マンションのお姫様〜ちょっと意地悪な先輩と私〜

久野真一

第1話 マンションのお姫様

 コロコロコロ。コロコロコロ。秋の夜長のラウンジに、コオロギの鳴き声が聞こえてくる。このマンションは郊外で、周囲には自然が豊富だ。


「最後の晩餐ばんさん、か……」


 少し薄暗い明かりがラウンジを照らす。丸テーブルの向かいに座るのは、微笑みながら俺を見つめる


「なんですか、先輩。急に気取ったことを言って」


 クスクスと笑う、お姫様こと夏山若菜なつやまわかな。2つ年下のこの後輩の笑顔には、不思議と人を癒やす力がある。150cm程の少し低めの身長に、少しスレンダーな体型の彼女は、丸みのある顔つきや穏やかな性格もあって、一緒に居ると癒やされるということで、高校でも人気だ。


「このラウンジでくつろげるのも今晩で最後だろ。言ってみたくなったんだよ」


 今俺たちが居るのは、マンション1階のラウンジで、広さは6畳程。丸テーブルにソファが2つ置かれただけの殺風景な部屋だ。利用者が少ない割に維持費が嵩むということで、マンションの管理組合によって閉鎖が決まってしまった。明日にはこのラウンジは閉鎖され、別の目的のために改装するという。


「最後の晩餐って不吉すぎますよ。先輩にはセンスがありません」


 少し辛辣な事を言ってのける若菜だが、それも彼女の一面だ。学校で知り合ったのなら、わからなかったかもしれない一面。


「確かに翌日にユダがイエス・キリストを裏切るわけだからな。微妙かもしれない」


 最後の晩餐、というのは、キリスト教において、イエス・キリストと12使徒による晩餐を描いた絵、あるいはその日の事を指す言葉で、確かに少し不吉な言い回しだった。


「ところで、紅茶。何点ですか?」


 真剣な目をして、若菜がたずねてくる。2つのティーカップに注がれているのは、薄みがかった赤茶色の紅茶。


「70点。及第点だな」


 ちょっと意地悪をしてみたくて、そんな点数を告げる。


「はぁ。まだまだですね。せめて、今日までには100点が欲しかったんですが」


 そんな意地悪に気づかないのか、落胆した様子の彼女。ちょっとやり過ぎた?とはいえ、今更訂正するわけにもいかない。


「別にラウンジが無くなっても、機会はあるだろ」


 意地悪をしてしまったので、ちょっとフォローを入れてみる。


「それでもですよ。家だとこんなやり取りしづらいじゃないですか」


 相変わらず、若菜は少し落ち込んだまま。


「すればいいじゃないか」


「先輩と違って、私は繊細なんです」


 そんな、少し毒の入った台詞を聞けるのが楽しい。


「でも、やっぱり寂しいですね。ここが無かったら、先輩との関係もなかったかも」


 俯いてぽつりとつぶやく若菜は、それだけで絵になる綺麗さがある。同時に、俺との関係をそう思ってくれているのを嬉しく感じる。


「俺もだよ。ここが無ければ、とは仲良くなれなかったな」


 当時、俺が勝手につけていた若菜のあだ名をあえて持ち出す。


「先輩ってば、そんな昔のことを持ち出して。相変わらず意地悪なんですから」


 そんな事を言いながらも、はにかんでいる彼女。悪い気はしていないらしい。


「でも、最上階に住んでて、いっつもいい服着てたしな。姿勢もいいし」


 若菜の父親は、航空機製造メーカーの執行役員で、給料で言っても俺の家とは2倍以上の開きがある。俺の家も貧乏ではないけど、子どもごころに、どこか違う世界の住人であるという気がしていたのだ。


「私にとっては、あれが普通でしたから。いい服なんて意識したこともないですよ」


 若菜の事を一言で言うなら、いいとこのお嬢様だ。何不自由無い生活だし、彼女自身も、人から好かれるような立ち居振る舞いが得意。さらに、幼い頃から色々な習い事をさせられて来たせいで、文武両道だ。とはいえ、それだけじゃない事もよく知っているけど。


「先輩。今日が人生最後の1日だったとしたら、どうします?」


 急に真面目な顔になったかと思えば、若菜は不思議な問いを投げかけて来た。


「最後の1日か……。ピンと来ないな」


 頭を捻って考えるも、すぐに答えは出てこない。


「ですよね。私もです」


 言いつつ、クスクスと笑う様は可愛らしい。


「じゃあ、なんで言ったんだよ」


 少しの高揚感を覚えながら、表情を真面目なものに変えて睨みつけてみる。


「今日もある意味最後の1日じゃないですか。ちょっと考えちゃったんですよ」


 そんなお茶目な台詞も様になるんだから、美人はずるい。そう言ったかと思うと、急にすっと若菜が目を閉じる。


「その癖、出会った時からだよな。なんでなんだ?」


 昔から、考え事に浸る時には目を閉じる癖が彼女にはあった。


「視覚からの情報が遮断される分、考え事が捗るんですよ。言ってませんでした?」


「そういえば、昔聞いた気がするな」


 いつだったかはもう忘れてしまったけど。


「それで、先輩。最後の1日。先輩ならどうします?」


 目を開けた若菜は興味深々という様子で聞いてくる。彼女が何かを知りたいと思っていた時にする表情。


「ちょっと待ってくれ。考えてみる」


 単なる雑談かと思っていたが、真面目な問いなら考えなければいけない。と、その前に前提が欠けている事に気がついた。


「ところで、最後の1日はどういう風になるんだ?」


「というと?」


「病気で誰かを置いていくのか。人類全員死ぬのかで答えも変わるだろ」


 その他にも、諸々のシチュエーションによって、心境も変わってくるだろう。


「言われてみれば……そうですね。不治の病で死ぬ方向で」


「不治の病ってことは、急死じゃないわけか。悩むな」


「悩むところですか?」


 不思議そうに見つめてくる2つの瞳。


「だって、死ぬ前の準備期間が十分にあるわけだろ。色々変わってくるって」


「言われてみれば。先輩、妄想力働かせるのが上手いですよね」


 イタズラめいた笑みを浮かべながら、そんな事を言う若菜。


「せめて、想像力と言ってくれ」


 こんなちょっとした言葉遊びをするのも楽しい。


「そうだな……結論から言うと、普段と変わらないだろうな」


 考えてみて、まず浮かんだのがそれだ。


「ぶーぶー。ぜんっぜん、面白くないじゃないですか」


 不満げな表情。わざとらしく頬を膨らませてみたりするところが、愛嬌がある。


「つってもな。答えは変わらないぞ。普段通り、本読んだり、模型作ったり……」


 そんな、淡々とした最後の1日を思い浮かべる。


「先輩はマイペースですもんね。目に浮かぶようです」


「褒められてるのか貶されてるのか。ともかく、あがいても仕方ないだろ」


「先輩のそういうところ、ほんとに羨ましいです」


 どこか、届かないものを見るようなそんな言い方。


「別に、若菜には若菜のいいところがあるだろ」


「たとえば?」


「まず、可愛い。仕草とか1つ1つが様になるんだよ」


「いきなり容姿ですか……でも、悪い気はしませんね。私も努力してますし」


 美人というと、つい人は生まれついて与えられたものだと思いがちだが、こいつはこいつで普段からかなり美容には気を遣っている。他の美人さんと言われる人たちだって同様だろう。そういう所も含めて、俺はその人自身だと思っている。


「他には、思いやりだな。優しいと言い換えてもいいが」


「先輩、そういうことをさらっと言えるのはズルいです」


 見ると、若菜の頬がうっすらと紅潮している。

 ほんとにうっすらとだから、俺も最近気づくようになった程度だ。


「他にもあるぞ。努力を表に見せないところとか、気配りが出来るところとか……」


「ちょ、ちょっと、ストップ、ストップ!」


 いいところだったのに止められてしまった。


「なんだよ、不満か?」


「褒め殺しは嬉しい以上に恥ずかし過ぎます!」


 口をとがらせて文句を言ってくる。


「ワガママだな」


 といいつつ、心の奥でほくそ笑んで居る俺。

 意地悪をして、こいつを恥ずかしがらせるのは楽しい。


「本題に戻りましょう。最後の1日、他に何かありませんか?」


 羞恥心が限界を超えたのか、話をそらしにかかってくる。


「そうだな。後は、今までお世話になった人たちに感謝したいな」


「感謝、ですか」


「ああ。何不自由ない生活送れてるのも、色々な人あっての事だし……」


 区切って、感謝したい人を思い浮かべる。両親、友達、色々あるけど。


「まずは、親父かな。今の自分って、親父から受け継いだのが大きいんだよ」


 毎日、長時間働いて、時には出張で1ヶ月も帰らない事がある親父。人の命を預かる製品を作っている故か、非常に細かいところに拘る人で、模型やプラモなどが好きになったのは、親父の影響が大きい。


「先輩のお父さん、技術者ですもんね。顔つきも似てますし」


 マジマジと俺の顔を見ながら、微笑んで言う若菜。


「顔つきは……似てないと思うんだが」


 親父ほどいかめしい顔つきだとは思いたくない。


「そういうのは、本人はわからないんですよ」


「ま、いいか。後は、お袋かな。汚い言葉を使わないようにって教えは大きいな」


「言われてみれば。お母さんの教育の賜物だったんですね」


「あとは……やっぱ、お前かな」


 少し照れくさいが正直に告げた。


「わ、私、ですか?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしている。


「そうそう。こんなこっ恥ずかしいこと言えるのもお前相手の時だけだぞ」


 他の友達にこんな事を言おうものなら「熱でも出たのか?」と心配されそうだ。


「そう、なんですか?いつもの先輩って感じですけど」


 ああ、そうか。こいつは、俺と友達が一緒にいる場面はほとんど見てないしな。


「友達の間じゃ、これでも寡黙キャラで通ってるんだぞ」


「そういえば。友達が、先輩は寡黙でカッコいいって言ってました」


「カッコいい、ねえ。単に恥ずかしくて、口数少ないだけなんだが」


 憧れている後輩が誰かは知らないけど、変な幻想を持たれているらしい。


「でも、やっぱり、寡黙キャラな先輩って想像できないんですよね」


 首をひねる若菜だが、学校での接点が少ないから当然だろう。


「だから、お前だからだよ。というわけで、これまでありがとうな、若菜」


 最後の1日というお題にかこつけて、これまでの彼女への感謝を告げる。


「……もう。そういう所、女殺しだと思いますよ。先輩」


 恥ずかしい感情を隠すようなジト目で見られるが、そうはいってもな。


「正直な気持ちを告げただけなんだがな」


 こんな風に、内面をさらけ出せる程の友達は他に見当たらない。


「まあいいです。それじゃ、今度は私の方の答えを言いますね」


「お前なりの、最後の1日の過ごし方か?」


「そうです。私も、開き直りますから、覚悟してくださいね、先輩?」


 何か覚悟を決めたように、グッと拳を握って、それでいて、凄く楽しそうな表情をするものだから、どんな言葉が出てくるやら。


「まず、最初に」


 と言って、すぅーっと息を吸い込んだかと思えば、


「先輩へのこれまでの感謝と、大好きだっていう気持ちを伝えます」


 そう一息に告げたのだった。なるほど、そう来たか。

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