第49話 役所
ビルの指示で卒倒した男が連行され、ビルが中心となって男が関わっていた書類全ての確認作業が行われることになって……その場に居続けても仕方ないと、別の部屋へと移動する途中……キャロラディッシュがヘンリーとアルバートに言葉をかける。
「まったく、程々にしておくんだぞ」
すると猫らしく犬らしく歩いていたヘンリー達は、尻尾をくるりと丸めたりゆらりと振ったりして無言の返事をしてくる。
元々犬や猫は人間の不安や焦りといった感情を、その嗅覚によって嗅ぎつけることが出来る動物だ。
他の人間が抱いていた緊張臭とはまた違う、後ろめたさの混じった不安臭をあの男から嗅ぎ取り……その表情や視線、残り香などから大体のことを察して、それであんな真似をしでかしたと、そういうことなのだろう。
キャロラディッシュとしてはそんな面倒事、後でこっそりとビルに教えてやって、全ての対応をビルに押し付けておけば良いと思っている訳だが……ヘンリーとアルバートからしてみれば、ここもまた自分達の庭、自分達の領域、将来ソフィアが受け継ぐことになる大事な縄張りだ。
それをあんな男に荒らされるなど到底我慢できることではなかったのだろう。
「お前達の気持ちは分からんでもないが……それでもソフィア達の勉強の機会が失われてしまっては元も子もない。
次は大人しく、静かにしているように」
続くキャロラディッシュの言葉にヘンリーは渋々の表情で、アルバートはそれもそうだという愕然とした表情で頷き、それぞれソフィアとマリィの足元へと移動し、邪魔をするつもりはなかったとそんな表情をする。
そんなヘンリー達の態度に小さく笑ったソフィアとマリィが、すたすたと歩きながら手にしていたノートでヘンリー達を構ってあげているうちに目的地が見えてきて……周囲のものと比べて特別良い造りとなっているドアがキャロラディッシュの手によって開け放たれる。
「よ、よ、よよ、ようこそ! キャロラディッシュ公! こ、こんな所までわざわざ足をお運び頂き、恐悦至極に―――」
大きな木の机に複数の書類棚、いくつもの絵画と調度品が飾られた部屋の主の、びしりと直立しながらのそんな言葉の途中で、キャロラディッシュが手を上げて制止する。
「面倒な挨拶は必要ない、媚びへつらう必要もない。
今日はこの子達……儂の養子であるソフィアと、我が家で預かっているソフィアの友人、マリィの勉強の為に足を運んだのだ。
まだまだ若く世間を知らぬこの子達の為にお前の仕事が何であるかを見せてやってくれ」
手を上げたまま、男の言葉を制止したままのキャロラディッシュの言葉に、小太りでチョビ髭で、薄くなったその金髪をどうにかごまかそうとしているという、そんな髪型の男は……ほっと安堵のため息を吐き出し、脱力して背後の椅子にどかりと座り込む。
「そ、そ、そういう目的でのご来訪でしたか。
そ、それであれば、はい、自分なんかの仕事でよろしければいくらでも見ていってください。
い、いやいや、私はまたイカの件の不手際を理由に、職を失うことになるのかと……」
ぶわっと溢れ出した汗をハンカチで拭いながらそう言ってくる男にキャロラディッシュは大きなため息を吐き出す。
「クラークの件ならば既に解決済み……お前の手に余ることだったと、それだけのことだ。
……たとえお前にいくらかの責があるとしても、役所の長をそう簡単に変える訳にもいかないだろうよ。
そこらの木っ端役人とは違い、お前の人選はビルがしたのだろうからな、儂が口出しをすることでは無い。
……先程の男のような真似をしたなら話は別だが……」
その言葉に「先程の男?」と所長が首をかしげる中、キャロラディッシュは言葉を続ける。
「ああ、良い良い、気にするな。そこら辺のことは後でビルに話を聞くと良い。
……それよりも今はこの子達の勉強を優先して欲しい」
「は、は、はい、了解しました。
とは言えですね、私のする仕事はそう多くなくてですね、この役所は職員達の働きによって成り立っていて―――」
と、そう言って立ち上がった所長は、様々な書類を棚から取り出しながらソフィアとマリィに、役所の仕事が何であるのか、所長の仕事が何であるのか、普段職員達がどういった仕事をしているのかを話していく。
夜が明ける前に起き出して海の様子や空の様子を確認する者。
灯台の確認をする者。
港の管理者の家の窓を、専用の棒で叩いて起こし、港開きを始める者。
まずはそういった早朝勤務の職員達により一日が始まることになり……この役職に一般勤務の職員達が集まるのは、それからかなりの時間が経った、朝食後のことになる。
役所に届けられた苦情や、今日の水揚げ量の報告や、入港予定の船の一覧などが張り出され、道や港、灯台の損傷や、事件事故喧嘩などの報告がなされ……その全てが職員達によって解決されていく。
「キャロラディッシュ公が役所に全権を委任してくださっているおかげで、ここらの処理はとてもスムーズに進んでおり、特に問題などは起きておりません。
別の領主が管理している隣町では、逐一別の土地に住まう領主様にお伺いを立てなければならないので大変なようですな。
これだけ需要があるのだからと他の沿岸都市が港作りをしようにも、そこら辺がネックとなり難しく……結果としてこの町は繁栄を謳歌しているというわけです。
ああ、もちろんもちろん、キャロラディッシュ公の支援があってのことと、重々承知しております」
そう言って揉み手をし、媚びへつらうような表情をした所長は、何か思い出すことがあったのかハッとした表情となり、慌てた様子で棚から一枚の書類を取り出す。
「そうでした! そうでした! キャロラディッシュ公の支援といえばこちら!
化石を売る行為への規制と公的な買取策! これが中々上手くいっておりまして!
無闇に磨かれ、価値の分からぬ者に売られるばかりだった化石を集めて保存する博物館を作りましたら、これがまた好評で好評で!
学者の先生方と観光客を呼び集めるだけでなく、子供達の知的好奇心を刺激するという効果を発揮しておりまして……いやいや、キャロラディッシュ公のご慧眼には頭が下がるばかりです!」
そう言って目を輝かせる所長と、話に聞き入りながら楽しげにペンを走らせるソフィアとマリィを見やったキャロラディッシュは、小さなため息を吐き出してから、
「もう一度だけ言うが、儂に媚びへつらう必要はない。
それよりもこの子達の勉強になることを頼む」
と、そんな言葉を口にする。
それを受けて所長が大慌てで話題を切り替える中……キャロラディッシュの足元へとやってきたヘンリーが小さな声でぼつりと呟く。
(この人、嘘はいっていないようですし悪人じゃないようですし、今のも媚びるつもりはなかったようですよ。
多分キャロット様のこと、心の底からで尊敬しているんじゃないですか?)
魔力でもってその小さな声を拾い上げたキャロラディッシュは、ふんっと大きなため息を吐き出し……そんな話に興味は無いとばかりに、窓の外へと視線をやるのだった。
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