聖域

おいそれと入ってはいけない場所

 金属臭い冷たい空気、胸いっぱい。


 空気が美味しいとたまに聞くけれど、実際に空気に味がある場所と言われたら、リーアはここしか知らなかった。


 大きく吸い込みながら、まさかこんな形でここに来るとは、リーアは想像もしてなかった。


 ……フォースビット城から出て歩くには遠すぎて、だけど乗馬なら手軽な距離、ぐるりと城壁に囲まれた小さな岩山が、この国の『聖域』だった。


 地名はついているらしいけれど、それを姫であるリーアにさえも教えられてないほどに神聖視され、入ったことは去年初めての一度きりだった。


 それもこの入口まで、そしてお母様が中から帰って来るのを待つだけだった。


 その入り口を守る近衛騎士団は当然のように偽姫に操られ、門を開き中へと招き入れた。


 ただし誰もついてこない。


 ただ偽姫と、リーアを抱えるモカと先を進むモコ、四人だけが先へと進む。


 灰色の岩山に縦にぱっくりと走る亀裂、中を縫って奥へと進めばいつの間にか天井のある地下に移っていた。


 そしていくつかの鉄の扉をモカが突き破り、奥へ奥へ、そして出くわした影にリーアは驚き息を飲む。


 ……それは石像だった。


 それもかなり精巧に作られた半裸の男性、その隣は半裸の女性で、次に続くのは鎧甲冑に槍を構えた像、どれもこれもがまるで生きているかのようで、それなりに目の肥えていると自負するリーアの目にもかなりの傑作だと思えた。


 それがずらりと並ぶ通路を抜ける。


 不思議と灯りに不自由はなかった。


 太陽の光も届いてないはずなのに、まるで床や天井がほのかに光っているかのように明く、その灯りが強まるにつれて空気の味も強まっている気がした。


 そうして石像が途切れた瞬間、リーアの目が眩む。


 馴れた目が見たのは一気に広がった空間、高い天井には青い文字で幾何学模様を重ねた魔方陣が、その下の床には雑多にお宝が散らかっていた。


 大半は金貨、その間に黄金の剣や王冠、カップにお皿、そこに散りばめられた宝石類が色とりどりに輝いている。さらにその奥、黄金の輝きに隠れているがまだ先に続く廊下が、その先からもまた黄金の輝きが漏れ届いていた。


「これはこれは、確かにお金がかかるようですね」


 その中心に立ち偽姫、周囲をくるりと見回しながら小さく声を響かせる。


 その足元にドサリ、リーアが金貨の上に投げ落された。


「それで、どうやったらその精霊とやらは現れるのです?」


 偽姫が訊ねるも、モカもモコも返事はなかった。


「……知らない様子ですね。あなたはどうです? リーアさん?」


「知るわけないでしょ」


「へぇ、本物の姫と言ってもその程度なんですね」


 ふふんと笑う偽姫に、リーアは睨み上げる。


「当たり前じゃない。精霊との契約はこの上なく神聖なもの、おいそれと伝え広げるものじゃないわ」


「いえ、そういう意味じゃありませんよ。私が言いたいのは、流石の姫様も、生贄に捧げられるのが怖いということですよ」


「……何を言ってるの?」


 リーアの言葉に呼応するように、モカとモコ、同時に動く。


 並んで壁となった向こう、金貨の間をすり抜けるように立ちあがる人のシルエットがあった。


 辛うじて人のシルエット、頭に首に肩に腕、くびれた腰に二本の足、初めはゆっくりに、まるでハチミツが流れるように流動し、すちゃりと金貨の上に立って見せた。


 つるりとした黄金の表面、猫背の姿勢、その両手の先はナイフのように鋭い。


 そしてその鏡面のような顔に目鼻は無いけれど、だけどリーアたちを見ていると何となくわかった。


 動く黄金、リーアが初めて目にする存在だった。


「……これが、精霊」


 偽姫が呟いたのを合図にしたようにモカ、モコ、同時に黄金へと飛び掛かる。


 だが次の瞬間、黄金の両腕がシュルリと伸びるとうねり、そして鞭のようにしなった。


 刹那、モカとモコ、吹き飛ばされていた。


 どちゃんどちゃん、ほぼ同時に壁際の金貨の上、落ちて伸びて動かなくなる。


 虚委の速度、人二人を簡単に吹き飛ばせるパワー、たった一度の動作だけで戦いに秀でていないリーアでも強いと感じられた。


「待ってください精霊様! 私はあなたと戦うつもりはありません!」


 偽姫、慌てて繕う。


「私はただ約束の生贄を、姫を連れてきただけで」


 続く言葉、だけど段々と自信が乏しくなっていき、表情からも余裕が消えていく。


 それだけ、黄金は無表情だった。


 ただ鏡のような顔をこちらに向けて、チャリンチャリンと歩み寄って来る。


 その動作、それだけしか見せない黄金からは、冷たいものしか感じられなかった。


 そんな黄金を前に、偽姫が一歩引く。


 人が触れてはならない何か、操れるとか交渉できるとか、考えるだけでもおこがましい、圧倒的な強大な何か、目の前にして、偽姫は初めて恐怖を、そして後悔を感じていた。


 また一歩、退く偽姫、すれ違うように前に出たのはリーアだった。


 その姿勢はピンと正しく、表情は凛とりりしく、怯えも臆することもなく、ただまっすぐ、黄金に向かっていた。


「何を」


「決まってるでしょ?」


 偽姫の途にリーア、ちらりと振り返る。


「この方が精霊なのは間違いない。だったら妾に望むことは聞いてるわ」


「……何を、それは」


「何よ。妾は姫よ?」


 ほおを引きつらせてる偽姫にリーアは小さく微笑む。


「この国を守るため、導くためにいるのが王族よ? 生贄だけで全部住むなら安いものじゃない」


 あっさりと言い切るリーアに、偽姫は言葉を失う。


「あなたが何を期待してここに妾を連れてきたかはわかってるわ。だけどおあいにく様、これまで贅沢させてもらって来たんだもの、その分を返す覚悟ぐらい、ちゃんとあるわよ」


 そう答えて、一瞬考えた後、リーアは続けた。


「あなたのことは許せないけれど、だけどここに連れてきてくれたことには、礼を言うわ」


 そう言い残しリーア、黄金の前に進み出る。


 精霊との交渉、対面するのも初めてならば礼儀作法も教わってはいない。


 それでもできること、リーアは考え、そっとスカートを左右に広げ、そして頭を垂れた。


 それから、どうしよう?


 考えながら下の黄金を見つめるリーアの耳に、聞きなれてしまった声が届いた。


「何で先にトイレ済ませてないんですか!」


「仕方なかろう! そもそもここまでくる間のどこにそんな隙があったというのだ!」


「うるせ! それよりさっさとトイレ探しやがれ! でなきゃここでちーちーすんぞゴラ!」


「おぃい! ここ一応聖地だぜぇ? トイレなんざあるわけねぇだろ!」


「じゃあこれ! せめてこのカップにしちゃってください!」


「あ、もう大丈夫だ」


「うっわきったね。こっちくんなよ」


「馬鹿を言うな! マロはちゃんとそこの端っこでだな!」


 色々と台無しな、だけどほっとする声だった。

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