第34話 牧夫と馬と


 キャロラディッシュとの会話を終えたソフィアとマリィが、庭園の猫たちと遊ぶ為にと駆けていくのを見送ってから、キャロラディッシュは小さなため息を吐き出し、腰をかけている椅子の側に控えているヘンリーへと声をかける。


「ヘンリー。

 儂は一体いつから、いつからあの件に対しての怒りを失っていたのだろうな……」


 それは答えを求めていない、ただの呟きでしかなかったのだが、ヘンリーは小さなため息を共に的確な答えを返してくる。


「キャロット様は自分のことになると鈍感というかなんというか、察しが悪くなっちゃうんですねぇ。

 ……そんなのは誰の目にも明らかなこと、ソフィアちゃんが来てからに決まっているじゃないですか。

 毎日毎日、時間を見つけては渋い顔をして、あの件のことを思い出して、ふつふつと怒りを沸騰させて……。

 ソフィアちゃんが来てからは、そんな不毛なことに使う時間なんて、無くなっちゃいましたからね。

 暇さえあればソフィアちゃんの為に何が出来るか、ソフィアちゃんに何を教えてあげるか。

 そっちの方が忙しくて怒るのを忘れちゃって……ま、そうやって忘れちゃうってことは、キャロット様にとってもう、どうでも良いことなんでしょうね」


 ヘンリーのその言葉にくわりと目を見開いたキャロラディッシュは、少しの間そのまま硬直して、そうしてから深く息を吐きだし……椅子の背もたれにぐたりと身体を預ける。


「……そうか。

 どうでも良いこと……か。

 怒りはいずれ風化するものだと、そんなことが本に書いてあったが……風化させるにもきっかけが必要という訳か」


「キャロット様は気付いていないようですけど、ボク達の仲間の赤ん坊が生まれた時なんかも、キャロット様はあの件のことを忘れ去ってましたよ。

 嬉しいことがあればある程、昔の嫌なことなんて忘れちゃう……普通はそういうもんなんですよ。

 さっさと誰かと結婚して、自分のお子さんとお孫さんが生まれていたら、それでもう思い出しもしなくなってたんじゃないですか?

 ……ま、ボクと違ってモテないキャロット様じゃぁそれも難しいんでしょうけど」


 その言葉を受けてキャロラディッシュは、ぐっと拳を握りその拳でもってヘンリーの頭をぐりぐりと撫でる。


 ぐりぐりと強い力で撫でられて、その頭を右へ左へと揺らすヘンリーは、いつもとは違う……乱暴かつちょっと痛いその撫で方に、これはこれでありかもしれないなんてことを思い、ゴロゴロと喉を鳴らす。


 その姿を見て大きなため息を吐き出したキャロラディッシュは、抱いていた小さな怒りを忘れ去って、手を開きぐりぐりと、先程よりいくらか優しくヘンリーの頭を撫でてやる。


 そうやってヘンリーと一緒に穏やかな時間を過ごしていると……大きく重い足音と、軽やかで軽快な足音が何処からか響いてくる。


「キャロット様~。

 馬達と世話の仕方について話し合ってたんですがね~、こいつらが、この二頭の馬達がなんとも生意気なことに人を背に乗せないと身体が鈍るとか、調子がでないとか我儘を言うんですよ~」


 足音が響いてくる方からそんな声まで聞こえてきて……キャロラディッシュ達がそちらの方へと目をやると、先程侵入者の処理をしていた牛牧夫と、牛牧夫に手綱を握られた馬達の姿がそこにあった。


 白毛の大人しそうな顔の馬と、茶毛の元気そうな顔の馬と。


 そんな二頭の手綱を引く牛牧夫が、ぐいと手綱を持ち上げながら言葉を続けてくる。


「そういう訳でして、定期的に乗馬して欲しいと思う……んですが、キャロット様のお年じゃぁ流石に無理ですよねぇ。

 オレ達でも身体が大きすぎると思うんで、乗馬用のゴーレムでも作ります? それとも猫達に任せますか?」


 そう言ってのっしのっしと歩いて来て、庭園を覆う柵の一歩手前で足を止める牛牧夫。

 流石に庭園の中に入ってしまっては、自分の巨体と馬達が庭園を荒してしまうと分かっているのだろう、そうやって柵の向こうで待機し続ける牛牧夫の姿を見て、小さなため息を吐き出したキャロラディッシュは、興味津々といった視線をこちらへと向けている二人へと視線を向けてからゆっくりと口を開く。


「……ソフィア、マリィ。

 この牧夫が先程魔術で見せた牧夫、ジェイムズだ……挨拶をしなさい。

 ジェイムズ、あそこにいる赤毛の子がソフィアだ、少し前に儂の子となった。

 隣に居る金髪の子がマリィ、一時的に預かっているソフィアの友達だ。

 乗馬の必要があるのであれば彼女達が相応しいだろう」


 そうやってキャロラディシュが簡単な紹介を終えると、ソフィアとマリィが挨拶をしようとジェイムズの側まで駆けていって……その姿を見るなりぱぁっと明るい笑顔となったジェイムズが大きな声を張り上げる。


「こりゃぁ驚いた!!

 屋敷の方で何事かが起きて、ミルクの消費量が増えたとは聞いていましたが、こんな可愛い子達が!!

 キャロット様!! 水臭いったらありゃしませんよ! こんな可愛い子が出来たならまずオレ達に報せてくれねぇと!!

 ミルクにチーズにバターに!! 立派な大人になるにはオレ達の力が必要なんですから! こりゃぁ今日から気合を入れ直して仕事に励まなきゃぁいけませんな!」


 そう言ってジェイムズはソフィアとマリィからの丁寧な挨拶を受け取り……挨拶の返しとばかりに、二人の側に馬達を、一頭ずつ、慎重に近づける。


 柵の向こうからその長い首をぐいと伸ばし、ソフィアとマリィのことをじぃっと……その優しげな目で見つめた馬達は、ジェイムズに向けて小さく嘶き、何かを伝える。


 するとジェイムズは、その大きな口を嬉しそうにがばりと開けて、


「そうか! お前達も気に入ったか!

 ソフィアお嬢様! マリィお嬢様! お時間ある時で構わねぇんで、こいつらの背に乗ってくれやしませんかね!

 勿論オレか、オレの仲間達が同行してお世話をしますし、いざ落馬なんてことになっても、この大きな手で受け止めますんで、ご安心くだせぇ!」

 

 なんて大声を上げる。


 お前はそんな風に喧しい奴だから黙っていたのだと、キャロラディッシュがその表情でもって訴えかけるが、ジェイムズは全く気付くことなく、大きな声を上げ続ける。


 そんなジェイムズの声を最前線で一身に浴びているソフィアとマリィは、うるさそうな顔もせず、嫌そうな顔もせず、キラキラとした目で、馬達のことをじぃっと見つめて……そうしてからキャロラディッシュの方へとその目を、キラキラと輝く目を向けてくる。


『本当に乗っても良いんですか?』


 そんなことを語ってくるその目に対し、キャロラディッシュはこくりと無言で頷いて……そうしてソフィアとマリィの、ジェイムズ以上に大きな歓喜の声が周囲に響き渡るのだった。

 

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