序章:ななふしぎ 2


 ほんのりと漂う独特な木の香り。六年間嗅ぎ続けた校舎の匂いが、正面玄関を開けた瞬間から溢れ出してくる。

 ここに足を踏み入れるのは卒業して以来、実に三年ぶりだ。あの時と何も景色は変わっていない。記憶にある通りだ。違うことがあるとすれば廊下が真っ暗で、校長室だけ煌々と灯りが付いていることだけだ。時刻は午後九時過ぎ。生徒はおろか先生達も帰路についている時間だ。

 晩出ばんで市立晩出奥部おうぶ小学校。

 オレの母校だ。

 ここに来たのは、遊びで立ち寄ったとか急に懐かしくなったとかそんな理由じゃない。


「心の準備はいいわよね駆郎くろう?ほ~ら、背筋を伸ばして」

「いってーな!分かってるよ」


 寝癖のように跳ねた前髪を揺らしながら、オレの母――天宮あまみやこのはが思い切り背中を平手打ちする。

 そう、遊びじゃない。仕事で来たのだから半端な心構えじゃいけない。

 今日はオレの初仕事――その打ち合わせなのだから。


 重い扉を二回ノック。直後に中から「どうぞ」と明朗な男の声。扉を開けて「失礼します」の言葉とお辞儀。まるで面接のように緊張して校長室に入る。


「そんなにかしこまらなくてもいいよ。久しぶりだね、駆郎君」


 スキンヘッドの男が革張りの椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。奥部小学校の校長を務める可児かに桂馬けいまだ。厳つい顔のせいで怖い人と思われがちだが、とても心優しい人だ。オレがいた頃は教頭を務めていたが、知らない間に昇進していたらしい。優秀な人だし、偉くなるのも納得である。

 しかし、相変わらずの坊主頭だ。真上の照明のせいで眩しく輝いている。小学校時代は皆で“カニボウズ”と陰で呼んではよく怒られたものだ。


「久しぶりのカニボウズだ…って思ったでしょ」

「え、あー…いや、その…はい…」


 図星を突かれて狼狽うろたえてしまった。


「別にもう怒らないから安心していいよ。今では私の良きあだ名になってるからね」


 はっはっは、と笑いながら両手でチョキチョキポーズをする姿から、以前より大分丸くなったことが窺えた。

 ……よく見るとネクタイがかに柄だ。相当気に入ったのだろうか、蟹。


 挨拶あいさつもそこそこに切り上げ、ソファに腰掛ける。

 周りには歴代校長の額縁入り顔写真や書道作品がずらりと並んでおり、圧迫感が尋常じゃない。これのせいで子供の頃は部屋に入るだけで緊張していたし、今だって萎縮してしまっている。偉い人の部屋というのはどうも居心地が悪い。

 緊張で乾いた口を潤そうとして可児校長が淹れてくれたお茶を一口すすると、芳醇ほうじゅんな香りと味が身体に染み渡っていく。客人用の高級品なのだろうか。こんなお茶、飲んだことない。


「で、今回の依頼の件なんだけど…」

「新しく出来た七不思議の噂ですね」

「そうなんだよ。こういう問題がどんどん出てくるもんで大変なんだよねぇ」

「私としては仕事がいっぱいあって嬉しい限りですよ~」


 母さんと可児校長は世間話の延長で仕事の話を始めている。

 奥部小からの依頼はとても多く、お得意様だ。だから堅苦しい雰囲気なしで和やかに話が進んでいた。


 奥部小学校では怪異絡みの問題が頻繁に起きる。オレが通っていた頃も度々事件になっていた。

 晩出市には有名な伝承が残っており、大昔は強大な怪物に支配されていたそうだ。それを霊獣が三日三晩の死闘の末打ち倒したそうで、その戦火の名残なのか晩出市では怪異が発生しやすくなったと言われている。そして奥部小は晩出市の中心に位置するためか市内の怪異が集まりやすく、結果的に依頼が多くなる。

 そこでオレの家、母さんが経営する“対霊処たいれいどころあまみや”の出番という訳だ。

 霊に関する問題を解決するための地域密着型の専門店。念導者ねんどうしゃ――所謂いわゆる霊能力者の母さんが依頼に応じて浄霊じょうれいをするのだ。

 そして今回の依頼を担当するのは母さんの血を受け継いだオレ。サポートとしての役目は何度か経験したが、一人で解決するのは初めて。つまり初仕事、“あまみや”を継ぐための第一歩ということだ。


「私としては夏休みが始まるまでには解決してほしいんだよね」

「大丈夫ですよ~。駆郎が何とかしてくれますから」


 母さん、何故プレッシャーをかけるんじゃい。

 ますます緊張してきた身体を落ち着かせようと湯飲みに口をつけるが、もう空だった。


「期間は夏休みまでの二ヶ月間。駆郎君には小学校に学習サポーターのボランティアとして通ってもらうことにして、その裏で問題の解決にあたる……ということでいいんですよね?」

「ええ、晩出中央高校にはぴったり二ヶ月休学ってことで話は通っているわ。期間内なら煮るなり焼くなりステーキなりにしてオッケーよ」

「では、一週間ずつ一年から六年を担当してもらって……あとの二週間は適宜てきぎ大変そうなところに入ってもらうということで」

「いいよいいよ~」


 オレのことはそっちのけでどんどん決まっているんですけど。

 仕事するのはオレなんですけど。


「で、その新しい七不思議についてなんだけど、詳しく聞かせてもらえるかしら?」

「それなんだけど、ここ一年の間に急に生徒達の間で噂されるようになってね。職員間でも何人も見たとか被害にあったとか……とにかく大騒ぎだよ。ちまちま事件はあったがこうまとまって噂になるのは初めてだからね。しかも妙なことに各学年のフロアに一つずつ、職員室に一つ、合わせて七つで七不思議。綺麗に揃い過ぎでしょ」


 確かに妙だな。七不思議と言えば動く人体模型やピアノを弾く霊など、特別教室が舞台になる話が多くなる傾向にあるし、実際同様の案件もあった。それなのに特別教室はノータッチな上に各学年に一つずつというのはあまりにも不自然だ。

 成る程、だから一週間ずつ学年を移動するスケジュールになっているのか。


「それでね、今噂になっている七不思議なんだけどね」


 可児校長が懐から一枚の紙を出す。四つ折りになったそれは印刷ミスしたプリントの裏をメモに使った物だった。

 資源の再利用かよ。


 「……噂になっているのがこの七つなんだ」


 可児校長が指で突いて鳴らす先、裏紙メモにはこう書かれていた。


・一年生:夕方、一年二組で彷徨っている女の子の霊

・二年生:二年三組のベランダにうずくまる男の子の霊

・三年生:三年の廊下を遊び歩く人形

・四年生:渡り廊下の角の見えない何か

・五年生:勝手に開く女子トイレの窓

・六年生:神出鬼没のぼろ布を被った女の霊

・職員室:午前四時四十四分四十四秒に職員室前モニターに映る怪現象


「な~るほど。これなら出来そうよね、駆郎?」

「え、はい?」


 急に話を振られて、間抜けな返事をしてしまった。


「ぼーっとしてるんじゃないわよ、もう。今回の依頼はあなたの初仕事。基本的に一人でやりきるって約束でしょ?」


 そうだった。弱音を吐いていたら格好が付かない。


「……ふっ…、当然だろ」


 ゆったりと立ち上がり、物静かに宣言する。

 これがオレのスタイル。クールなキャラ・イズ・ジャスティス。

 しかし、答えは否。

 しばしの沈黙。

 直後、二人に爆笑された。


「駆郎君は昔と変わりませんねぇ、そういうところ」

「ほんっと、カッコ付けたがりなんですよ~」


 ぐはっ。

 超絶恥ずかしい。

 自分の耳が真っ赤になっていることが、体温の急激な上昇で容易に想像が付く。

 アピールは盛大に滑り、すごすごとソファーに尻を沈めることになってしまった。気を紛らわせようとして湯飲みを手に取るが、軽さで空っぽだったことを思い出す。さっきおかわりを注いでおけばよかった。

 穴があったら頭からダイビングしたい。今すぐに。


「ちょっと……下見に行ってきま~す……」


 しかし丁度良い穴はないのでこの場を一時離脱することにした。幸い可児校長は快く許可してくれたので、足早に校長室から出た。

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