第40話 挨拶


 ソフィアが領民達の姿を見てきょとんとした表情を見せたのには、領民達が見せるその表情に理由があった。


 ソフィアが見知ってきた中での平民とは、貴族を極端なまでに嫌い、恐れているか、あるいは露骨なまでに媚びへつらい、煽て上げてくるものなのだが……目の前の彼らの表情にはそういった暗さがただの一欠片も無かったのだ。


 キャロラディッシュのことを敬っているのは勿論なのだろうが、それ以上に親しみに近い感情を抱いているように見えて……その明るく活力に満ちた表情を誇らしく思い、心の底から喜んだソフィアは、貴族の令嬢に相応しい態度、仕草でもって礼を尽くし、声を上げる。


「皆様歓迎して頂きありがとうございます。

 私はソフィア・キャロラディッシュ……この度は義父と共に皆様にご挨拶をしたく思い、足を運ばせていただきました」


 そう言って領民達の目をじっと見つめてからソフィアは、御者台に腰かけているビルへと視線をやって、ビルにその意を伝える。


 するとビルは驚き、目を見開きながらも即座に行動を取ろうと御者台から降りてきて、ソフィアの側に立って共に周囲の領民達への挨拶をし始める。


 そうやって領民達の意識が、麗しく貴くある令嬢へと向けられる中……そんなソフィアのことを心配したアルバートとヘンリーが馬車からゆっくりと降りてくる。


 いつものように服を身にまとっているものの、四足で歩いていて、出来る限り犬らしく猫らしく振る舞う二人に対し、周囲の人々はこの二匹はソフィアのペットなのだろうと理解を示す。


 貴族であればペットに服くらい着せるのだろうし、普段から歩く必要の無いくらいに可愛がっているのだろうから、その歩き方が不自然であっても、まぁそういうものなのだろうという理解だ。


 そうしてソフィアはビルとアルバートとヘンリーを引き連れながら集まった領民達へと挨拶をしていって、姿を見せやすいようにと場の空気作りをしていく。


 ビルやアルバートやヘンリーもそれを手伝い……そうやって場が整った頃、嫌々渋々といった態度のキャロラディッシュが、マリィに促されながら馬車から降りてくる。


 その姿を見た領民達は、先程自分達が上げた挨拶の言葉も忘れて、ただただ感嘆の声を上げる。


 今まで自分達を支えてくれた恩人、国内有数の大人物。

 魔術師でもあると噂されている、慈悲深き領主その人を。


 その年を思えば老いさらばえていてもおかしくないのだが、背筋はピンと伸びて、その髪も髭も確かな力強さと、整えられた美しさを維持していて……厳しく引き締められた表情からは威厳を感じ取ることが出来る。


 本人の内心としては、それが悪意の無い自らの領民達であるとは言え、多くの人間達の前に姿を見せるなど何十年振りかのことで、緊張と恐怖からそんな表情をしていたのだが……領民達にその想いは全く伝わっていなかった。


 長年を自宅で過ごして来たキャロラディッシュとて、全く自宅を出ない訳にはいかず、十数年に一度はリンディンに向かい、それなりの手続きをこなす必要があった。


 役人達が見守る中で行う必要がある重要書類への直筆でのサイン。

 魔術協会への顔出し。

 王宮と協会へ提出するための肖像画描きなどなど、その機会はそれなりに多かったのだが、その際の諸問題はキャロラディッシュの魔術によって解決がなされていた。


 移動も魔術に頼り、人と会う際にも魔術に頼り、人払いまでをも魔術を使い……。


 魔術師が多く在住し、魔術の存在が当たり前となっているリンディンだからこそ許されるそういった手法は、今回ビルに厳しく禁じられていて……自らにとって一番の頼りである魔術が封じられていることもキャロラディッシュにとっては大きな負担となっていた。


 何より大勢の人と会うのが何十年ぶりかで……そうして苦い顔をし続け、一つの言葉を発しないキャロラディッシュに対し、領民達はその好感度から勝手な解釈をし始める。


 必要以上の言葉を用いない厳格なお人なのだ。

 そのお年から考えて、喉に難があるのだろう。

 これからキャロラディッシュ家を担っていく娘に、試練を与え成長を促しているに違いない。


 などなど。

 

 ソフィアがしっかりと挨拶をし、キャロラディッシュの不足している部分を補っていることもあって、そうした勘違いは周囲の人々のほぼ全てに広がってしまっていた。


 そうしてキャロラディッシュはいつまでも無言のまま、静かにソフィアを見守ることで時を過ごし、ソフィアは貴族の令嬢らしく……キャロラディッシュの下に来る前の経験と、キャロラディッシュの娘になってから懸命に学んだ……彼の娘らしくあろうと必死に学んだ知識を活かして挨拶を完璧にこなし、成長をしながら貴重な経験を積むという時を過ごしていった。


 そうやって日が暮れた頃、人々は我らが領主様の顔を見られたことと、その娘であり将来の領主様と言葉を交わせたことに満足して帰宅していって……キャロラディッシュ達の周囲に残るものはこの辺りの顔役、町長だけとなる。


 町長は人の壁が綺麗に無くなったのを確認してから、町一番の宿へと案内しようとするが、前に進み出たビルがそれを丁寧に止めて、その必要は無いとの説明をし始める。


「キャロラディッシュ様は、寝具にもこだわりのある御方でして、この町に作った病院の一室……貴族用の部屋を宿代わりにさせて頂くことになっております。

 既に寝具の搬入と支度の方も済んでいますので、お気遣いだけありがたく頂戴しておきます」


 キャロラディッシュへの負担や、ヘンリーやアルバートの正体の事も考えると、そこら辺の宿に泊まらせる訳にはいかない。


 キャロラディッシュが建設し、キャロラディッシュが所有し、キャロラディッシュの名を関するその病院であれば、色々と融通が効くし、一晩か二晩泊まるくらいであれば病院の職員達も否とは言わないだろう。


 何より数十年の間、同じ寝具を使い続けていたキャロラディッシュに、変な寝具を使わせる訳にいくものか。


 それで寝不足になり、病気にでもなったらどうするのだという、ビルの必死さに、町長は苦笑しながらも素直に頷き、丁寧な挨拶を残してから自宅へと帰っていくのだった。

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