第9話 少女!

 そのまま待っていたら、観念したのか猫のような耳を出していた藪の奥にいる誰かが完全に姿を見せる。

 出てきたのは、ボロボロになった薄汚れた布を体に巻きつけただけの獣人の少女だった。

 歳の頃は人間と同じくらいとすれば、17、18歳くらいだろうか。

 銀色と黒のツートンカラーの長い髪を横で縛ったサイドテール。右が銀色、左が黒の猫のような耳。

 銀色の短い尻尾も腰の辺りからチラリと顔をのぞかせている。

 全身が泥で汚れていて、どうやってここで生活してきたんだと思ったが、腰の後ろに括り付けた短剣を命綱にしていたのだと予想できた。

 

 俺と目が合った彼女は視線を外さずこちらを見つめていたが、おもむろに手の甲で口を拭う。

 んー。どうしたもんかな。

 

 試しにワザと視線を外してみるが、彼女は動こうとしなかった。横目で彼女の姿を確認したところ、俺から視線は外れていない。

 ちゃんと警戒していることから、彼女の生存能力を推し量る。

 と言っても俺は、相手の強さを予想するなんてことができない。ずっとぼっちだったんだもの、仕方ないじゃないか。

 魔力の大きさで測るという手もあるのだが、生憎「魔力吸収」能力を持っていた俺にそんな器用な真似ができるはずもない。

 しっかし、後ろに巨大な高層ビルが見えるはずなんだけど、彼女はそれに全く動じた様子はなかった。

 彼女は相変わらず俺だけをしかと見つめている。建物に驚くくらいなら、動く相手から目を離さないってのはもっともだ。

 別に俺は彼女をどうこうしようって気はないけどね。

 

「ルルー」

『もっちゃ、もっちゃ』

「あの子、どうだ?」

『もっちゃ、もっちゃ……』


 ダメだこいつ、話にならねえ。

 彼よりは余程頼りになるであろう白猫スレイプニルも無反応だし、それほどの脅威ではないのか?

 いや、こいつらは自称邪神とかだけど、戦闘能力があるように思えん。

 俺の強さにあぐらをかいている? 俺があっさりと見捨てる可能性を分からないほどの間抜けな奴らではないし、警戒するほどじゃないってのが彼らの判断だろうな。

 

 ルルーと間抜けな会話をしている間もサイドテールの少女は一歩もその場から動こうとしなかった。

 何度か口元を拭っていたけど、こちらに対する敵意は感じない。

 懐に入れていいものか、悩むな。

 

 数歩彼女に近寄ってみるが、彼女からの反応は返ってこない。

 彼女との距離が10メートルをきったところで立ち止まる。

 

「俺は理人りひと。君は?」

「ラウラ」

「ここにはどうやって?」

「分からない。気が付いたら森の中にいたの」


 首を振る少女――ラウラは本心からそう言っているようだった。

 いやいや。

 人気のないこんな大自然の中で「気が付いたらここにいました」と言われて「はいそうですか」なんて返せないだろ。

 ……いや、二つほど可能性がある。有り得ないくらい低い可能性ではあるけど。

 

「気が付く前は何をしていたのか、覚えているかな?」

「……待って。思い出すから」


 視線を落とし、うーんと考え込むラウラ。

 一つは、魔法によってここに来たというパターンだ。

 これまでお目にかかったことはないが、転移魔法という超高度な魔法があるらしい。彼女自身が使ったわけじゃあないだろう。

 それならば、「気が付いたら」なんてことにはならない。高位の魔法使いにここへ飛ばされた、ならあり得る。

 だけど、彼女をわざわざ辺鄙なところへ飛ばす理由が思いつかないんだよね。

 もう一つも、噂さえ聞いたことがないのだけど、俺という事例からもしかしたら……という可能性だ。

 俺は「転生」だったけど、彼女は「転移」だったとしたらどうだ。

 物語にはよくあるじゃないか。気が付いたら異世界に転移していたというやつが。

 

「村にいたわ」

 

 ボソリと独り言のようにラウラが呟く。

 

「村?」

「うん。黒い雲が降りてきたの。その後、気が付いたら森の中にいた」

「俺は君に手出しをするつもりはない。君からも敵意を感じない。うーん。聞き方を変えよう。ここには何しに来た?」

「いい匂いがしたから。ごめんなさい」


 さっきから口元を拭っていたのは、空腹に耐えていたからだったんだな。

 何か有益な情報を得ることができるかもしれないし、ペコペコの彼女を追い返すのも気が引ける。

 自分でも甘いと思いつつ、今更かと苦笑した。

 だって、無理やり居ついたルルーとスレイプニルに対し、一緒に仲良く暮らしているわけだからな。

 今更警戒するなんてこともおかしい話だ。

 

「一緒に食べよう。だけど、武器はその場に置いてくれ」

「いいの?」

「あの二匹と同じさ」


 はははと乾いた笑い声を出すと、ラウラは俺の言いつけ通り腰からナイフを外し両手を開く。

 ボロ布の下に武器を隠し持ってないか、なんて野暮なことは考えない。

 信用すると決めたからには、疑わないのが俺のポリシーだから。疑心暗鬼に囚われると、気に病むだけだからな。

 それならば、最初から誰かと一緒に行動するなんてことをしなきゃいい。

 

 それにしても、あいつらまだ食べてやがる……。


 ◇◇◇

 

 こんがり焼けた骨付き鹿肉をおいしそうに食べるラウラと例の二匹。

 いや、お前らはもういいだろ。ずっと食べ続けているじゃないか。

 次の肉をラウラに渡し、ルルーにも渡そうと目の前まで肉を寄せ自分の手元に持ってくる。

 

『もきゃー!』

「ルルーはたんと食べただろ。俺はまだ食べてないんだから」

『そうはいくかもきゃ』

「こら、かじりつくな!」

『熱いもきゃあああ!』


 かすめとるように肉にかじりついたルルーが弾かれたように口を離す。

 ほら見たことか。

 ちゃんと冷ましながら食べないと火傷するぞ。

 

「はふはふ」

「ゆっくり食べろよ」


 さっきから何度も喉を詰まらせているラウラに注意するも、超空腹だった彼女はまたしても「うっ」となり水を飲む。

 前かがみになってせき込む彼女の肌が目に映り、慌てて視線を逸らした。

 ボロ布は所々破けて彼女の地肌が見えているし、しっかりと縛っていないから目に毒過ぎる。


「ありがとう。見ず知らずの私に食事を。それに……」


 ようやく満腹になったのか、彼女は食事の手を止めた。

 話の途中だったから、しばらく待っていたけど彼女はそれ以上何か言おうとしない。

 それにしても、素直にお礼を言う彼女の殊勝な態度に少し感動しそうになってしまう。いやいや、お礼を言うのは普通のことだからと心の中で即突っ込みを入れる俺。

 もきゃーとにゃーんのふてぶてしさに毒されていただけだ。

 

「ついでと言っては何だけど、着替えてもらえると俺も助かる」

「服なんて、私……ナイフ以外に持ってなかったの」


 服ならいくらでも出せる。

 どんな服ならいいかな。

 

『裸でいいもきゃ』

「お前はそうだろうよ……」

 

 ……男性用のワイシャツがふわりと地面に落ちた。

 ルルーが変なところで口を挟むから、変なものを想像してしまったじゃないか!

 俺の趣味ってこんなんだったんだっけ……いや、そんなはずはない。

 

「これ、着ていいの?」


 キラキラと目を輝かせるラウラに何も言えず、無言で頷きを返す。

 

「後ろを向いているから、着替えて。後でちゃんとした服を出すから」


 自分に言い訳しつつ、くるりと後ろを向く。

 すぐに衣擦れの音が耳に届き、「着替えたよ」と彼女から声がかかった。

 

 うん。良い。非常に良い。

 大き目の男性用ワイシャツをワンピースのように着る女の子。何とも言えんな。

 ……これは不可抗力だから、決してやましい気持ちではない。決して違うのだ。

 

「え、ええと。女性服には詳しくないんだ。そうだ」


 スケッチブックと色鉛筆を出現させ、彼女に見せる。

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