第7話 刺身を食べるスズメ

「ほぉぉぉ、美味じゃ……まこと美味じゃ」


 海洋地域の特産物といえば、塩や胡椒もそうだけど、やはり新鮮な海産物だろう。

 内陸でも海産物は手に入るし、料理屋に行けば魚介料理が食べられる。でも、基本的に日持ちしない海の魚や貝は内陸では燻製や干物のように何らかの下処理をされたものが殆どで、生のまま食べる……なんてことは基本的にはしない。たまに見かけることはあるけれど、そういうのは高級品なので庶民の口にはまず入ることがないものだ。

 内陸で食卓に上がる魚といえば、川魚がメインになる。川魚は海のものとは違って淡白な白身魚が多いから、焼いて塩を振っただけの味付けだと物足りないから好きじゃないって言う人が結構多いんだ。ジュリアもそんな感じだったから、川魚がメイン食材の時は味付けに結構頭を使ったっけ。

 海の魚介は脂が乗っているものが多いから、獲れたての新鮮なものなら生でそのまま食べられる。薄く切り身にして軽く塩を振って……それが王道の食べ方なのだ。

 日本人なら刺身には醤油!……って言いたいところだけど、生憎この世界に醤油は存在しない。魚醤に似た調味料はあるんだけど、あれは流通がかなり限られてるからこの辺りだと手に入らないんだよね。


「この刺身というのは美味いのう。とろける脂に塩の風味が堪らぬ……幾らでも食べられそうじゃ」


 僕の目の前の席で、彼女はフォークを片手に口一杯に刺身を頬張ってとろけるような微笑を浮かべている。


「それはマグロ……トゥーナっていう種類の魚だね。僕の国では刺身の王道っていったらこの魚だったよ。わさびを溶いた醤油を付けて食べると凄く美味しいんだ」

「ほう。その『ショウユ』と『ワサビ』とやらは此処にはないのかの?」

「ああ、うん……あれはちょっと特別な調味料なんだ。醤油に似てる調味料は見かけたことはあるけど、わさびはどうなのかな……」


 魚醤っぽいものがあるくらいだし、わさびに似た香草ハーブが存在していても不思議じゃないと思うけど。

 そうか、と彼女は若干残念そうな表情をした。


「そうであったか。ま……世界は広きものじゃ。長らく旅をしていれば、いつかはそういうものに触れる機会があるじゃろうて。わちきが御主と出会ったようにの」

「……そうだね」


 無意味に焦ったところで事を仕損じるだけじゃ、と達観した台詞を口にする彼女。

 そういえばそんな感じの諺が日本にあった気がするよ。何処の世界でも、昔の人が後世に残した格言って似たようなものなんだね。


「──ところで、ツクヨミ」


 出されて大分時間が経っていることもあって随分とぬるくなった緑茶を一口啜りながら、僕は幾許かトーンを落とした声で彼女を呼ぶ。

 ……え、緑茶があるのが意外? 茶葉は生ものじゃないからね。この世界で広く愛飲されているのは紅茶だからそこまで流通しているわけじゃないけど、こういう食事処では緑茶を提供しているところも結構多いんだよ。


「本当に、この呼び名で良かったの? ツクヨミって僕の国でも滅多に聞かない名前だよ? 逆に目立っちゃうんじゃないかなって思うんだけど……」

「本名でなければ何でも良いと最初に申したのはわちきじゃ。別に構わぬ」


 んくっと刺身を飲み込んで、彼女はにっと笑ってみせた。


「それに、わざわざ御主がわちきに似合う名をと考えて付けてくれたものじゃ。良き響きではないか、わちきは気に入っておるよ」


 ツクヨミという呼び名は、彼女を鑑定して知ることができた本当の名前から連想したものを和風の名前にもじったものだ。

 全然本名と無関係な呼び名をつけるよりかは、その方が本人にとっても馴染みやすいだろうと僕が思ったからである。


「そっか。それならいいんだけど」

「そうじゃ」


 ──この料理屋に入って注文を済ませ、料理が届くまでの間に、僕は彼女の鑑定を行った。

 鑑定方法は簡単だ。調べたいものをしっかりと視界に捉えて、鑑定魔法を唱える。これだけである。

 魔法が効果を発揮すると、視界の中心に魔道文字で綴られた鑑定結果が表れる。イメージとしては、近未来を舞台にした映画とかで光の文字がホログラムみたいに目の前に投影される場面があるよね? あれに似た感じかな。

 万物を見通す目オームネス・ディクショナリスで彼女を鑑定した結果が、次の通りだ。



 彼女の本名はリ・ルナリア・オークスウェル・アルヴェリア。

 九百六十九歳の、ルガリアンという種族の女性だ。

 彼女曰く。ルガリアン、というのは僕たち人間から見て亜人種のひとつに区分される種族で、ルガルと呼ばれる土地で独自の文明を築いて繁栄を遂げた種族なのだという。

 ルガリアンの最大の特徴は、額に魔力を視ることができる第三の眼があること。しかし基本的に自分たちの国から滅多に外に出ることがない彼らは、自分たちがルガリアンであることを他所の土地の人間や亜人たちに知られないように額の眼をカムフラージュしたりして隠すのだという。例えばサークレットの宝石に見せかけたり、帽子を被って隠してしまったり。彼女のように堂々と眼を晒しているのはかなり珍しいことなのだそうだ。

 彼女は魔法の才能に秀で、豊富な魔力を身に宿している。長く生きている分、現在は失われている『古の魔法』にも通じている。

 現在の彼女の姿も、その古の魔法による産物なのだという。肉体年齢を操作して、自身の幼少期の頃に姿を変えているのだそうだ。

 何でも、彼女には自分が此処にいることをどうしても知られたくない相手がいる、らしいのだが……



「……本当は全くの別の存在に姿を変えられれば良かったんじゃがの。生憎、わちきは己自身の顔も含めてこの世の全ての形を知らなんだ、歳を弄ることしかできなかったのじゃ。姿を変えるには、己がなりたいものの姿かたちを正確に思い浮かべる必要があるからの」


 変身魔法は、自分が変わりたいものの容姿を正確に頭の中でイメージしなければ効果を引き出すことはできないという。

 自分の顔すら知らなかったツクヨミには、それができなかったのだ。

 ……その代わりに自分の年齢若返らせちゃう、っていうのもなかなかに凄い話だとは思うけど。

 若返りなんて、この世界に限らず日本でも何処でも永遠の追求テーマだもんね。


「それじゃあ、僕の目を通してとはいえ見えるようになった今なら、何にでも変身できるんじゃない?」

「そこまで万能な魔法でもないんじゃがの……命なきものには変われぬし、命あれど声を持たぬものに変わるには相応の覚悟が必要なんじゃ」


 魔法を行使するには、声にして魔法を唱える必要がある。これは現代で広く知られている魔法でも古の魔法でも同じらしい。

 だから、命がないもの……要は石ころみたいな無機物には変身できないし、種として声帯を持たない生き物、例えば魚とか植物には変身することは一応できるけど元に戻ることができなくなる可能性があるから変身はお勧めしないってことなんだろうね。

 魔法は何でもできると思われがちだけど、実際は定められた用途以外には使えない道具と一緒だってことかな。


「成程ね。勉強になるよ」


 緑茶を一口啜って、僕は相槌を打つ。

 と。

 目の前で刺身を美味しそうに食べていたはずのツクヨミの姿が忽然と消えていた。

 まばたきをした一瞬の間を挟んで、である。


「あれ?」


 口元に持ってきていたカップを下ろして彼女の姿を探し辺りを見回すと、

 先程まで彼女が食べていた刺身の皿に、一羽の小鳥が止まっていることに気がついた。

 頭と背中は模様が入った茶色で、お腹は白い。嘴は黒くて短く、頬と嘴から下にかけて黒丸のような模様がある。

 大きさは、掌に乗っかるほど。尾羽の長さも含めて大体十センチくらいかな。

 そんな物凄く見覚えのある風貌をした小さな鳥は、皿の上の刺身を食べようとしているのか懸命につついていた。

 この鳥って……


「……ス、スズメ? 何でこんなとこに?」


 スズメは僕から注がれる視線なぞ我関せずといった様子で、刺身をつつき続けている。

 スズメって刺身食べられたっけ……いやいやそういうことじゃなくって。

 此処って屋内だよね。窓も出入り口もあるし、出入り口に至っては開放されっぱなしだからそこから入ってきた可能性は十分に考えられるけど。

 だとしても、臆病で警戒心が強いことで有名な野鳥が、こうも堂々と人間が大勢いる中で刺身を啄ばむ理由が分からない。

 それに……ツクヨミは何処に行ったんだろう?


「……まさか」


 あるひとつの可能性が浮かぶ。


「……ひょっとして……君、ツクヨミなのかい?」

「食事中のところを失敬。不躾ですまないが、貴殿に尋ねたいことがある」


 スズメの顔を覗き込んで問いかけようとすると、背後から僕の肩を叩いてくる誰かからの呼びかけがあった。


「今、貴殿の傍に女がいただろう。あれは何処へ行った?」


 明らかにツクヨミのことを探していると分かる質問だ。

 本人の主張通りに本当に不躾な質問をしてきたその人物は、

 背後に数人の部下と思わしき連れを従えて、兜の面当てに隠れた双眸で僕のことをじっと見下ろしていた。

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