おやつの時間

「ぜっ……はぁ……」


 アースは一人、寝室でトレーニングを行っていた。

 ジョセフィーヌから指示されたトレーニングは苛烈を極める。

 太り、なまってしまった身体に対しては非常に困難なシロモノだった。

 しかし、どんなにきつくても一週間やり通した。

 脂肪で曲がりにくいビール腹を腹筋で鍛え、普段より重い体重で負荷がかかるスクワットを繰り返し、太くなりすぎてしまった腕をバーベル上げで引き締める。

 今はまだ元の姿への通過点で太り気味だが、このまま続ければ引き締まった身体に元通りだろう。

 だが、それも続けば・・・……の話だ。


「う、うぅ……。糖分が……脂身が足りない……」


 呪いが頭の中をかき乱し、必要以上の食べ物を求めてくるのだ。

 それでも必死にあらがい続けてトレーニングを続けていた。

 ジョセフィーヌと約束したからだ。


「く、くくく……愛した女の手作りの菓子が食えるとなれば、何にでも耐えられよう……」


 ギリギリの細い線一本で繋がったような理性が、千切れるか千切れないかくらいで留まっていた。

 あと一歩踏み出してしまうだけで、魔王が仕掛けた呪いが完成してしまうかのようだ。

 そういうことを無意識に自覚して、ふと思ってしまう。

 もし、ジョセフィーヌ手作りの菓子に満足できなかったら、今度こそ取り返しの付かないことになってしまうのではないか? ――と。

 そんな不安な気持ちの中、すでに修理されていた寝室の扉が開け放たれた。


「このタイミングでやってきたということは――ジョセフィーヌか!? ……って、なんだそれは?」


 入ってきたのは大きな樽だった。

 一瞬、呆気にとられて、現状を理解するのに時間がかかってしまった。

 想像してみてほしい。

 手作りお菓子を持ってくると約束した女子の代わりに、大きな樽が部屋にコンニチワしたときの衝撃を。


「これは……ふふ! ベルダンディー! お皿を敷きなさい・・・・・


「畏まりました。ジョセフィーヌお嬢様」


 ポカンとしていたアースだったが、樽の後ろからジョセフィーヌの声が聞こえて、少しだけ状況が理解できたかのように思えたが――


「……何を言っているジョセフィーヌ? 皿を……敷く?」


 言葉の内容を理解はできなかった。

 普通、皿というのは敷く物ではなく、置く物である。

 それも料理を載せる物で、ジョセフィーヌが抱えているような樽を載せるものではない。


「ジョセフィーヌお嬢様、こちらへ」


「ええ……どっこいしょっですわー!」


 地面に巨大なパーティー用の金属皿――それも城で一番大きな物が置かれ、その上に場違いすぎるドスンッという音で樽が乗っかった。

 意外と常識人のアースは、これが何なのか、これから何が起こるのかというのを想像できなかった。


「アース、一週間トレーニングをよく頑張りましたわ」


「お、おう」


「そこでわたくしも約束を守り、わたくしの筋肉を最大限に活かしたオヤツを用意致しましたわ!」


「おう……?」


 アースは首を傾げた。

 たしかにジョセフィーヌの手作り菓子を食べたいとは言ったが、特に筋肉には言及していなかったはずだ。

 どこで話がそうなってしまったのか。


「え、ええと……それで手作りのお菓子というのは……それか?」


「その通りですわ! 腕によりをかけて……いえ、まぁ、かなり手伝ってもらいましたが概ね手作りと言って良いでしょう! アース、これを食べたい!?」


「そ、それは食べたいが……」


 本来なら呪いで〝お菓子を一秒でも早く食べたい〟と思考を書き換えられているのだが、あまりにも呆気にとられすぎていて素に戻ってしまっている。


「そう――それなら、これからもトレーニングを続けることですわね! もし、約束をやぶったら……!」


 もはや何のパフォーマンスかわからないが、ジョセフィーヌは深呼吸をして、腰だめに構えて、両手を握りしめて強烈な正拳突きを――放つ!

 ボッと空気の弾ける音が聞こえたあとに、音速を超えた拳が樽にぶち当たった。

 威力で樽が四散するかと思われたが、上手く樽をまとめている鉄輪だけが弾け飛び、樽だった板が花開くように四方に倒れる。


「おぉ……!?」


 そして、中身からプルプルの超特大プリンが現れた。


「ドラゴン卵のたっぷり樽プリンですわ!」


「樽プリンとはすごい豪快さだな…………いや、ちょっと待て。今ドラゴン卵って言わなかったか?」


「細かい事は気にせず召し上がれ」


「細かいか……俺が細かいのか……? まぁいい、頂くとしよう」


 ジョセフィーヌが差し出した銀のスプーンを受け取り、アースは超特大プリンを睨み付けた。

 樽から出てきただけあって、胸の位置くらいまでの高さがある。

 いや、むしろドラゴン特有のオーラが天井まで漂っていて、霊験あらたかな山峰を想起させる。

 菓子のクセに威圧感がとんでもない。

 しかし、いつまでも尻込みしていたのではジョセフィーヌに格好悪いところを見せてしまう。

 覚悟を決めて、天辺にある黒光りするカラメル部分を一気に掬うことにした。

 手応えは普通のプリンよりも弾力があって、力強いと表現するのが適切だろうか。

 さすがドラゴンの卵だ。


「では……!」


 武者震いする手を押さえ付けるようにしながら、銀のスプーンを口に運ぶ。

 瞬間――味覚が弾けた。


「う、うぉぉおおおお!?」


 舌が魂と直結したような感覚に陥ってしまったのだ。

 アースは今、舌だけの存在となった。

 宇宙誕生のビッグバンのエネルギーが凝縮されたかのような、濃厚な卵の味が魂を包み込んでいく。

 甘い、美味い。

 それ以外考えられないところに、ほろ苦いカラメルが入り込んでくる。

 それがより一層、卵本来の素材の味を際立たせる。


「あ、アースが動かなくなった……本当にお菓子で人殺しをしてしまうなんて……」


「はっ!? 俺はいったい何を見てきたんだ……」


「おー、生き返りましたわ」


 聞こえてきたジョセフィーヌの震え声で、アースは意識を取り戻した。

 どうやら立ったまま白目を剥いていたようだ。

 そして魂から要求されるまま、ねじ曲がるほどに銀のスプーンを握りしめてプリンの宴を再開した。


「このプリンは最高に美味いぞ、ジョセフィーヌ! 俺はこのプリンのためなら、何でもやり遂げられる! 暴食の魔王の呪いなぞ、何でもない!」


 物凄い勢いで減っていくプリン。

 凄まじいカロリー吸収量なのだが、ジョセフィーヌは何も言わずに微笑んでいた。

 何だかんだ、アースを信じているからだ。




 ***




 それから数週間後――アースは元の体重に戻っていた。

 寝室で汗を流す姿は、もう以前と違って豚ではなく、引き締まった筋肉が男の色香をまき散らしているようだった。

 最後まで面倒を見たジョセフィーヌは満足げにそれを眺めている。


「よし……今日のノルマはこれくらいか。ジョセフィーヌ、少し外の風を浴びないか?」


「フルマラソン?」


「……いや、散歩だ」


 美男美女ということで、城の庭まで移動する間にも二人には羨望の眼差しが絶えず向けられていた。


「ふっ、以前はよそ者の婚約者と、豚舎の豚を見る目だったのにな」


「それでアース、急に散歩ってどうしたのかしら?」


 偶然にも城の庭には誰もいない。

 アースは少しだけためらうような仕草を見せたあと、意を決して話し始めた。


「あー……公務なんかよりずっと緊張してしまうな。その、なんだ。ジョセフィーヌはまだ婚約者という立場だ」


「ええ、わたくしを帝国へ引き入れるために嘘の婚約者になっていますわね」


「若干、人聞きが悪いな。いや、しかし……ストレートに言わなければジョセフィーヌには通じぬか」


「な、なんですの……?」


 思わずジョセフィーヌは一歩下がってしまう。

 アースが顔を必要以上に近づけてきたからだ。

 整った顔が触れてしまいそうな距離にある。


「俺は今まで、人が人を愛するということが理解できなかったし……怖かった。だから、複数の相手の中から選ばれれば、それは本当の愛で両者が満足できるものなのだと頭で考えていた」


「急に……何を言い出して……また何かの冗談?」


「いや、真剣だ。価値の無くなった俺に、ここまで尽くしてくれるジョセフィーヌを見て、俺は愛というものを真に理解した気がする。抑えられないこの気持ち、たとえワガママでも構わない」


「ちょっ……」


 筋肉関連なら誰にも負けないジョセフィーヌだが、それ以外は年頃の女性よりも苦手なことが多い。

 特に、誰かに決められたわけでもない、自由な恋愛などは――


「ジョセフィーヌ……! 偽りの婚約者ではなく、俺と本当に――」


 信じられないことにあのジョセフィーヌが押し負けて、壁際まで追いつめられていた。

 互いの吐息がかかってしまう。


「えええええ……!?」


 ジョセフィーヌの頭の中は真っ白になって、もう何も考えられない。

 アースの次の言葉を聞いたら、きっと二十四時間フルマラソンに耐えられる心臓でも爆発してしまうのではないかと思ってしまうほどだ。

 しかし、そのとき――


「なんで痩せちゃってるのよォォお前はァー!! アタシの脂肪の呪いはどうしたーッッ!?」


 跳ねながらやってきた巨大肉弾が城壁を派手に破壊し、二人の前にドズンッと降り立った。

 それは魔王カロリングこと、カロリーヌだった。

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