エピソード5.5 煙の正体
狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)ら天孫一行は安芸国(あき・のくに)に辿り着いた。現在の広島県西部である。
ここで一行は空高く昇る煙を見た。黒い煙が幾筋にも分かれ、空を覆い尽くさんばかりであった。
その光景を訝(いぶか)しく眺めながら、一行は、広島湾内に突き出す岬に停泊した。松が、うっそうと生い茂る森である。
そこに、一人の男が現れた。
謎の男「よう、来(き)んさったのう。」
サノ「な・・・なんや! 汝(いまし)は?」
謎の男「わしですか? わしが、この地を治める、安芸津彦(あきつひこ)じゃ。」
サノ「あ・・・安芸津彦?」
安芸津彦「天孫一行がやって来ると聞き、今か、今かと待っとりました。」
長兄イツセ「では、安芸津彦殿。汝(いまし)は、我らを歓迎すると?」
安芸津彦「そがんこと(そんなこと)当たり前じゃあ。たいがたい(慈悲深い)天孫御一行様の来訪を歓迎せんで、どう、せいっちゅうんですかいのう。」
長兄イツセ「い・・・いやあ、まあ、そうやな。」
天種子(あまのたね)「ところで、安芸津彦殿。あの煙は何なんや?」
安芸津彦「ああ、あれは御一行を歓迎するために、烽火(のろし)を上げたんじゃ。」
サノ「歓迎するち? じゃっどん、何のためっちゃ?」
安芸津彦「何のためって・・・おっけえ(大きい)烽火を見たら、喜んでくれると思うて、作ったんじゃ。ビックリしたじゃろ?」
サノ「えっと、ええっと、正直に言うとやな・・・。」
安芸津彦「はい。」
サノ「全員が訝しく思ってました!すみませんでした!」
一同「すみませんでした!」×10
安芸津彦「なっ!? あ・・・あんたら・・・。」
サノ「お・・・怒ったんか?」
安芸津彦「何(なん)ちゅう・・・お人らじゃあ。こんな正直に謝る人を見たんわ、初めてじゃ!」
サノ「怒ってないんか?」
安芸津彦「怒るわけないじゃろう。いやあ、歓迎して正解じゃったなあ。」
次兄稲飯(いなひ)「ところで、安芸津彦殿。あの煙はどこから上げとるんや?」
安芸津彦「よくぞ聞いてくんさった。あれは、二千年後の広島市と言うところの西部にある山から、烽火を上げとるんじゃ。これを記念して、山に火がついとるけぇ、火山(ひやま)と名付けるつもりじゃ。ちなみに、標高488メートルじゃ。」
次兄稲飯(いなひ)「そ・・・それって、二千年後で言う、山火事っちゅうやつでは・・・?」
安芸津彦「そうとも言うんかいのう?」
サノ「あほう!はよ(早く)消さにゃ!どげんかせんといかん!」
こうして一行と安芸の住民によって、火は瞬く間に消されたのであった。その後、安芸住民による、天孫御一行様歓迎式典が行われた。
<安藝都彦(あきつひこ)、出迎えて奉饗(ほうきょう)せりとの傳説(でんせつ)あり>
地元の歴史を編纂した「廣島縣史」には、そう記されている。
ちなみに、火山(ひやま)であるが、現在、山頂には「神武天皇烽火伝説地」の碑が立っている。
なお、消火活動は、この物語のオリジナルであり、烽火は計画的に上げられたはずである。
また、湾内に突き出た岬の森は誰曽廼森(たれそのもり)と呼ばれるようになった。サノが上陸した際、土地の者に「そなたは誰ぞ?」と訊ねた伝承によるものである。
その森の、すぐ傍に、サノたち天孫一行は行宮(あんぐう。仮の御所)を建てた。
これが、現在の広島県府中町にある、多家神社(たけじんじゃ)である。
「古事記」に記された多祁理宮(たけり・のみや)の跡地であるとの伝承が残る。
さてここで、“「古事記」に記された”と表現したのには、理由がある。
なんと「日本書紀」では宮の名前が違うのである。
「書記」の方は、埃宮(え・のみや)といい、同一の宮を指すのか、それとも違うのか、今となっては、よく分からない。
多家神社(たけじんじゃ)では、同一の宮として扱っているが、埃宮(え・のみや)の跡地といわれる、別の神社も有り、諸説紛々という状況である。埃宮伝承地については、後日、お伝えしたい。
もう一つ、「古事記」と「日本書紀」で異なるところがある。
滞在期間である。
「古事記」では七年、「日本書紀」では二か月余りと、大きく違うのである。この理由も定かではないが、七年という期間があれば、稲作の方法を教え、灌漑技術を整えることも可能であろう。
水稲耕作が、九州から本州へと広がっていったことは、考古学的にも証明されている。誰かが伝えたことは間違いのない事実なのである。
各地に伝わるサノの伝承は、技術が伝播された際の出来事が、初代天皇と結び付いたものなのかもしれない。
サノ「勝手にまとめに入るなっ!」
えっ!? 今回はこの辺りでいいんじゃないですか?
サノ「安芸津彦のことを、詳しく説明してないやろうが!」
あっ! そうでした。では、安芸津彦さん、改めて自己紹介お願いします。
安芸津彦「わしが安芸津彦(あきつひこ)じゃ。安芸国造(あき・のくに・のみやつこ)の祖と言われとる。国造(くにのみやつこ)っちゅうんわ、前回、紹介した通り、地方長官みたいなやつじゃな。」
日臣(ひのおみ)「安芸津彦殿。前回って何ね?」
安芸津彦「それは読者向けの台詞じゃけぇ、気にせんでもええ。それと、正式に国造に就任したんわ、わしの五世孫(玄孫)にあたる飽速玉命(あきはやたま・のみこと)じゃ。」
大久米(おおくめ)「第十三代成務天皇(せいむてんのう)の時代のことですね。」
安芸津彦「ほうじゃ(そうだよ)。それと、わしは『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』では、天湯津彦命(あまのゆつひこ・のみこと)として登場しとるんじゃ。」
三兄ミケ「中つ国に降臨なされた、饒速日(にぎはやひ)殿を中心に書かれた書物のことっちゃね。」
サノ「そ・・・それじゃあ、汝(いまし)はニギハヤヒ殿を知っとるんか?」
安芸津彦「知っとるも何も、一緒に降臨した仲じゃけぇ。」
天種子(あまのたね)「えっ!? ほんまか? せやったら、マロのじいちゃんも知ってるんか?」
安芸津彦「こやねっちゃん(天児屋根命〔あまのこやね・のみこと〕)のことは、よう知っとるよ。」
天種子(あまのたね)「ちょっ、マ・・・マロのじいちゃんを、こやねっちゃ・・・。言えん、マロには言えへん。」
サノ「天種子のじいちゃんたちも、ニギハヤヒ殿と一緒に降臨して、また天に戻って、わしのひいじいちゃんと、改めて降臨してるんやったな。」
天種子(あまのたね)「また天に戻ってるんが、よく分からんのやけど・・・。」
サノ「それは追々、分かるんやないか。それよりも、まずは水稲耕作教室と灌漑公共工事っちゃ。いろいろ視察もせにゃならん。」
こうして安芸国振興作戦が開始されたのであった。
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