第57話 生暖かい目で見守ろう!
目覚めた獣人は、最初自らを囲う檻の存在に驚き暴れた。
檻があるとは言え、万が一のことも考えテリーヌにキエダを呼んできて貰うことにして下がらせつつ様子を見た。
しかし元々かなり衰弱していたのに無理をして暴れたために、またすぐに倒れてしまい、慌ててやって来たキエダの出番は無くて済んだのは幸いだった。
そして幸いなことに今回は意識を失うことは無く、身動きできないままへたり込んだ彼に僕らは彼が気を失ってからのことを、できるだけ丁寧に話して聞かせる。
「俺の名前はヴァン。ヴァン・イオフルだ」
獣人の男はそう名乗った。
姓があると言うことはどこかの貴族なのだろうか。
いや、国によっては貴族平民関係なく姓があるとも聞くから簡単には判断出来ない。
しかしイオルフか……どこかで聞いたことがあるような気がするが思い出せない。
「ヴァンって言うのか。よろしく」
「……あまり気安く名前を呼ばないでくれないか? いくら君がこの地の領主だとしてもただの男爵だろう?」
へたり込んだ情けない格好のままだというのに、ヴァンは少し偉そうな口をきく。
これはもしかすると獣人族の中でも相当地位の高い人物なのだろうか。
後々のこともあるし、一応確認はしておくべきだろう。
僕は口調を丁寧に変えて問いかける。
「もしかして貴方様は異国の貴族様ですか?」
「貴族だと? 馬鹿を言うな」
その質問にそう答えると、彼は力の入らない体を無理矢理動かして上体を起こし、そのまま無駄に胸を張って僕の予想を超えた言葉を放った。
「俺の名はヴァン・イオルフ。獣人族を治める偉大なる王ライゴルド・イオルフの子であるぞ!!」
ライゴルド・イオルフ。
そうか、先ほど聞いたことがある姓だと思ったけれど王国とは別の大陸にある獣人が治める国『ガウラウ帝国』の皇家がイオルフだった。
王国とは中央大海を挟んで距離も遠く、国交はあるものの大きき関わり合いになったことは無い国のはずだ。
しかしそんな帝国の皇太子がどうしてこの島へやって来たのだろうか。
僕はそんな疑問をそのまま口に出す。
「ガウラウ帝国の皇太子様でしたか、これは失礼しました。ですがそのようなお方がどうしてこの島に?」
しかも行き倒れのような状態で?
そう続けようとしたが、皇太子相手に失礼かもと口をつぐみ彼の返事を待った。
「話せば長くなるがな」
ヴァンがそう口にしかけた瞬間。
ぐーきゅるるるる。
彼の腹から大きな音が鳴り響いた。
「その前に何か喰わせてくれ」
先ほどの威勢はどこへやら。
ヴァンは無理矢理起こした上体をもう一度床に沈めると、力ない声で懇願してきた。
栄養失調寸前で、スープを少しだけ飲んだだけなのだから仕方が無い。
「テリーヌ」
「はい、温め直しておきました」
僕たちがヴァンと話をしている間、どうやらテリーヌはこんなこともあろうと予測して、ヴァンのために作ったスープを温め直していたらしい。
「それでは私が運びましょう」
僕の横でヴァンに対して警戒をしてくれていたキエダが立ち上がると、テリーヌの元に歩いて行く。
どうやら彼もヴァンは既に危険では無いと判断した様だ。
なので僕も彼を解放することにする。
「ヴァン皇太子、今から食事を用意しますので少しお待ちください」
「ああ。頼むぞ」
小さな声で答えるヴァンを見ながら、僕は石檻に手を当てながら『素材化』を発動させる。
発動と同時に目の前でヴァンを取り囲んでいた檻が一瞬で消え去って、素材に戻った石が、僕の脳内のインベントリへ収納された。
そんな不可思議なことが起こったにも関わらず、床に倒れ込んだままのヴァンは気がつかなかったのか何も言わずに大きく腹を鳴らしている。
いちいち説明するのも面倒なので、それはそれでありがたい。
「大丈夫だと思いますが、ここは私が」
テリーヌから鍋とスープカップを預かってきたキエダは、戻ってくるとそう言った。
キエダは鍋を床に置くと、スープカップにテリーヌ特製の滋養スープを注ぎ入れ、それを持ってヴァンの枕元へ移動する。
「ヴァン様、このスープをなるべくゆっくりお飲みください」
「随分質素なスープだな……具も入っておらぬのか?」
残る力でもう一度上体を起こしたヴァンが、差し出されたスープを受け取って文句を言う。
たしかに一見何も具は入ってない様に見えるが、それはテリーヌが飢餓状態だった彼の胃腸を心配して全ての食材をすりつぶして混ぜ込んだからだ。
むしろ質素どころか、料理の手間暇だけで言えば数倍掛かっている。
僕は思わずそのことを口にしかけたのだが――
「しかし何という美味しそうな香りだ。こんな美味そうな香りのするスープは初めてだ」
ヴァンの口からそんな言葉が紡ぎ出され、そして彼はそのスープに慌てた様に口を付ける。
「あっつううううううううううううううううううういっ!! でも美味あああああい!!」
同時に叫び声。
「えっ。そんなに熱くは無いはずですよ」
様子を見ていたテリーヌが慌ててやってくると、持って来た匙でスープを掬い舐める。
「少し熱い程度でそこまででは」
「ふむ、確かにそうですな。これくらいなら一気に飲んでも問題ないと思いますが」
テリーヌに続いてキエダも確認する様にどこからか出した匙で掬って舐める。
普段なら人の目の前でそんな無作法なことはしない彼らだが、今は緊急事態でもあるし、僕も気にせずキエダから匙を受け取って飲んでみた。
「全然熱くないな。むしろちょうど良いくらいだけど」
僕たちがスープの温度を確認している間にも、ヴァンは一人ベッドの上でスープカップを口にしては「熱い!! でも美味い!!」という叫びを繰り返している。
「もしかしてなのですが、ヴァン様は猫舌なのではありませんか?」
「あっ、なるほど彼は猫型の獣人だし、しかも獣度もかなり高いということは猫の特性をかなり強く持っているから」
「済みません。そこまでは気が回りませんでしたわ」
「いや、テリーヌが謝ることじゃないよ」
僕の獣人族に関する知識の少なさが招いたことだし、何より当のヴァン本人は騒ぎながらも美味い美味いと少しずつではあるが飲み続けている。
テリーヌ自身には落ち度は無いと思う。
「いいえ、私の責任ですわ」
しかしテリーヌは納得いかないのか、そう言うとヴァンの元へ歩み寄っていくとスープカップを今まさに傾けようとした彼の手を自らの両手で包み込む様にして止めた。
「な、なんだお前は」
突然のことに驚いた顔をするヴァンに、テリーヌは少し愁いを帯びた表情を浮かべ「気が付かず済みませんでした」と謝ると、彼の手からスープカップを手放させる。
そしてそのスープカップを自らの口に近づけると。
「ふーっ」
優しく息を吹きかけた。
「お、お前。一体何をするっ!」
「ヴァン様には少し熱いようでしたので、冷まさせて頂きますね」
二度、三度。
スープの温度を下げるためにテリーヌはその唇から優しく息を吹き付ける。
「テリーヌ、他に冷ます方法はいくらでもあるんじゃないか?」
流石にヴァンもそんな子供扱いは怒るのではないかと僕は慌ててテリーヌを止めかけたのだが。
「これくらいでいかがでしょう?」
何度か息を吹きかけたスープカップをテリーヌが差し出すと、ヴァンは何やら狼狽えたようにそれを受け取る。
もしかしてヴァンは女性への耐性が低いのではなかろうか。
上級貴族の跡取りでしかなかった僕ですら、学園や社交界の場で近寄ってくる女性たちを相手にしてきたのでそれなりに耐性はついている。
なのにかれは皇族。
しかも皇太子と言えば次期皇帝だ。
僕なんかよりもよっぽどたくさんの『刺客』を相手にしてきたはずなのに、テリーヌから受け取ったスープカップへ、なんだかソワソワしながら口をゆっくり近づける彼の姿はまるで初心な少年のように見える。
「どうですか?」
そんな彼の様子を知ってか知らずか、テリーヌは優しくほほ笑みを浮かべて、スープを一口ほど口に含んだ彼に問いかける。
「あ、ああっ。丁度いいと思うぞ」
「そうですか。それでは鍋の中のスープも少し冷ましてきますね」
「えっ。ああ、お願いしよう」
テリーヌがベッドのサイドテーブルに置かれた鍋を手に、キッチンへ向かう。
その後姿をぼーっとした表情で見送るヴァンを見て、僕の疑問が確信に変わったのだった。
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