第13話 冗談は顔だけに

「これも神の加護というものじゃよ」


「どこの世界にピッキングの加護を与える神がいるかっ。つか、あんた坊主だろっ。せめて仏の加護じゃないのかっ」


 もう何に怒りをぶつけていいのかもわからず、誠はいくつものつっこみを入れずにはいられなかった。


「それは違うな。神仏習合しんぶつしゅうごう、あるいは神仏混交しんぶつこんこうといってな。この国では仏教が伝授された頃の古くから神も仏も同じものとして扱われてきたのじゃよ。明治維新後に神仏分離しんぶつぶんりされるまでは、それが当たり前だったのじゃから、むしろ神と仏を別物として扱う方が歴史としては浅いのじゃ。であるからゆえ坊主に神の加護があってもおかしくないのじゃよ」


「なるほど……って論点はそこじゃねぇぇぇぇ」


 一瞬納得しそうになるが、細かい説明でごまかされているだけだ。


「まぁまぁ若いの。落ち着くが良い。この道明寺。ただ何の意味もなくピッキン……鍵を開けてここにきた訳じゃあない」

「こいつ……ピッキングいいかけたぞ……」


 憮然とする誠を一切顧みることなく、桜餅坊主は眠っている優羽の体を見つめ、そして懐から数珠を取り出す。


「その娘子の体、見つかったと美朱に聞いておってな。元に戻す手助けをしにきたという訳じゃ」


「出来るのか!?」


「無論。わしほどの高位の僧ともなれば、それくらい朝飯前ぢゃ。なんならさっそくやって進ぜよう」


 数珠を握りしめ、優羽の体へと腕ごと向ける。そしてなにやら呪文かお経かもわからない言葉をつぶやくと、かぁっとのどの奥から声を漏らす。

 何度もそれを繰り返しながら、眼前に数珠をあてて力を入れる。


「ど、どきどきしますね」


 誠の隣で優羽が手のひらをあわせて祈るように見守っていた。

 桜餅坊主は高らかに数珠を天に向けて掲げ、強い声と共に思い切り振り抜く。

 そして誠を方へと振り返り。満面の笑みを浮かべて、誠の肩へ手を置いた。


「うん……無理じゃ!」

「今までのくだりは何だったんだよっ。返せっ、時間を返せっ」


 思わず誠は詰め寄るが、桜餅坊主はほっほっほっと軽快な笑みを浮かべながら受け流していた。


「まぁまぁ慌てるではない。普通ならば体と霊の双方が近くにいるのであれば生き霊を元に戻す事などたやすい事じゃが、この娘子の場合は普通ではない。魂の尾を何らかの力で強制的に断ち切っておる。今もその力が体を元に戻そうとするのを拒んでおるのじゃ。つまりその原因を取り除かねば、娘子を元に戻す事はできん。そしてその鍵は」


 桜餅坊主はその言いながら、優羽の眠る布団の隙間から見える腕に巻かれた金と銀の腕輪を指し示した。


「この腕輪にあるようじゃな。霊体が元に戻るのを阻害する、いや正確には霊体を体の外に出そうとする効果があるようじゃ。つまりこの娘はこの腕輪の力で強制的に生き霊化させられているという訳じゃな」


 桜餅坊主は言いながら霊体の方の優羽へと歩み寄ると、その手をつかむ。


「あわわ。そ、そんな。だ、だめですよっ。私には心に決めた人が……っ」

「ばかもん。そんなつもりは全くないわい。ちょっとこっちへよってみよ」


 変な誤解をしたらしい優羽にあきれた声で答えると、桜餅坊主は優羽の霊体を眠っている優羽の体の方へと引き寄せる。

 桜餅坊主はさすが自称高位の僧らしく、誠とは違い霊体に触れる事も出来るようだった。優羽の霊体は桜餅坊主の手に強引に引き寄せられて、体の方へと倒れ込もうとした。


「あわわわ……って、わぁっ」


 驚きの声をあげると共に、優羽の霊体が唐突にはじき飛ばされる。まるで磁石が反発するかのようだ。


「無理に近づけようとしても、この通りという訳じゃな。よほど近づけなければこうはなるまいが、霊体が体に近づく事も難しい状態という訳じゃ」


「だったら、その腕輪をとればいいのか?」


「残念ながらそれは出来ぬ。なにやら術がかけられているようでな。無理にはがせば体ごと引きちぎる事になるじゃろう」


 桜餅坊主はかぶりをとって、目を閉じる。


「ならどうすれば」

「この術を解くしかあるまいな。そのためには小僧、おぬしの協力も必要じゃぞ」


 桜餅坊主は真剣なまなざしで誠を睨むように見つめる。

 その強い視線に誠は思わず息を飲み込む。


「どうすればいい」

「うむ。それはもちろん古来から眠り姫を目覚めさせるには、王子様の接吻と相場が決まっておる」


「そうか。よし……って、えええええっ」


「だっ。だめですよっ。誠さん、私達まだそういう関係じゃないし。早すぎます。ああ、でもそれくらいなら……」


「ええい、二人とも、ためらうでない。さぁ、ほら、早くいくのじゃ、ぶちゅーっと……」


 そこまで告げた瞬間、美朱が思いきり桜餅坊主の後頭部を殴りつけていた。


「馬鹿いってるんじゃないわよ」

「いてて。冗談じゃよ。冗談」

「冗談は顔だけにしてよね。まったく」


 辛辣に言い放つと、美朱はこんどは誠の額へと伸ばした指先を当てる。


「あんたもこんなのにだまされてるんじゃない。そんなことある訳ないでしょ。まったく。あ、それともだまされたふりしてキスしたかったと、そういう事だったかしら。あらー、だったら悪かったわね」


 底意地悪い台詞をはきながら、のばした指先を指でつまびいて額へとぶつける。


「いてっ。いや、そういうわけじゃないが……」

「まぁ、とにかく簡単に引きはがすという訳にはいかんのでな。この術を解くには時間をかけて術を解析するか、あるいは術をかけた当人に解除させるしかないの」


 先ほどまでの事など無かったかのように、桜餅坊主は真面目な顔で告げる。

 少々腹立たしくもあったが、あまり脱線していても話が進まない。余計な話の事は棚に上げて、ひとまずは解決する方法を探索するのに専念しようと誠は思う。


「でもどちらの方法をとるにしてもどうしたらいいんでしょうか。私には術とかまったくさっぱりこれっぽっちもわかりませんし。かといって、誠さんもそういうのは詳しそうに見えないですし。あのちょっとあれな感じの人に頼るしかないんでしょうか」


 優羽の言葉に意外と言うなぁ、と内心思いながらも、ちらりと桜餅坊主へと視線を送る。


「あれな感じな人とはなんじゃ。ダンディなおじさまと呼ぶがよい。まったく最近の若いもんは礼儀も知らぬと申すか」


「いや。だってそもそも貴方が礼とか尽くす感じの人じゃないですよねっ。だいたい私、あやうくあの世に送られちゃうところでしたしっ」


「ほっほっほっ。まぁ、そんな事もあったかのう。まぁしかし残念ながらわしにはこの術は解けぬな。いやかなり時間をかけて調べればわかるかもしれぬが、この娘子が命を失うまでの時間では足るとは思えぬ。このような術は見た事がないでな。この術をよく知っているものであれば可能かもしれぬが、残念ながらこのような術の使い手は知らぬ」


「だとしたら、術をかけた本人に解かせるしかないのか」


 唇をかみしめながら誠は眉を寄せた。

 術をかけた人間はおそらくあの中森とかいういかれた男なのだろう。だが彼が素直に術を解くだろうかといえば、そうは思えない。


「んー。たぶんもう一つ方法があると思う」


 不意に美朱が口を挟む。


「もうひとつ?」

「うん。この術さ、私やおじさんが使っているような純粋な法術ではなさそうなのよね。なんかちょっと新しい術って感じがするのだけど」


 さらりと美朱は自分も術が使える事を告げていたが、そこはこのさい気にしない事にしようと誠は思う。そもそも美朱が告げていた誰かに見つからなくする力というのも、その法術とやらなのだろう。


 美朱もはじめから優羽が見えていた訳であり、術を使う桜餅坊主の親戚でもあるのだから、何かしらの不思議な力が使えるとしても、今更不思議には思わない。いいかげんおかしな事がありすぎて、誠の感覚もずいぶん麻痺し始めていた。


 ただ誠はほんの数日前までは、自分の周りに奇っ怪な術とやらを使える人間がいることも、霊と同居生活するどころか、その体とまで一緒にいる事になるとは全く思ってはいなかった。それが何の因果か、こんな状況になるとは思ってもみなかったなと、誠は心の中で独りごちる。


「あの腕輪ってさ、なんか機械っぽいのよね。たぶん機械の力を使って、術の力を増幅しているんじゃないのかな。法具とかでそういうのたまにあるし、その延長線なのかなって。とはいっても、あの腕輪だけで術の力を増してるとは思えないから、もっと腕輪に力を送り込んでいる大本の機械があるのだと思う」


「ほぅ。なかなか面白い推測よな。わしは機械などてんでわからぬが、術の力を上げる道具はいろいろとある。機械がそういった力をもっているとしても、それはおかしくもない。少し前にはパソコンやらスマートフォンを使って悪魔を呼び出すやからがいるともきくしの」


 桜餅坊主の言葉に、パソコンやスマホで悪魔を呼び出すなんて事ができるのかとも誠は思うが、考えてみればそもそも悪魔召喚そのものが非現実的な話だし、美朱や桜餅坊主の術もかなり非現実的な話だ。それを思えばパソコンや機械が霊への影響力をもっていると言われれば、そういう事もあるのかもしれない。


「つまりその大本の機械を壊せば、術が自然に解けるかもしれないってことか」


 言いながら誠はあの病院の一室の事を思い出す。

 ドクター中森は、確かに何か大仰な機械を操っており、それによって優羽が衝撃をうけ、優羽の霊体が現れていた。たぶんあれが美朱の言う術の力を増す機械なのだろう。

 ドクター中森は霊体発生装置と言っていたが、霊体を発生させるとは、すわなち肉体から霊体を分離させる機械だと言うことに違いない。つまりあの機械を破壊する。そうすれば優羽が元の体に戻れる。


 そう思うと誠の気が少しだけ楽になった。もちろんまたあの部屋に忍び込んで、機械を壊すとなるとかなりの無茶をしなければならないだろう。誠を気絶させた何者かの正体も目的も不明だし、ドクター中森も今度は簡単に侵入を許すとも思えない。


 しかしそれでも何をすれば良いのかわからない状態よりかはだいぶんマシだ。

 それにあのドクター中森はだいぶん常識が通用しない感じの人間だったため、もういちど鍵も開けっ放しになっているという事も考えられた。


「まぁ可能性の一つってだけで、本当にそれで元に戻るかはわからないけどね。でもこういう霊体を強制的に操る術っていうのは、たいてい不安定でいつ途切れるかわからないものって決まっているから、バランスが崩れればその可能性はあると思う」


「うむ。その腕輪からでておる力が止まれば、おそらくは霊体が肉体に戻ろうとする力の方が強いじゃろう」


「だったら、とにかくやるしかないな」


 誠は右手を拳にして左手に打ち付ける。パンと強い音が響いた。


「わぁ、誠さんやる気ですねっ。どこの誰かも知らない私のためにっ。ああ、私って罪な女ですっ」


「……言われてみると、なんで俺はこいつを助けようとしてるんだ」


 乗りかかった船だからといえば簡単ではあったが、冷静に考えてみると出会って間もない幽霊のために、なぜこんなにも必死になっているのかは誠にもわからなかった。

 やっぱりやめるべきだろうかと言う考えが、少し頭の中をよぎる。


「わぁ。だめですよっ、やっぱりやめるとかっ。このまま本当に幽霊になっちゃったら、私化けて出ますからねっ。うらめしやー、表はそばやーって」


「どんな幽霊、それはっ」


「はいはい。夫婦漫才はそこまでにしてちょうだい」

「夫婦じゃねぇっ」

「そうですよっ。まだ夫婦じゃありませんっ」


「まだってなんだっ。って、このくだり前にもう一回やったわっ」


 誠は思わず突っ込みを入れて、溜息を漏らす。


「まぁとにかく、もういちどあそこに忍び込んで機械を壊そうって訳ね。とりあえずいっとくけど犯罪よ。それ。まぁこの子の体を連れ出した事自体、もう誘拐拉致で犯罪だけど」


「うっ……」


 美朱の冷静な言葉に思わず息を飲み込む。

 誠からしてみれば、虐待のような仕打ちをうけていた優羽の体を取り戻したのだが、それを警察に話したとしてもおかしな言い訳にしか思われないだろう。

 幽体兵器などとドクター中森はいっていたが、優羽に兵器としての力があるようにも思えないし、端から見れば何らかの医療行為をしていたと考える方が自然だ。


「まぁ相手も明らかな隠し部屋での行為は言い訳しにくいとは思うけど、こちらの方が分が悪いのは確かよね」

「ううっ……」


 言葉に詰まり、誠はどうしたものか思案を巡らせた。

 もちろん答えが出るはずもない。


「ほっほっほっ。まぁ話をきくに非道な輩である事は間違いないからの。あちらさんも警察に通報といった手段はとってこまい。であればやりようはあるというものじゃ」


 そこに桜餅坊主が救いの手を差しのばしてくる。


「術には術で対抗じゃよ」


 この時、桜餅坊主が何をしようとしているのかなど、もちろん誠にはわかるはずもなかった。

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