第10話 亡者
重い鎖を引きずる響きに覚醒する前に、私の身体は起き上がったようでした。
逃げよ、どこかで声がしたように思うのと、鎖の響きがこちらに迫ってくるのを同時に感じた刹那、それは立ち上がろうとした私の前で止まると、
「久しぶりだな」
その声に、私の身体は凍りつきました。
光を奪われたときの光景が、最後にこの目に焼きつけられたその男の顔が、私の脳裏にまざまざと甦りました。
そんな私の怯える姿をしばらく眺めていたのか、そいつは瞬時黙していましたが、やがて鎖を一つ響かせると、私の目を潰したことを、さらには惨い仕打ちをしたことを泣いて詫びました。
私が身体を固くしたまま一言も応じずにおりましたら、それは暁光とともに鎖を引きずりながら去りました。
しかし、翌晩もその翌晩も、そいつは鎖を引きずって現れては詫び続けました。
仏道に生きる者なら、赦しを請う者に情けをかけるのは当たり前ではないか、とまで言いました。
七日目に、私は己の身体に経文を、きぬの手も借りて書き付けました。
その夜、鎖を引きずりながら現れたそいつは、姿の見えなくなった私に少し狼狽えながらも、それまでの哀願するような言葉から打って変わって、次のように語りました。
そこにいるんだろ。
亡霊に耳を引き千切られた盲目の琵琶法師……
いくら隠れたって無駄だ。耳がないから、今度は経文を書き落としたところはない、というところだろうか、俺にはわかっているぞ。
だいたい、お前がこうして琵琶を弾いて安楽に暮らしていられるのは、誰のおかげだと思っているんだ?
俺がお前の両目を針で突いてやったおかげだろ。
だが、俺は地獄に堕ちて苛烈極まる責め苦に苦しめられている。この世で打ち首獄門となってなお、俺が嬲ってやった奴らが閻魔の庁に訴えたからだ。
俺は、誰にどんな仕打ちをしたかいちいち覚えてはいないが、奴らは逐一それを覚えていて、同じ苦しみ、痛み、恥ずかしめを与えよ、と言ってきかないらしい。
だから、閻魔の庁では、浄破璃の鏡に俺の所業を映しては、罪名を読み上げてさまざまな刑罰を課しやがる。その痛みや苦しみは、人の世にある、いかなる痛み苦しみよりも激しく、俺が止めてくれと懇願し続けていたら、
「そんなふうにすがりつかれて、お前は止めたか?」
と牛頭が言った。それでも俺が哀れな声を出して泣いて見せたら、
「もし、罪一等を減じてほしいならば、これまでお前に嬲られ、酷い仕打ちを受けたすべての人に心から詫びて回れ。そうしてすべての人がお前を赦したならば、その罪業は軽減されるであろう」
馬頭がそう言った。それから、牛頭馬頭は重い鎖を俺の足にはめて鞭をくれながら、まずは死んで地獄に落ちた者たちの前に追い立てて謝らせた。
俺は、そいつらが赦してくれるまで何度も頭を下げて詫び続けた。そうやって、いったいどれほど謝って回ったかわからない。それでも、地獄に堕ちた者どもはまだましだったかもしれない。俺を赦せば極楽に向かう功徳を一つ積むことになるかもしれないぞ、と言ってやったら、みんなそれで地獄から抜け出るよすがになると思いこむからな。
少し厄介だったのが、まだ生きている奴らだった。
俺が姿を現したときは、ひどく驚き懼れた。だが、俺が地獄で苦しんでいることを知って、溜飲を下げ、もう酷い目に遭わされることなどない、と知っても、さんざん俺を罵って赦そうとはしなかった。
それでも俺が何度も涙を見せながら、
「赦してくだされば、あなた様の来世をお約束いたします」
と言ってやったら、哀れみをかけるような声音で、
「しかたない。赦してやろうか……」
と口にする。
だが、仏に帰依したはずのお前だけが、いつまでも、どう言っても、俺を赦さない。赦さなければ、お前は極楽へは行けぬぞ。俺がお前を地獄に引きずり込んでやるからな。いや、何より、ずっとお前に祟ってやるからな……
おい、聞いているのか?
その夜も、身じろぎもせず暁光の射すのを待っていました。
一晩中毒づいたそれは、また、明日の夜も来て祟ってやるぞ、と捨て台詞を吐いて去っていきました。
一睡もせずに待っていたきぬにまた手伝ってもらって経文を身体に書して翌晩、私が身じろぎもせずにおりましたら、鎖の音が響いてはきましたが、それは次第に遠のいていって、やがて聞こえなくなりました。
さて、今宵は何を弾じましょうか。
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