第26話 ベッドの上で
大陸生まれの少女、マリィにとってこの地での暮らしは祖母に半ば無理矢理に押し付けられたものであった。
色々と問題のある息苦しい場所ではあるとはいえ、生まれ故郷であるあの森を……大陸を離れるなんてことは僅かも望んでおらず、ましてや家族から離れて一人だけになるなんて……と、祖母から話を聞いた当初はそう考え悲嘆にくれたものだった。
だがいざこの地に来てみたならば、そこに広がっていたのは、暗くじめじめとした故郷とは全く違う、驚く程に明るく爽やかな世界だったのだ。
それだけではなくその世界には、今までに経験したことのない刺激の数々があり、今までに見たこともない可愛い住民達が数え切れないほど生息していて、マリィの心を思う存分に楽しませてくれるだけでなく、これでもかと癒やしてくれたのだ。
初対面の時はただただ恐ろしく、怯えるばかりだったこの地の統治者も、いざ接してみればマリィのことを優しく、静かに見守ってくれる暖かな存在であり……更にはその知識を惜しげもなく与えてくれて、マリィが未だに見たことのないような不思議の世界をたっぷりと見せてくれる良き教育者でもあり、マリィにとっては祖母に匹敵するほどの、理想の保護者と言えた。
故郷の森で暮らしていた頃のマリィは、毎夜のベッドの中でいつか自分のことを白馬に乗った王子様が救い出しに来てくれると、そんな妄想をしていたのだが……今ではそんな妄想をする必要は全く無くなっていた。
(まぁー……キャロット様は白馬の王子様というよりは、白髪の老王様って感じだけど……)
と、そんなことを考えながら、マリィはあてがわれた自室のベッドの中で、もぞりと寝返りを打つ。
その胸元にはキャロラディッシュが用意してくれたペンダントの姿があり……マリィは、寝返りを受けてちりんと揺れたペンダントの蓋をそっと撫でる。
(重ね世界という想像もしていなかった世界を見る事ができた。
そしてまさか本当に居るとは思っていなかったドラゴンを見る事が出来た。
その上そのドラゴンからの贈り物だなんて……素敵にもほどがある!)
続けてそんなことを考えたマリィは、ベッドの中でばたばたとその両足を暴れさせて……そうしてから小さなため息を吐き出し、部屋にある窓の向こう……完全な暗闇が怖くてカーテンを開けっ放しにしている窓の向こうにある夜空へと視線をやる。
そこには静かに光る月と星々の姿があり……それらの輝きをじっと見つめたマリィは、大陸の家族のこと、いつも自分を気にかけてくれていた祖母のことへと思いを馳せる。
……家族と離れたばかりの頃は確かな寂しさと、悲しさが心の内にあったはずだ。
だがその感情は、ソフィアと心を許し合う度に薄れていって、猫達と触れ合う度に薄れていって……キャロラディッシュの教えを受ける度に本当にそんな感情があったのかと疑わしくなる程に薄れていって……そうして今ではすっかりとかき消えてしまっていた。
(薄情……なのかな)
なんてことを思い、故郷の光景と両親の顔と、祖母の顔を思い浮かべるがやはり心は傷まず、寂しさで震えたりはしない。
それよりも何よりも、重ね世界やドラゴンや、キャロラディッシュが教えてくれる全く知りもしなかった魔術世界の話の方がマリィの心を鷲掴みにしていて……そしてそれらがマリィのことをこれでもかと興奮させてくれる。
未知の刺激に興奮し、わくわくと湧き立ち、もっと知りたいと渇望し……。
この地の生活で困ったことがあるとするならば、そんな風に心が興奮し続けているせいで、中々寝付けずに寝不足になってしまうことだった。
(空が白む前に寝たいのだけど……)
と、そんなことを考えながらマリィがベッドの上でもぞもぞと身悶えしていると……自室の外、ドアの向こうの廊下から、物音というべきか、誰かがそこに居るかのような気配が漂ってくる。
その気配に対し、マリィが一体こんな時間に誰だろうと警戒感を高めていると、廊下の向こうからドアの僅かな隙間をくぐり抜けて、ふんわりとした優しい香りが漂ってくる。
花蜜か香水を扇いだかのようなその香りは、マリィの心の興奮をゆっくりと鎮めてくれて……そうして膨らむ眠気に包まれながら、マリィはその気配の主が何者であるかに気付く。
きっとドアの向こうには不機嫌そうな表情をした猫連れの老人が立っているのだろう。
寝不足で悩んでいると相談した訳でもないのに、無言のうちに察してくれて、そうしてくれる老人の優しさに、マリィは言い様のない安心感を覚えて……そうして眠気に負けて夢の世界へと落ちていくのだった。
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