第10話 通報案件
「……うん」
多少の間があってから、ペタンと座ったラウラがスケッチブックに手を伸ばす。
第二ボタンは閉めて欲しかった、なんて思いつつ、前屈みになってスケッチブックを引き寄せた彼女から目を逸らした。
彼女の姿を見ないようにと気を遣う紳士な俺は、色鉛筆セットを彼女に直接手渡す。
パカンと色鉛筆セットが入ったブリキケースを開けた彼女は、小さく息を吐く。
彼女の様子は驚きよりも嬉しさがまさっているように思えた。
「使って、いいの?」
「そのために作ったんだし」
「『作った』……うん。分かった」
ラウラは子供が床でラクガキするかのように、ペタン座りのまま地面にスケッチブックを置いて色鉛筆を走らせる。
意図的に彼女から目を離した俺は肉の残りをもしゃもしゃと食べることにした。ラウラだけでなく二匹も満腹なようだけど、俺はまだそれほど食べていないからな。
「ワイシャツや冷めてもうまい鹿肉は」
俺、心の俳句。
……自分のセンスの無さに呆れてため息が出そうになってしまった。
「できたよ。大賢者様」
「お、おう」
どれどれ。
前から見るとあれなので彼女の後ろへ回り込みスケッチブックを覗き込む。
ほうほう。サラッと描いた割に随分と細かく描けているな。
彼女のスケッチは人型に着せたものと別に服の一つ一つまで描かれていた。
上はお腹が出たノースリーブと七分袖のジャケット……ぽいもの。夜営の時に使えるよう、肘下くらいまで裾があるのでマントに近いかもしれない。
下はタイトな膝上スカートとハイソックスみたいだ。靴は短めの革のブーツ。
「絵が得意なのか? これは頭につけるアクセサリーかな?」
「うん。絵なら何でも好きに描けるから。嬉しかったの。こんなにたくさんの色があって。それにこの紙、とても描き易かった。筆が滑るように動いたの!」
彼女は両手を使って説明し、口元を少し上げはにかむ。やっと見せてくれた彼女の笑顔に俺もつられて微笑んだ。
アクセサリーは星をあしらった頭飾りで、左の星が一番大きく、右へ行くほど小さくなっていく。
よし、じゃあこれを創造してっと……あ、下着が描かれていないな。
俺のセンスで適当に作るか!
胸はサラシで勘弁してくれ。ブラジャーの構造が分からねえ。
スポーツブラなら行けるかも?
「ここの色は薄い紫でいいのかな?」
「うん」
スケッチブックを指さし、彼女に色味を確認する。
「よっし。出でよ」
ふわさとスケッチブックの上に服が落ち、続いてその隣に革のブーツが出現した。
キャミソールとサラシ、パンツは俺からのサービスだからできれば着て欲しい。
「気持ち悪い」とか言って投げ捨てられたら泣く自信がある。
「……わ、私に?」
「うん。俺が着たら通報される」
「通報?」
「あ、いや。こっちの話。後ろ向いておくから着替えて」
「うん……」
何か喋りたそうなラウラだったが、返事をするだけでワイシャツの第三ボタンに手をかけた。
早いってば。
体の向きを変えた俺は、マイペースな二匹を見てしまった。
静かなわけだよ。
寝そべったスレイプニルのお腹にルルーが頭を埋めていた。二体ともスヤスヤと眠っているようだった。
「着替えたよ。大賢者様」
「お、おう。おお。いいじゃないか!」
「えへへ」
面と向かって褒められたからか、照れたラウラは少しだけ頬を赤く染める。
それでも、くるりとその場で一回転して、服を見せてくれた。
うん。薄紫を基調とした服が彼女の髪色、耳の色と合っていると思う。
ワイシャツ以外の服が残っていないことから、一応、下着も着てくれたんだな。少しホッとした。
「一つ気になっているんだが、俺は理人って名前だぞ」
「うん。大賢者リヒト様」
「……いや、そんな大層なもんじゃないんだが……」
「雲より高い天空の塔に住まわし、伝説の大賢者様。およそできないことはないという」
「どこから聞いた伝説だよそれ……」
「それに、大賢者様はヤギ族の獣人に似ているって」
自分の角へ手をやり、はああとため息をつく。
好きで生えてきた角じゃあないんだけどな……。髪の毛を洗う時に邪魔だし。
でも、彼女が服やスケッチブックを出してもそれほど驚かなかったことには合点がいった。
大賢者様だから、何でもできると信じていたのだろう。
「俺が出てこいといって素直に出てきたのも、大賢者だと思ったから?」
「ううん。お話に聞いていた天空の塔と違って、天にも届く四角い山だったもの。それに、塔を作ったのが大賢者様だとしても、他の誰かが居座っているかもしれないじゃない」
「確かに、てことは空腹に耐えきれず、か」
「うん。悪いことをしちゃってでも食べたかったの。卑しいよね、私……。でも、大賢者様のお姿を見て、そんな気持ちは無くなったの! 本当だよ!」
「え、えっと」
「一目見て分かったわ。その角、凛々しい顔、全身から漲る溢れんばかりの力。きっと大賢者様に違いないって。それで……」
「だあああ。分かった。素直に教えてくれてありがとう」
本心から言っているということは彼女の態度から明らかだ。
もう、何というか憧れの人に会った子供みたいに目をキラキラさせているんだもの。
「大賢者様。穢れた私を『聖域』に入れてくれて、食事まで、本当にありがとう」
ペコリとお辞儀をするラウラに、またしても聞き捨てならない言葉が。
「あ、そういうことか。高層ビルが聖なる天空の塔だとしたら、周囲は聖域ってことになるのか」
「大賢者様?」
「あ。ごめんごめん。口をついて出ていたな。でも、一つだけ訂正して欲しいことがある」
「うん?」
「自分のことを穢れたなんて言わないでくれ。確かに泥だらけで薄汚れているかもしれない。だけど、洗えば綺麗になるだろ。なんなら、ここで泥を落としていくか?」
「そういうことじゃないの。私ね。ラーテル族だから」
うーん。獣人社会のことはよくわからないけど、街でもちらほら見かけた。
狩猟とか牧畜で生計を立てている人が多かった記憶だが、特段低く扱われているってことはなかったと思う。
むしろ、扱いが酷かったのは俺だよ俺。仕方ないんだけどね……。
「ここには自称『邪神』もいるし、別にずっと居てくれても構わない」
「……嘘でも嬉しい。でも、私がいても役に立たないと思うわ。弱い方ではなかったけど……」
ラウラのことを「穢れている」なんて言うつまらん輩に対し憤る気持ちから、俺は気にしないと言ったつもりだった。
でも、大胆過ぎる言い方になってしまった感が酷い。
こうなりゃ、毒喰らわば皿までだ。
「村でどんな生活をしていたんだ?」
「野山で狩りをしたり採集をしたり。畑を耕したり……どこにでもいるような村人だったわ」
「畑……畑か! それに、ラウラは絵が上手だ。できること。いっぱいあるじゃないか」
「そ、そうかな」
「そうだって!」
少なくとも俺は彼女のことをつまらない人間だなんて思わない。
彼女はいろんなことができるじゃないか。狩りだって、畑だって、絵だって……。
農業の知識とラウラの絵かき能力は喉から手が出るほど欲しい。
でも、彼女には彼女の目的があるだろうから、引き留めるつもりなんてないのだ。
「ずっと居てくれていい」なんて言っておいてなんだけど……。
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