火けしねじり

倉井さとり

 僕は多分、星川ほしかわカナカに恋をしていた。だけどその恋はこの夏で終わりをむかえた。一夏ひとなつで終わる恋なんて、まるでせみのようだ。ついぞけずに終わった片恋かたこいは、がらのように形をたもって、この世に残り続けるのだろうか。


 退屈たいくつな高校3年の夏。それは突然に僕たちの心をまどわせた。退屈凌たいくつしのぎを通りこし、ひど焦燥感しょうそうかんをもたらし、夏を加速させた。

 同じ学年の女子が死んだ。その知らせは、まるでや水をびせるように、僕たちの息を背筋せすじやした。それなのに次に感じるのは、酩酊めいていに似た、朦朧もうろうさだった。太陽にけたアスファルトような熱い関心が、学校中をけめぐった。


 授業中に鳴り響くSNSの通知。なのに怒るわけでもない先生。こんなに弱腰よわごしなのは、最近、モンスターペアレントが携帯の自由化をうったえに、学校に乗り込んできたからだ。だから携帯関係に口を出せない。そのわりとばかりに先生たちは、問題の分からないのを声高こわだか指摘してきして、さを晴らす。こんなにも子供じみた大人を、僕は初めて見た。だらしのない父や母を見ているけれど、それよりもずっとひどい。

 僕はこんな大人にはなりたくないと心底しんそこ思った。もしこんな大人にしかなれないなら、死んだ方がマシだとさえ思えた。


 ――死んだのは3組の小佐田おさだミズコ――


 けたたましい様々な通知音は、どれも同じ内容なんだろう。

 顔を寄せ合う女子、あからさまな好奇こうきを隠さない男子。


 ――朝の通学で電車にはねられたらしい――


 問題の解けないのをめられる気弱な女子は、見せしめのはりつけのように長いこと立たされていたが、そんなの誰も見ちゃいない。


 ――体は端微塵ぱみじんらしい――


 教室の連中れんちゅうの顔の変化のいちじるしさは、無音の歓声かんせいを上げてでもいるかのようだ。

 そんななか、星川カナカだけは窓辺まどべの席で、吹き込んでくる風を気持ちよさそうに受けて、目をほそめていた。その姿は、まるで別の世界にいるようにすずやかだった。

 窓の外の、彼女の見つめる先では、遠くの商店街しょうてんがいの広告のアドバルーンが、風にれていた。




 僕は星川さんと同じクラスになってから、ずっと彼女のことが気になっていた。同じクラスになるのは今年が初めてだったが、1年の頃からうわさは聞いていた。いた女子がいるって。当時の僕はこう思っていた。そんなのクラスに1人か2人はいるだろうって。

 でも彼女は普通とは違った。変わり者というわくではとらえきれない、超然ちょうぜんとした雰囲気があった。同じ教室にいながら、1人だけ、別のなにかを見ているような。

 気になってはいながらも、僕は、彼女に一度も話しかけたことがなかった。


 多分、この教室の熱気ねっきにあてられたんだ。僕はその日の放課後に、彼女に話しかけていた。常時じょうじであれば、こんなことをすれば好奇こうきの目で見られるんだろうが、クラスの連中は噂話うわさばなしに夢中で、僕たちに少しの関心もせていないようだった。

 お祭りのような喧騒けんそうのなか、席にすわった彼女は、自分の手に目を落とし、じっと凝視ぎょうししていた。いったいなにをしているんだろうと注視ちゅうしすると、そのこうの上には、一匹のテントウムシがいた。彼女と同じようにじっと息を殺し、赤いに、黒まだらを浮かべながら。

「虫が好きなんだ?」と僕が声をはっした途端とたん、テントウムシはふっと飛びたち、窓の外へと消えていった。彼女はテントウムシを見送ることも、顔色を変えることもなかった。ただじっと、自分のこうに目を落とし続けていた。


「虫が好きなわけじゃない」


 唐突とうとつに彼女は言った。恰好かっこうはそのままに。

 反応をかえせない僕に、彼女はさらに言葉を重ねる。


「色が好き」


「いろ?」


「こんな派手はで格好かっこうで、外を出歩けるなんて尊敬そんけいする」


 僕は冗談じょうだんかなにかかと思って笑おうとするけど、彼女の目はいたって真剣だった。


「それで、なんの用事ようじ


 問いかけのニュアンスのふくまれないその語調ごちょうに、そうであると気づくのに、一瞬だけ遅れる。


「……ん、ああ、いや、ようってほどでもないんだけど」


 うろたえる僕に顔を向けた彼女は、首をかしげもしないで、ただこちらを凝視ぎょうししつづけた。


「……いや、ほら、すごいさわぎだと思ってね」


「そうかな。合唱がっしょうよりは、まだうるさくない」


「それは言えてるかも」


「これと私が、どうつながったの」


「……ただ、君だけ、いつもどおりだったから」


「へぇ。福田ふくたくんは、いつもどおりの人が好きなんだ」


「……好き?」


「そういう福田くんこそ、めて見えるけど」


「……ほら、ただ、うんざりしてて、人が死んじゃったってのに」


「いつもどおりだよ」


「えっ?」


「これがみんなのいつもどおり」


「……いつも……」


「人がいつもどおりじゃなくなるのは、自分になにかあったときだけだから」


「……まぁ、確かに。でも不謹慎ふきんしんだよね」


「これが、お葬式そうしきなんだよ。みんなにとっての」


「……葬式そうしき


「きっと、ミズコもよろこんでるよ」


「……よ、喜ぶ? こんなに嬉々ききとしてるのに……」


「ミズコはかまってほしい子だったから」


「……。……というか知り合いだったんだね。ごめん僕……」


「知り合いといっても、たまに、一緒に帰るくらいだったから」


「そっか。ならよかった」


「ええ」


「ねえ」


「なに」


「もしよかったらさ、連絡先れんらくさき、交換しない?」


「いいよ」


「ほんと?」


「どうして」


「いや、ほら、いつもひとりでいるから。いやがられるかな、なんて思ったから」


ひとりが好きなわけじゃない。グループがいやなの」


「グループ?」


きらいな人とも仲良くしなくちゃいけないから。それだったらひとりの方がいい」


 彼女はそう言うと、つくえからノートを取りだし、1ページまるまるをやぶると、それに鉛筆えんぴつでさらさらとなにかを書きこみ、僕にきつけた。そこには、ふでで書いたような達筆たっぴつな字の、数字の羅列られつ。携帯番号だろう。僕はそれを受けとりながら、自分の顔がほころぶのを感じていた。


「ありがとう。そうだ、SNSはなにかやってる? よかったら交換しようよ。その方が簡単だし……」


「SNSは得意じゃないの」


「得意じゃない?」


「どうしても時間差があるから」


「時間差? ……うん、まぁそれは、メッセージだから」


「過去があいだに入るから」


「過去?」


「そう、過去。私と相手、2人でやりとりしているはずなのに、時間差があると、3人で話してるのと一緒になる」


「よく分からないけど……それはいけないこと?」


「過去はね、私たちの邪魔じゃまをするの。うしろから背中を押して、行きたくもない道をあゆませる」

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