With Out.

倉石ティア

You & Me.

 街では酷い病が流行っていた。

 行き交う人々は暗い表情で、俯いたまま歩きながら他人を睨む。咳き込む者を見かければ必要以上に距離を取った。忌避の感情にかこつけて、関係ない人間まで村八分にする連中が現れる始末だ。幼い子供や年老いた者たちは家から出ないようにと言いつけられて、違反した者は白い目で唾を吐きかけられる。

 世も末だ。

 こうして社会というものはカタチを崩していくのだろう、などと唇の端を歪めて笑う。座敷の隅に捨て置かれたままの私には、社会の変化など知ったことではない。天変地異が起こっても、私の毎日は変化しないだろう。変わるはずもないのだ、この生活は。

 生まれてからずっと、この座敷に閉じ込められているのに。

 溜め息を吐いた。

 きっとそれは、誰の耳にも届かない。

 私は、ここで一人。ずっと一人のまま消えていくのだと、そう思っていた。

 少なくとも、あの日までは。


 *****


 巷で流行り病が発生してからひと月が経って、私が暮らす部屋に放り込まれた少女がいた。どうやら母親と喧嘩をしたようだ、という断片の情報しか持てない私でも彼女がおかれた立場は分かる。

 外へ出るな、内で遊べ、家で出来ることを考えろ。親が告げるありがたい言葉の数々を内心と生活様式に取り込むことの出来なかった彼女は、この牢獄へと放り込まれたのである。彼女の母親とは面識がほとんどないから失礼なことは言いたくないのだが、随分と信心深い人のようだ。愛娘を外に出すのが惜しいからといって、私のいる部屋へ放り込むこともないのに。

 まぁ、折角だ。声でも掛けてみるか。

「いらっしゃい」

 それは、冗談だった。

 彼女に私の言葉が届くはずがなかったのだ。

 だけど彼女は振り向いた。届くはずのない言葉が、聞こえていた。

 私を一瞥すると、こう言ったのだ。

「綺麗ね、あなた」

 少女は瞳を輝かせて、牢獄に閉じ込められた私を見つめるのだった。


 ******


 部屋に無数に張られた御札は、病の終息を祈ったものではない。私に向けられた呪詛の類だ。私がこの部屋を出られない原因であり、私が社会というものと断絶している理由でもある。

 退屈な毎日だ。病気で著名人が死んでも、不慮の事故で無辜の人々が死んでも、私の生活には何一つの感慨をもたらさない。身体の自由が利かない私は逃げることもままならなかった。でも、その生活を恨むことはない。

 御札に込められた意味と願いが失われても、一方的に忌み嫌われた私の時間が返ってくることはない。だったら諦めて、受け入れて、何も考えないまま日々を過ごす方が楽に決まっている。

 無抵抗こそ、凡庸なものにできる唯一の抵抗だ。

 今日も黙って天井を眺めていた。シミを繋ぎ合わせて自分だけの星座を考えていたら、再び彼女が座敷に転がり込んできた。前回と違って、彼女の側から私に話しかけてくる。

「ずっとここへ閉じ込められているの?」

 頷いた。

「話し相手になってくれますか?」

 もう一度頷いた。

 古い畳の上に寝転ぶ私を、そっと彼女は抱き起こす。そっと頭を撫でてくれた。牡丹色が美しかった着物の裾を珍しそうに引っ張って、その拵えの古めかしさにすら彼女は目を輝かせていた。

 彼女の腕に抱かれたまま時間が過ぎる。他愛もない話、彼女にとっての大事な話、色んなことを言葉にしたと思う。でもそれはあまりに短くて、存在すら疑うような刹那の時間だった。

 そんな日が、しばらく続いた。

 何度目かの幽閉、軟禁、いやお仕置きとして彼女を私と同じ部屋に押し込めた母親は、彼女が反省の色一つみせないことに腹を立てたらしい。連れてきた時とは比べ物にならないほどの怒りを携えて、私の狭い世界に訪れたごく小さな変化点を奪い取っていく。

 引き留めることもなく見送った私に、母親の舌打ちは、とげが刺さるようだった。


 *****


 私の生活は変わらなかった。変わったのは、私の心だ。

宗教色に染められた不自由で退屈な毎日が、彼女の登場によってバラ色に染まったのだ。いや、虹色と呼ぶのが適切だろう。彼女は私に外の世界を教えてくれた。私は彼女に色褪せない過去のすべてを教えてあげた。そうして均衡のとれた閉じた世界が完成したかにみえた。

 彼女がはじめて私の部屋を訪れてから。

 あの日から、どれだけの時間が経っただろう。

 数えきれない時代の変遷を目の当たりにして。

 耐え消えれない時代の変化をその身で受けて。

 それでも彼女は私の元へと訪れてくれている。

 病気は流行っていた。昔とは違う病だったけれど、人々の反応は変わらない。限りなく嘘に近いまじないは信じるくせに、都合の悪い真実からは目を逸らしたがるのだからタチが悪い。それも人間の性だと、昔なら笑っていられたのだろうか。

 無垢な子供が社会という機構に取り込まれるには十分すぎるほどの時間が経過しても、まだ、私は部屋に閉じ込められていた。流行り病が収まっても外へ出ることは叶わず、たとえ出たとしても望みは叶わない。

 自由など、存在しないのだ。

 この不自由な身体では。

 彼女も大人になって、私の元を訪れる頻度も減っていく。

 それを悲しいと思えなくなっていくのも。

 あぁ、それが私なのだな、と思うだけだった。


 *****


 大人になった彼女が私の元へ訪れて、一言だけ。

「あなた、喋らなくなったわね」

 身体の自由が利かないのは昔も今も同じ。

 言葉が通じていたのは、彼女と波長が合っていたから。

「仕方がないわよ」

 と彼女は呟いた。

「あなたは、人形なんですもの」

 ボロボロになった私を、御札を剥がさないまま、彼女は撫でる。

 そんな彼女を、私は。


 好きだなぁ、と思うのだった。

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With Out. 倉石ティア @KamQ

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