四頁 対話
*
休日のお昼時という事もあってか、街の中はいつも以上に人間で溢れていた。
様々な人達が交差し、袖を振り合わせ。春の陽気を乗せた心地のいい風が彼らの隙間を縫って吹き抜ける。
そして街路樹の桜が桃色の雨を降らせ、より一層の春を感じさせるのだ。
……で、そんな爽やかな雰囲気の中、寂れた公園内で塩握りを頬張る根暗が一人。
まるで職を失ったリーマンの如く、傍から見ればさぞ侘びしい姿だろう。けっ。
『あんた、何で意識あんの?』
『意識ではなく、説明項、であります』
そんな僻みを紛らわせるかの様に、膝の上で開いたオカルト手帳と筆談をする。
質問と呼ぶには雑な思い付きが紙面へと吐き出され、一瞬の後に消えていく。
どうも紙面に書かれた物は、液体に限り何でも吸収してくれるようだ。
『あんた自身は何ていう名前なの?』
『受け答えさせて頂いているのは、説明項、であります。怪談としての名前は、記述されておりません』
『なんで』
『その情報は、本書に記述されておりません』
『……僕のところに来る前は何やってたの』
『その情報は、破棄されており、本書に記載されておりません』
一問一蹴。さっきからずっとこの繰り返しで、上手く会話が繋がらない。
まぁまぁ不毛な事この上ないが、とりあえず暇つぶしにはなっていた。
『あんたって男? 女?』
『本書に、性別の概念はありません』
『なんで?』
『本書に、性別の概念が無いから、であります』
「っふ……」
子供かよ。
不意に帰ってきた融通の効かない回答に、思わず笑みが漏れた。
何だか気が抜けた。ベンチの背もたれに体を預け、手帳を閉じて再度観察する。
……やはり何度確かめても単なる手帳だ。
外から中に至るまで全て動物の皮で出来ているのは珍しいとは思うが、それだけ。特殊な装飾も文様も何も無い。
「……何回も聞くけど、何で僕の所に来たんだ? 持ち主として不適格でしょ」
『貴方の持つ書籍が、本書の再現条件を満たした物と、考えられます』
「だからあんたの再現条件って何なんだよ……」
『本書には、記述されておりません』
少し踏み込んだ事を聞くとすぐこれだ、ミステリアスでも気取っとんのか。
うんざりと空を仰ぐ。青い空に白い雲がたなびいていて、とても綺麗だ。
……昼食も終えてお腹も膨らんだ所為なのか、瞼が重くなってきた。
眠気に押されぼんやりとした思考の中、手帳への質問が惰性で続く。
「……その、あれ。再現条件とやらってさ、他のやつはどうなの?」
『質問は具体的に、お願いします』
「いや、あんたは……噂やら何やらを自由に扱える設定なんだろ。だったら他の話とか、条件はどんな感じなのかな、って」
周りに誰も居ないとは言え、外出先でオカルトだの怪談だのと言ったトンチキを口にするのは抵抗感があったので、オブラートに包む。
まぁどうせ詳しくは語らないんだろう――なんて気楽に構えていたのだが。
『では、本日書店に辿り着くまでに遭遇し、集積した言霊を表示します』
「……え?」
その一文に、二回目の欠伸が途中で止まった。
「……、ど、どこで?」
『貴方の住む家よりそう離れていない、森に面した小路、であります』
さやまの森の横辺りである。
手帳の言が正しければ、自覚のないままに心霊スポットを踏み荒らしていたという事に考えが至り、一気に眠気が吹っ飛んだ。
いや、怖い訳じゃ無いさ、でも不意打ち気味に知らされるのは心臓に悪い訳で。
狼狽え不思議な踊りを踊っている僕を無視し、手帳は淀み無く文字を浮かべた。
◆
【異小路】
『界を門として、告呂の小路の先に異界を開く。
その住人は、足を踏み入れた者を自らの世界へと誘い、連れ去る。
そしてこの世から跡形もなく消し去るだろう』
◆
……界と開をかけているのだろうか、などと思いつつ。
ただ息を呑み、寒気と期待感を背筋に走らせながら、僕はじっと続きを待ち――しかし、それ以上文面が増える事はなかった。
「……え、まさかこれだけ?」
『無論、周囲に伝わる形はこれより複雑な文章となりますが、本書に記載された文章は、以上であります』
ドキドキ様子を見ていたが、どうやら本当にこれでおしまいのようだ。
思いの外短い文章に拍子抜け、意味も無く止めていた息を吐き出した。
『この文面を霊力を含めた墨を用いて編集すれば、それが新たな【法】となり、条件を満たした場所に言霊が再現されます。環境に即した文面に編集すれば、異なる場所に言霊を再現させる事も可能となるのです』
「怪談を成立させなきゃダメって事? それはまた……微妙に使い勝手の悪そうな」
僕としては召喚魔法的な物をイメージしていたのだが、聞く限りでは相当地味な物のようだ。
『注意点としましては、自らの霊力だけではなく、核として他人の――』
「いい、いい。もう十分」
また何か小難しい事を並べ立てそうだったので、表紙を閉じて文を遮る。
もう苦労して単語を解読するのは御免だ。どうせ僕には手帳の力は使えない訳だし、急いで理解しなくたって……。
「……うん、うん」
……霊力とやらを鍛える方法があれば。
一瞬そんな考えが過ぎったけれど、解脱とかそう言った方向に進みそうなので思考停止。
さて、この後はどうしようか。
家に戻った所で勉強ぐらいしかやる事はないし、せっかく街にまで来たのに何の情報も得られず帰るのは、負けたような気分になるから避けたいところだ。
いい機会だし、街中の大きな図書館にでも行ってみようか。
自宅から遠かった事もあり今まで行った事は無かったけれど、僕ももう高校生だ。活動範囲を広げてみるのも悪くない。
「……そろそろ行くか」
未だカサカサ蠢く手帳を再び尻ポケットにねじ込み、公園から立ち去る。
その足取りは心なし快活な物だ。もしかしたら、物語の中にしか無いと思っていたオカルトなんて物に触れ合い、少しだけ今の状況を楽しみ始めていたのかもしれない。
……不謹慎、だったのだろうか。この時の僕には分からなかった。
*
結局、図書館でも有力な手がかりを見付ける事はできなかった。
日本全国に昔から伝わる怪談や伝承、風説、都市伝説などを纏めた本を幾つか漁ったのだが、手帳らしき情報が載ったものは無く。
成果といえば、無駄な雑学知識と面白そうな推理小説を見つけた事くらいだ。
「……もう夕方か」
人影が減り、カラスの鳴き声が煩い街を歩く。
文字の読みすぎで疲労した眼球を夕陽が炙り、痛みとも擽ったさとも付かない感覚がして瞼を閉じた。
薄らと涙の滲んだ目で時計を確認してみると、現在時刻は午後四時半。移動にかかった時間を差っ引いても、結構な時間図書館に篭っていた計算だ。
そうして住宅街へ続く小路に着いた時には、陽は殆ど落ちていた。
明かりが少なくなった事で、元々狭かった道が更に閉塞感を増している錯覚を受ける。
虫の鳴き声と風に揺れる木々の葉音がやたら煩く感じ、幹の隙間から覗く闇と合わせて何とも言えない雰囲気を放っていた。
「……そう言えば、ここだよな。集積とか何とか」
昼にした手帳との会話――なのだろうか――を思い出し、鼻の頭に皺が寄った。
異小路、だったっけ。
一体誰が何の目的でこんな良く分からん怪談を考えたのやら。
少しばかり疑問に思った僕は、例のごとく手帳を取り出し、問いかける。
『元はおそらく、森への侵入を戒める警告の類が、時を経て文章の形に変化した物と思われます。現在の「異小路」の文面は編集されており、その意図については不明であります』
「さやまの森に入っちゃいけないってやつか。確かによく注意されたっけ」
思い出せば、この辺りの壁の落書きの中に「界」の文字があった気がする。
単なるイタズラとしか思っていなかったが、何か関係が有るのかもしれない。
「……これが前の持ち主に編集された文面ならさ、編集される前のオリジナルって出せないの?」
『過去の持ち主達の情報、言霊、行った編集記録などは全て破棄されています』
「リセット機能ってか。周到……っていうのかなぁ、これは」
どっちかといえば不親切だよな。
つらつらと手帳との問答を行っていると――見つけた。
灰色の壁に黒い塗料で小さく殴り書きされた「界」の文字。
それは電柱の影に隠れるようにして配置され、長く雨風に晒されていたせいか少々掠れていた。
これが「門」なのだろうか。
擦ったり叩いたり、へっぴり腰で反応を確かめてみたのだが、何も起きず。只の不気味な落書きの域を出なかった。
「……な、何だよ、何も起きないじゃないか」
『是。その文字は条件の一つではありますが、全てではありません』
「え? これが『界の門』って事でしょ? なら……」
そこまで言って、気付く。視界の端、道を挟んだ反対側の塀にも小さく文字が刻まれていた。
近寄ってよく見てみると、それは紛れもなく「界」の文字だ。
多少乱れはあれど、先ほど触っていた物と同じような乱雑さで描かれている。同一人物の筆跡だ。
ただ一つだけ相違点を挙げるならば、文字の一部――「界」という字の下部分、「介」の払う部分が、削られた様に無くなっている所だろうか。
「……二つ揃って初めて門で、その片方が欠けてるから駄目……みたいな?」
僕の独り言にカサカサ反応する手帳を閉じて、じっくりと観察。
おそらく石か何かで意図的に削り取ったのだろう。その部分には無数の引っ掻き傷が集まり、粉を吹いて壁面を白く染めている。
傷跡からして何度も書き足しと削り取りが繰り返されていたようで、人の意思が介在しているのは明確だ。
……何でそんなを事やってたのかは分からない。
けど、確かに怪談を利用していた奴が居た――。
最後の一線、信じきれなかった手帳の文が急速に現実感を増していく。
「…………」
もし、この文字を完成させたらどうなる?
怪談では無く現実に手を加え、怪談が再現されるお膳立てをするのだ。
……もしかすると、それなら僕でも異界を開く事が出来るんじゃないか?
諦めきれない好奇心がむくむくと湧き上がり、無意識の内に荷物を探る。
コンクリートに使うにはボールペンでは心許ない。油性ペンは無かったか。
僕は何かに取り憑かれたかのように、一心不乱に鞄を浚い――。
「――よーっす、何ボサっと突っ立ってんだネクラァ」
ごす、と。突然背中に強い衝撃を受け、吹き飛ばされた。
「あがっ……!?」
完全な不意打ち。
警戒も何もしていなかった僕は録に反応する事も出来ないまま、地面へと無様に叩きつけられた。一瞬、息が詰まる。
「ったくさぁ、電話かけても出ねーくせに、何で忘れた頃に見つかんのよ。空気読めよ馬鹿」
――山原浩史。
僕を見下ろすようにして立つ幼馴染のクズの姿が、そこにあった。
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