい視線が突き刺さる。


(好き勝手言いやがって……!)


 横倒しになった世界の先。ほんの少し開いた個室のドアの中に、ページを開き転がるめいこさんの姿を見た。

 どうやら衝撃で手放してしまったらしい。

 髪飾りの少女もそれを把握し、真っ直ぐにめいこさんの下に近づいていく。


「ちく、しょぉ……!」


 記憶を消す――。

 どんなエスパーを使うのかは知らないが、言うからにはきっと某かの方法があるのだろう。

 冗談じゃない。足掻き、もがき、必死に何かを成そうとするけど形に成らず、目尻に浮かぶ涙の意味が変化した。

 花子さんだけじゃない。僕もめいこさんもここで終わるという事が、堪らなく悔しい。

 ぽたぽたと、眼前のレンズに水滴が落ちる。


「これが、サヤマの怨念……」


 少女は一言そう呟いて。慎重な手つきで個室の扉を押し開き、ゆっくりめいこさんのページへと触れ――。



『すきです、であります』


「え?」



 ――唐突に、呆けた声を上げた。



『怪談【トイレの花子さん】の再現条件を満たしました。これより霊魂の復元と怪談の再現を開始します』


「きゃあっ!?」


 バチン!

 静電気が炸裂するような音と共に、めいこさんから黒い火花が飛び散った。

 少女の触れていた指先が勢い良く弾かれ、一歩二歩とたたらを踏む。


(な、何だ……?)


 僕だからこそ分かる。あれは、怪談の再現が成された時の現象だ。

 少女が触れた瞬間に、某かの条件を満たしてしまったのだろうか。

 しかし、一体何が?

 僕の知らないうちに、新しい怪談が収集されていたのか――いや、いいや、違う、これはまさか。


「霊力の発現? 何故このタイミングで――うあっ!」


 少女の言葉が突然悲鳴へと変わった。

 見れば彼女は苦痛に表情を歪め、自らの頭を抑え身を捩る。

 よくよく観察すれば頭髪が奇妙な形に乱れており、まるで不可視の掌に掴まれているようだ。


『――大人しそうなツラして、いきなりとんだ挨拶じゃないかい』


「!」


 ……右眼に響くハスキーボイスに、一瞬心拍が停止した。

 慌てて花子さんの身体を見る。彼女の亡骸は今や全てが砕け散り、霊魂の欠片へと変わっていて――そこまで観察し、気づく。

 周囲に漂うそれらが青い燐光を帯び、めいこさんへと向かっていた。


「……は、……」


 その意味する所を察し、ゆっくりと顔を上げれば。少女の頭を掴む者の姿が徐々に顕になっていく。

 見慣れた服に、見慣れた表情。それは、現在僕が求めて止まない人の影。



「花子、さん……!」



 ――『トイレの花子さん』という怪異を纏った幽霊が、そこに復元されていた。



『アンタ、もしかして華宮の――明梅あかめの娘かい?』


「わ、私達、を。母、を。知って……!」


『燃やされるのは二度目だからね、色々と察せないでもないさ』


 チリチリと、小さく何かが弾ける音が周囲に響く。

 それは花子さんの腕を掴む少女の手から放たれているようで、何らかの抵抗をしている事が伺えた。

 彼女達の言う『華宮』とは一体何なのだろう、鈍い胸裏に疑問の芽が顔を出す。


『まぁ、アタシはどうなったって良いよ。でも悪いんだけどさァ、あの子の記憶だけは勘弁してやってくんないかね。償う気持ちはあるんだよ、これでも』


「っぐ、さ、桜の火、焔の――!」


『聞く耳持たずか。親と違って真面目だねぇ!』


「うっ、ああああっ!?」


 一際大きな炸裂音と火花が散った。

 磁石の対極を近づけた時のように、互いに逆方向へ吹き飛ばされる。


 花子さんは個室の最奥を透過し、少女は僕の方角に。

 咄嗟の事に反応出来なかった僕は、そのまま激突されると目を瞑ったが――「うぁッ!?」突然誰かに片手を引かれ、タイルの上を引きずられた。

 床下を透過した花子さんの腕が、僕を窓際まで運んだのだ。


『気絶まで持ってけなかった、焼かれる前に逃げるよ!』


「ひぃッ!?」


 ガラリと頭上の窓が開き、当の花子さんが顔を出す。

 彼女はドサクサに紛れて回収したらしきめいこさんを僕に投げると、一本釣りの要領で僕を窓の外へと放り投げ――いや待っておかしいってこれぇ!


「え―――ぇぃぁぁあああああああッ!」


「ま、ちなさい……!」


 眼下には三階の高さから臨む遠い地面が映り、僕の股間が縮こまる。

 しかしそれ以上景色が近付く事は無く、宙を浮遊する花子さんに抱えられ真っ暗の夜空を滑空。

 少女の苦しそうな声と飛んでくる火球を背にして、本舎から飛び去った。


(空を飛ぶとか反則だろ……?)


 呆れ、驚き。どちらとも判断がつかないまま、半透明の身体越しに少女の方角を伺った。

 彼女は駆けつけた仲間らしき男に支えられているようだったが、追って来る様子は無い。


『にしても良くやったね、めいこ! 普段アホの子の癖に、機転効かすじゃないか!』


『ふふーん。あの少女、個室とはいえ「トイレの扉」を押し開いていた、であります。あとは恋文に相当する物と封入する霊魂があれば、こんなもん、であります。……あれ、今アホの子って』


 そうして安堵の息を吐きつつ視線を戻せば、開かれたまま僕に握られるめいこさんと花子さんが談笑していた。

 成程、確かに紙である彼女に好意を伝える文が書いてあれば、一応は恋文として扱える。それは以前に証明済みだ。


 周囲には花子さんの霊魂の欠片も漂っており、怪談の条件を満たす環境も整っていたのだろう。

 そして霊魂の大半をリサイクルされた所為か、花子さんの口ぶりにも記憶の欠損は見えず、総合的にはベストの判断だったと言わざるを得ない。けども。


「やっぱユルいよ、この怪談……」


 しかしもう突っ込む気力も沸かず、僕は夜景をぼんやり眺め続けた。

 花子さんが無事だった事。

 『華宮』とは何か。

 色々騒ぎたい事はあったが、とりあえず言いたい事はただ一つ。


「――ああ、良かった」


 本当、色々な意味で。

 するとそれを聞いた花子さんは一瞬ぽかんとした後、嬉しそうに唇の端を釣り上げた。


『フフ。ひっひっひ……!』


 あー、嫌な笑い方。苛ついたが、反応するのも面倒で。

 途方も無い疲労感を抱え、つらつら先の事を考える。

 お先真っ暗な道に生まれた灯火は、寄れば焼け死ぬ桜の劫火ときたものだ。

 生死の懸かった面倒事がまた一つ増えた事に重たい溜息を禁じ得ない。


 ――ああ、これから僕はどうなるのだろうか。


 胸の手帳に問いかけたけれど、その答えは例によって『非』の一文字であった。





「――逃した……ッ!」


 ギリ、と。

 悔しげに噛み締めた奥歯から異音が鳴る。

 確実に間合いにあったというのに、むざむざ凶悪犯を逃してしまった。

 このような事になるならば、即座に所有者ごと焼却すべきだった。

 躊躇ってしまった自責の念と、脳を刺す頭痛に苛まれ、堪らず窓枠にもたれ掛かる。


 先程の霊魂との攻防で何かしらの不具合を被ったらしい。

 視界が真っ直ぐ定まらず、胃の奥より吐き気が湧き上がっていた。


「灯桜さん、大丈夫ですか?」


「……水、端さん」


 彼女の肩を支えるのは、共犯者の存在に備え学校内の警戒を頼んでいた冬樹だ。

 悲鳴を聞いて駆けつけて来てくれたらしい。素直に身体を預ければ、嗅ぎ慣れたコロンの香りがふわりと漂い、灯桜の心に幾許かの余裕を与えた。


「……申し訳ありません。霊力が微量だと侮っていたようです……」


「ああいえ。そもそも全部を灯桜さんに投げたのは私ですからね、責められるべきはこちらですよ」


 冬樹は胡散臭い笑みを浮かべ、灯桜を元気づけるようにその背を叩く。


「……こうしては居られません、早く追いましょう。今からならまだ追いつけるかもしれません」


「うーん、そりゃ難しいんじゃないですかネェ。だって空飛びましたよあの子ら。灯桜さんもフラフラですし、今から追っても……」


「だとしても放って置けません! このまま彼らを放置すれば、きっと新しい被害が生まれてしまう!」


 以前の小路の件は詳しく把握していないが、今回に関しては確実に『黒』だ。

 あの怪異法録の少年は、歌倉女学院の歴史において最も悪辣な事件――『トイレの花子さん』を用いた性犯罪について調査していたようだった。


 しかも実際に校内に侵入し、よりによってトイレで何事かを行っていたのだ。

 昼の遭遇時に警戒していたため、早期に彼の侵入に気づけたが、遅れていたら何を仕掛けられていた事か。

 贖罪だなどと、到底信用できる筈がない。


「彼らは既に、怪談の情報を得た可能性が高い。猶予なんてありません!」


「灯桜さん……」


 もしあの少年が、かつての外道と同種の人間であったとするならば、事態は極めて深刻だ。

 何も知らぬ民間人や、自らの学友達が被害者となるなど、決してあってはならない事なのだから。


「絶対に、逃がさない……っ!」


 グラグラと揺れる世界の中で、彼女は強く決意する。

 今は逃したかもしれないが、顔はしかと把握した。何か事件を起こす前に、必ず捕縛しなければ。

 二度と油断も容赦もしない。もし再び抵抗するようならば、今度こそ。


「――今度こそ、確実に焼き屠る」


 怒り、憤り、正義感。

 様々な猛りを糧として、意志の華炎が燃え盛る。

 彼女の眼には、確かな外道が映っていた。



 了

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