耳なし異聞

二河白道

第1話 琵琶法師

 子どものころに光を奪われた私が、手慰みに琵琶を奏でておりましたら、これを聞きに来られる方が増えて、私は初めて世の人の為になっているのか、と思うようになりました。

 さりとて、私がいくら琵琶を弾じて語り詠いましても、それで身を立てられようはずもなく、寺で生涯を終えるものと思っうておりました。

 ところが、住持も納所も出かけた夜に、

「さる高貴なお方が、その方の琵琶をご所望じゃ」

 と使いの方が訪れましたときには、私も少しく立身を夢想いたしまして、手を取られましても、それが尋常な者の手でないことに気がつきませんでした。あとから思いましたら、連れられながら、その高貴なお方のお宿がどこか、察しがつかなかったことも不審の一つではありました。

 なれど、私が、その高貴なお方のお気に召すように一心に琵琶を弾き語りましたところ、最後にはそこにお集りの皆様が、とりわけ女性の方々が、感極まってお泣きになるそのお声に、若い私はすっかり己を見失ってしまいました。

 以来、夜毎、深更にいたって使いの方、おそらくは鎧を着込んだ武者が迎えに来られまして、私はもう何を語ろうか、どのように弾じようか、ひねもす、そればかりを考えるようになりました。

 その私の異変に気がつきましたのは、世話になっておりました寺の住持で、

「亡霊に取り憑かれたか」

 そう言って、すぐに納所とともに私の身体に経文を書き付けて、災厄から私をお護りくださいました。

 けれども、納所が私の両耳にだけ経文を書き落としてしまいましたがために、迎えに訪れた武者に、それは引きちぎられてしまいました。

 住持はひどくお悔やみになり、殊に納所は書き落とした己を責めて、朝な夕な、私と顔を合わせるごとに、

「すまぬことをした……」

 と口にしました。そのたびに、

「いえいえ、こうして命がありますだけでも、ありがたいと思うております」

 と私は頭を下げておりましたが、そのうちに、納所の態度に冷たさが感じられるようになりました。

「琵琶を弾じるだけの盲人法師を生かした者が、なにゆえ己を責めなければならぬのか……」

 そう、納所がこぼしている、と聞かせてくれましたのは、寺男でございました。

 ただ、住持の前では以前と同じく申し訳なそうな声で私に接し、私の琵琶を聞きに訪れる人々の前でも、納所は丁重に私を扱うてはくれました。

 また一方で、私を訪れる人々も、琵琶をただ聞きに来られる方ばかりではなくなりました。私の目の見えぬことをいいことに、私に近づいては失った耳の傷跡をしげしげと見る者は決して少なくありません。

 亡霊に耳を奪われた、盲目の琵琶法師。

 世の中に、これほど奇異なる者はありますまい。

 それでも、住持がご存命の間は、私は琵琶を弾じることができました。

 しかし、住持が亡くなると、納所はあからさまに私を蔑ろに扱うようになり、私の琵琶を陰気くさいだのうるさいなどと難じましたから、私はとうとうそれに触れることすらできなくなりました。

 新しい住持は、その様子を知りながら黙っておりましたので、納所は憚ることなく私を厭悪し、ときにはこれみよがしに侮蔑いたします。私はただただ耐え忍ぶほかはありませんでした……

 けれども、そんな私の許へ怪異を語ってくれる者たちが訪れるようになって、私は再び琵琶を弾じることができるようになりました。

 こうして再び皆様のお側近くにまいることができましたからには、夜毎、琵琶ばかりお聞かせいたしますのもいかがなものかと思いますので、私の前で語られました怪異もお聞きくだされば、幸甚に存じます。

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