第60話 新しい枝


 初夏の暑さが本格的な夏のそれへと変わり、数日が過ぎた頃。


 キャロラディッシュはサンルームではなく、自室で……執務机の前で涼やかな時間を過ごしていた。


 手掛けていた論文の執筆が終わり、これといった事件もなく出来事もなく、のんびりと時が流れていくなんでもない一日を、椅子に腰掛け、窓から吹き込んでくる風を堪能しながら、静かに穏やかに堪能していると……ふいに瞼の裏の、自らの内側の世界にうねりが起こる。


 それは魔力が引き起こした小さな脈動であり、いつかに感じた懐かしい感触であり……一体これは何の感触だったろうかと考え込み、思い出そうとし……結局思い出せずにキャロラディッシュは「むう」と唸る。


 何かが起きている、何らかの変化がキャロラディッシュの大樹に起きている。

 だが何が起きているのか……その変化が一体何なのかどうしても分からない、思い出せない。


 そうしてキャロラディッシュは心の中で自らの大樹との距離を縮めて……ふわふわと安定しない、何かの拍子で霧のようにかき消えてしまいそうな世界の中で、目を皿にして大樹を見やる。


 すると、大樹の幹の上方……何本もの枝が大きく広がっている分岐点から、ちょこんと小さな枝葉が生える。

 

 それは魔術的な成長が成された時に起こる現象だった。

 大樹が更に大きくなろうとしている第一歩……変化の兆しを目の当たりにしてキャロラディッシュは目を丸くする。


 若い頃は大樹を大きくしようと、その枝を一本でも多くしようと研鑽を重ねてきた。

 何度も何度もこの現象を目にし、感じ取り、歓喜の声を上げてきた。


 だが年をとってからは……ここ十年二十年の間は、大樹を大きくすることよりも、十分に育った大樹を活用することに、その全てを引き出すことに主眼を置いていた。


 そうしていたはずなのに、諦めていたはずなのに何だってまた新たな枝が生えてしまったのだろうか。


 その現象自体はめでたいことではあったのだが、今更大樹に大きくなられても、キャロラディッシュには扱いきれないだろうし、その為の時も残されていないだろうし、キャロラディッシュはなんとも複雑な感情を抱くことになる。


 キャロラディッシュが以前、ソフィアを導くことこそが自らの探求の完遂であると口にしていたのは決して酔狂などではない。


 若き才能の踏み台となって、若き才能を大きく伸ばし、その行く果てに想いを馳せながら生涯を真っ当する。


 老いてしまった人間にはそれしか道が残されていないからこその言葉であったというのに、それが何故今になって枝が生えてきたのか……何故自らの魔術にまだまだ先があるという、残酷な可能性を見せつけてきたのか。


「儂に一体どうしろと言うのだ……」


 複雑な感情を整理しきれず、キャロラディッシュはそんな言葉を思わず呟く。


 そしてその呟きに対する回答をキャロラディッシュの心の奥底の、正直なる本心が返してくる。


『諦めるしかない』


 寿命ばかりはどうしようもない。

 あるいは魔術を駆使したなら寿命を凌駕し、超越し、不死なる存在になれるかもしれないが、それはもはや人ではない、生物ではない。


 この世界に存在してはいけない化け物でしかない。


 そんな不名誉を負うくらいならば今すぐに寿命を全うし、土に還り、生命の循環の中に没した方がマシというものだ。


「……ふぅー……」


 と、大きなため息を吐き出したキャロラディッシュは、これ以上大樹を見ていたくないと目を見開き、ぎしりと椅子を軋ませる。


 あの枝のことはこれ以上考えても仕方ない、忘れることにしよう。

 忘れてソフィアとマリィに魔術のなんたるかを教え、導くことに集中し……ソフィア達の枝を増やすことこそを、人生最後の目的としよう。


 そう強くキャロラディッシュが決意すると、またもその奥底であの感触が、新しい枝葉が生まれる感触が発生し、キャロラディッシュの全身を駆け巡る。


「……ば、馬鹿にしておるのか!?」


 思わず声を上げるキャロラディッシュ。


 諦めた途端またも新しい枝が生えてくるとは、何だって今更になってそんな現象が。


 そんなことを考えてキャロラディッシュが、理不尽に対する怒りで目を吊り上げていると……、


「んん~~~?」


 と、そんな声を上げながら窓からシーが飛び込んでくる。


 魔力の脈動を感じ取ったのか、キャロラディッシュの独り言を聞きつけたのか、ふらふらと飛んできたシーは……キャロラディッシュの側まで来て、その内部を覗き込むなり「ああ!」と声を上げる。


「なんだ、キャロットの魔力だったのか。

 いきなり変な波が流れてくるから何事かと驚いちゃったじゃないか。

 ……しかもこの枝……フフッ、今更こんな枝が生えるなんて、キャロットはほんと、子供なんだなぁ」


 そんなシーの言葉を受けてキャロラディッシュは、なんとも不快そうに表情を歪めながら言葉を返す。


「……なんだその言い草は。

 ……まるでこの枝が何であるか、知っているような口ぶりではないか」


 それに対してシーは、口元に手をやり再度フフフッと笑ってから、言葉を返す。


「勿論知ってるさ、知っていて当然さ。

 普通であれば誰もが持っている感情だからね。

 ……愛、いや、家族愛かな、それはそういった愛によって成長した枝なのさ」


「……何を馬鹿な。

 両親のことは今でも愛しているし、長らく一人で暮らしてきたからといって、家族愛がなんであるのかくらいは、儂でも知っておるわ」


「両親への愛と我が子への愛はまた別物さ。

 結婚せず、良い人と出会えず、我が子を持てず……ようやく養子をもらった老いぼれが、ようやくその子への愛に気付いたという訳だね。

 キャロットは確かに以前から、ソフィアのことを大事にしていたし、想っていたようだけど、それはあくまで師弟愛……あるいは庇護欲から来るものだった。

 それが一緒に暮らすうちに、色々なことを一緒に経験するうちに、ようやく家族愛へと変わっていって、心の大樹へ影響し始めたってそれだけのことじゃないか」


 シーにそう言われてキャロラディッシュは愕然とする。

  

 確かにソフィアとマリィのことは大切に想っているが、我が子だと、我が子のように愛する存在だとは一度も想ったことはない。


 後継者ではあるが、我が子ではない。

 側に居て当たり前の存在ではあるが、血を分けた一族ではない。


 そう想っていたはずで、今もそう想っているはずなのだが……何故、何故、何故とキャロラディッシュは愕然とした後に混乱する。


「多分、だけど……以前のキャロットならソフィアが独り立ちして屋敷から出ていっても、そこまでの寂しさは感じなかったはずさ、独り立ちしてくれたことを喜ぶ感情のほうが大きかったはずさ。

 でも今のキャロットにとってソフィア達は、そこに居て当たり前の……居てくれなきゃ困っちゃう、寂しくなっちゃう特別な存在って訳だね。

 フフフ……そうなったら、キャロットったら泣いちゃうんじゃないの?」


 混乱の中でシーから、そんなトドメを刺されたキャロラディッシュは……反論することも出来ず、何かを言うことも出来ずに、自らの心の変化にただただ戸惑うことしか出来ないのだった。

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