第17話 ツン上司は突然にデレる

 土曜日だった。一週間の休暇は昨日ですでに終わっていて、この土日が終われば、休暇をどうするか考えなくてはならない。さもなくばどこかにシイコを預けるか。

 ノゾミはこの日もトオルの部屋に来ていた。成長したシイコは、髪もそれなりに伸びていたため、ノゾミがシイコの髪をとかしてやっていた。

 とてもゆるやかな時間が流れていた。

「――すいません主任」

「なにが?」

「週末ですよ。いろいろ予定……あったんじゃないんですか」

「別にないわよ。いいじゃない別に、タネコに会いに来たって。それとも迷惑?」

 ヘアゴムを手にしながら、ノゾミは言った。

 トオルはその光景を見ながら、あぐらをきちんと正座に直した。

「――いや。迷惑じゃ、ないです。ありがとうございます。あとシイコです」

「あらまあ……ずいぶんとしっかりしたこというのね。仕事もそれくらいまじめならいいのに」

「月曜から頑張りますよ! シイコもいるし、俺、もっともっと頑張らないと……」

「まるで一家の大黒柱ね。すっかりお父さんだわよ、たねもの屋が言ったみたいに」

 だが、休暇を取るのか、シイコを預けるのか、その答えは全く出ていなかった。だからトオルは頭をかきかき、照れたように「責任感は全然足りてないですけど」と言った。

「何言ってんの、そんなもんあとからついてくるわよ。……ほーら、できた」

 シイコの髪をきれいにまとめて、ノゾミは満足そうにシイコの頭を撫でた。シイコはノゾミの首に抱きついて、うれしそうにきゃっきゃとはしゃいだ。ノゾミもまんざらではなさそうで、ふたりはしばらくじゃれあっていた。

 トオルはそれをやさしい目で見つめていた。

「主任はいいお母さんになりそうですねえ」

「――あんた何言ってんの」

 じゃれていた手を止めて、ノゾミはすごんだ。思わずトオルの首がすくむ。

「すいません……」

「冗談よ。誰からもそんなこと言われたことなかったからね……」

 このひとでも冗談を言うんだ。トオルは心の中でつぶやいた。出会ったころとは確かに何かが違っていた気がした。

 ノゾミはまたシイコとじゃれつき始めたが、すこしして、「あぁそうだ」とトオルのほうを向いた。

「明日、お弁当作って、公園にでも行かない?」

「公園ですか?」

「この子、一応、植物でしょ。日光浴させてあげたら?」

 日光浴。それはいい考えだった。確かに水はやっているし、時々ベランダで遊ばせてもいたけれど、そういうふうに、はっきりと外に出してやったことはいままでになかった。

「でもなんでそれに弁当がいるんですか?」

「ただ行くだけじゃつまらないでしょ。いいじゃないピクニックみたいな感じで。お弁当は私が作るわ」

「主任が!?」

「嫌なの?」

「嫌じゃないですけど。作れるんですか主任に」

「…………セクハラで人事に訴えるわよ」

 またトオルは思わず首をすくめた。だがすぐに、「いやいや、だって、」とつなぐ。

「意外なんですよ、なんでそこまで俺とシイコにいろいろしてくれるんです? 俺会社サボってるのに。すごくありがたいとは思ってますけど」

「……ま、きまぐれよ」

「はぁ……」

 シイコはにこにこと笑いながら、ふたりの間をうれしそうにとてとてと回っていた。

 トオルはシイコを抱き寄せると、頬をむにむにと触りながら言った。

「シイコ、よかったなー。明日みんなで公園行くぞ、天気いいといいな!」

 シイコは手をたたいて喜ぶ。

 その様子を見たトオルは、抱き寄せていたシイコの身体を、ぎゅうっと音がするくらい強く強く抱きしめた。

「……俺……なんかいま、すっげえうれしい。……あの、主任?」

「何」

「シイコがもし嫁に行くことになったら……俺、泣くと思います……」

「あんたいまから何言ってんの!? どんだけ父親よ!」

 ノゾミは心底からあきれつつも、苦笑して、シイコを抱きしめ続けるトオルの頭をくしゃくしゃとやった。

 シイコはトオルの腕の中、とても幸せそうな顔で、いい寝息を立てはじめた。

 トオルはシイコを抱きしめる手をすこし緩めて、ゆらゆらと揺りかごのように自分の体を揺らした。

 ノゾミは、時々、こくん、こくんと、トオルの首が傾くのを見ながら静かにつぶやいた。

「……私も、泣くかも、ねえ」

 ノゾミの、そのつぶやきが、トオルに聞こえたかどうかはわからない。

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