招待状

酢烏

前編


『ずっと貴方を捜していました。

唐突に思われるでしょうが、貴方には私たちの催しに、是非参加していただきたく思います。

以下に日時と集合場所を書いておきました。お忙しいところとは思いますが、ご自身の予定をご考慮くださった上でご参加ください。

貴方のお越しを、心よりお待ちしております』



 手紙に書かれていたのは、たったそれだけの文言だった。差出人の住所も、名も一切書かれていない。代わりに封筒の表には俺の名前がデカデカと書かれていた。非常に丁寧で、整えられた字で。

 当然、受け取った俺の反応は、

「なんだこりゃ」

の一言だった。


 とはいえ、差出人に心当たりが無いわけではない。俺の知り合いで、最近交流がなくて、でもこういうことしそうで、催しものを開くほど暇を持て余している奴といえば……あいつしかいない。

 俺は咄嗟に、小学生時代のプリント保管ファイルを取り出した。ジッパーを開き、目的のものを探すこと数十秒――あいつの所に巨大な赤丸がつけられた連絡網が見つかった。

「ええと、これか。6年2組25番、高倉 志織。電話番号は……」

 記された数字をスマホに打ち込み、通話を開始する。プルルル、プルルル……数回の呼び出し音の後に、電話の向こうの声はこう告げた。

『現在、この番号は使われておりません』


 しまった、俺としたことが。舌打ちしながら通話を切る。そして、そのまま手紙に書かれた集合場所を検索する。

「えっと、藤ヶ浜……ここか、随分遠いな」

 引っかかった場所は、俺の家から電車で二時間ほどかかる、海辺の地域だった。これまで一度も足を運んだことなどない、耳にしたことすらない土地。地図から推測するに、きっと人口の少ない辺境の一つなのだろう。それなら確かに、あいつの引っ越し先にピッタリだ。俺の中で、パズルのピースが少しずつ集まってきた。

 この封筒の差出人は、きっとあいつ――志織なのだ。六年も前に姿を消したあいつが、何を思ったか、今頃になって手紙を寄こしやがった。しかも「パーティーするから来てください」だと。何の催しかも知らせずに来るのを強要する姿勢は、昔のあいつそのものだ。

 ただ……やたら文体がよそよそしいのが気にかかった。長年取り沙汰無かったとはいえ、久しぶりの手紙にこれはないんじゃないか。字もやたら畏まってるし。

 まあ、そこらへんの文句も併せて、あいつに再会したときにモノ申してやるか。



「本当に志織ちゃんからなの、その招待状?」

「招待状なんて厳かなもんじゃねえって。ただの封筒だぞ?」

「でも……」

 あからさまに不安がる母の肩を、俺は数回叩く。

「大丈夫だって。万が一何かあったとしてもすぐ連絡するからさ。携帯がつながらないほどの僻地でもなさそうだし」

「そう……そうかしらねぇ」

 これ以上やっても埒があかねぇ。そう判断した俺は、すぐさま母を離れドアに向かった。

「そんじゃ、行ってくるわ」

「あっ、ちょっ、もう行くの⁉」

「土産買ってくるから、楽しみに待っててな!」

 軽口をたたきながら、俺は最寄りの駅へと駆けていった。母の言う通り、家を発つにはまだ少し早い時刻である。が、あいつにまた会えると思うと、居てもたってもいられなかった。何せ六年ぶりだ。どんな成長をしたのか、嫌が応にも気になる。

 それに……なんであの日、唐突に引っ越していったのか。どうして今まで一度も連絡を寄こさなかったのか、一刻も早く訊きだしたいから。

 俺は、駅へ向かう足を早めた。



 一日に数える本数しか出ない電車に揺られ、目的地・藤ヶ浜を目指す。車窓に映る景色は段々と緑が多くなり、時にトンネルの闇に塗りつぶされながら森の色彩を強くしていく。と思うや、木々の切れ間からちらちらと水面が覗き始めるようになった。

 気付けば車内時計は一三時を指している。最初は長そうに思われた二時間は、刹那のうちに過ぎ去っていた。

「次は藤ヶ浜、藤ヶ浜~。お出口は向かって左側です。お降りの際は、お足下にぃご注意ください」

 車掌の呑気なアナウンスを聞きながら、俺はドアの脇に立つ。車内にいたのは俺だけだったから、別に急ぐ必要はなかったのだが。


「あっちい……」

 降りた瞬間、強い日差しが襲いかかってくる。待合室も日除けの軒もない、ひどく簡素な駅。周囲には木々が数本並んでいるが、陰で休息をとるには小さすぎる。駅員の存在も確認できない。

 ここで時間まで待つのは至難の業、と悟った俺は即座に移動を開始、浜へ向かうことにした。観光客の来ない寂れた浜辺とはいえ、海の家くらいはあるだろう。今が一番の売り時なんだから、きっと営業もしているさ……。

 という呑気な予想は、見事に外れた。防風林を抜けた先に広がる藤ヶ浜には、人気どころか建物すらなかった。防波堤など見る影もない。ただひたすらに、砂が浜辺を埋め尽くしている。

その光景に、寂寥や失望を抱くことはなかった。むしろここまで人の手が加わっていないことに、ある種の感動を覚えていた。

 喉の渇きも忘れ、俺は藤ヶ浜に駆け寄った。砂にたびたび足をとられ、転びそうになる。転んだところで痛みはなく、アスファルトにはない温かさが身体を包んでくれる。

 見ると波打ち際には数匹のカニがたむろしていて、楽しそうに鋏を上げ下げしている。と思うや白い波がやってきて、彼らの集いの邪魔をする。波に連れ去られなかった二匹のカニは、空しそうにどこかへと走っていった。

 そんな何でもない光景に想いを馳せる。絵本や写真の中の風景に笑みを浮かべる。

 ああ、俺は童心に戻ってるんだな、と密かに思った。



「……あなたも、海がお好きなんですか?」

 不意に声がした。はっきりとした、それでいて透き通る声が。

 見ると、傍らに一人の若い女性が立っていた。いや、男性なのか? 若いことは見て取れるが、服装や顔立ちは中性的で、一瞥して判別はできなかった。

「え、ええ、まあ。少なくとも嫌いではないです」

 砂に汚れた身なりを取り繕いつつ、俺は答えた。

「なるほど。それはよかったです」

 そう言うと彼、もしくは彼女、は俺の隣に腰掛けた。見事なまでに整った体育座りだった。

「海が好きな人は、心の穏やかな人です。信頼できる、といっても過言ではないでしょう」

「そ、それはどうなんだろう……一概には言えないと思うけど」

 俺のツッコミは聞こえなかったのか、相手はひたすら海を眺めていた。静かに見入るその横顔に、俺もつい黙り込んでしまう。

 きれいな人だ、と感じた。男にせよ女にせよ、これほど端正な顔立ちをした人間を、俺は見たことがない。姿勢は良く、言葉遣いも柔らかい。漫画に出てくるお嬢様の手本みたいな人間、と言うとしっくりくる。まあ女かどうかは依然不明だが。


「……つかぬことをお尋ねしますが」

「は、はい」

 突然の投げかけに現実へと引き戻される。見ると、相手の視線は俺の方へと向けられていた。やべ、変な人間だと思われたかな……?

「あなたは志織様のご友人の、津村 侑人様ですか?」

「え?……あ、はい。そうですが」

 あいつと自分の名前が出た瞬間、俺は何となく状況を理解した。そうか、この人はお嬢様じゃなくて、むしろ――。

「申し遅れました」

 俺が思うより早く相手は立ち上がり、背筋をすっと伸ばして直立した後、恭しく頭を下げた。

「私、志織様にお仕えする、世話係のセナと申す者です。以後、お見知りおきを」

「あー……やっぱり」

と呟くと、セナさんは不思議そうな顔をして、

「やっぱり、とはどういった意味合いでございましょうか?」

「あ、いや。志織の名前を出したから、多分メイドさんなんだろうな、って思っただけです」

 笑いながら返すと、セナさんはなぜか少し俯いてしまった。何か触るようなことを口にしただろうか……?

「あの。俺、なんか悪いこと言っちゃいましたか?」

「……いえ、お気になさらず。それより侑人様」

「はい」

 再び姿勢よく構えたセナさんは、俺の眼を見ながら、海とは反対の方向に手を差し出す。

「少しお早いですが、別荘までお車でお送りいたします。どうぞお乗りください」



 ……立派なベンツだった。初めて乗ったぞ、あんな高級車。うちの周りじゃ絶対に見かけないって。

 そんなベンツが場違いな林を抜け、坂を駆けあがり、高台へと移動する。空調の利いた車内からは、先ほどの浜辺がうっすらと見えた。

 やがて、切り立った崖の上にそびえる、一軒の豪邸が見えてきた。周りは塀で囲まれ、立派な門の隙間からは草木生い茂る庭園が覗いている。

 その門のそばに建てられた車庫にベンツは止まった。運転を終えたセナさんはすばやく車を降り、そのまま俺の席のドアを開ける。

「ど、どうも」

 軽く頭を下げつつ、俺もベンツを降りた。車庫といっても、小さな家一個分の大きさはある。部屋もトイレもあるみたいだし、この中で暮らすこともできるんじゃないかと、本気で言い張れる出来栄えだった。

「こちらです、侑人様」

 セナさんが導く方に進むと、車庫のシャッターは自動で閉まり、自力では開かないようになってしまった。ここまで結構距離があったし、徒歩で帰るのは難しいだろう……と考えると、自分はもしや陸の孤島に来てしまったのではないか、などという気分になる。

「……侑人様?」

「はい! 今行きます!」

 稚拙な思索に耽っている間に、セナさんは門の手前まで移動してしまっていた。この炎天下の中待たせるのは悪い。少し躊躇しながらも、俺は屋敷に赴くことにした。


 豪邸に入ると、見た目だけ大きくなった志織が、

「久しぶり、侑人ッ!」

と叫びながら、俺の方へ真っ直ぐ向かってきて……ということは、無かった。

 ただ無意味に広い空間が、そこにはあった。人の動く気配は全くない。玄関の花瓶も、大広間のシャンデリアも、壁に掛かった絵画も、皆同じように静謐の中に溶けている。

「あの、セナさん」

 そう問う俺の声が、虚空に反射して異様に響き渡る。非日常なだだっ広さに、思わず寒気がした。

「はい、侑人様」

 そんな俺とは対照的に、セナさんは平然として眼前の空間に踏み込んでいる――いや、この人にとってはこれが当然の光景なのだろう。それを確認するために、一つの質問をぶつけてみた。

「本当に、志織のやつはここに住んでいるんですか?」

 先を行っていたセナさんは急に足を止めると、俺の方に顔を向けた。そして数秒考え込んでから、真顔で答えを返す。

「……侑人様は本当に、志織様と親しいご関係なのですね」

「え、は、はい? いや、そんなことは一言も……」

 予想しなかった回答に、つい狼狽えてしまった。そんな俺の様子を、セナさんは微笑みながら見つめる。

「志織のやつ、って仰いましたよね」

「は、まあ、それはそうですが」

「仲が良い証拠じゃありませんか」

 意地悪気にそう言い放つと、セナさんは大広間をぐるりと見回した。

「見ての通り、志織様はこの屋敷で私と二人、暮らしております。近所付き合いなど一切ない、辺境の別荘でございますから」

「……あいつは、寂しくないんですか?」

 誰よりも人懐こくて、誰にでも優しくて、誰からも話しかけられていたあいつに、こんな無情な空間での生活ができるだろうか。小学校での記憶が、そんな純粋な疑問を湧き上がらせた。いや、あいつもお嬢様として成長した、ということなのだろうか……?

 これについては、セナさんも思い当たる節があるのか、ばつが悪そうに、

「……それは、見れば分かります」

と答えるのみだった。



「こちらが、志織お嬢様の部屋になっております」

 セナさんに案内された部屋のドアは閉め切られており、中の様子は窺えなかった。今のあいつに会うためには、この茶色く重い扉を開かなくてはならない。緊張する裏で、少し期待している自分がいた。

 一つ呼吸を置き、ドアノブに手をかける。いっぱいに回し、また息を吐いてから、力を込めて押しのける。キィィ、と扉が軋む音がした。

「お、お邪魔してまーす」


「…………侑人?」

 その部屋はレコードの音と、吹き抜ける潮風の匂いで満たされていた。この曲は……聞いたことはあるが、曲名は思い出せない。こう、どこか切なげな、それでいて澄んだ優しさが感じられるようなピアノ曲だった。

 窓際に目を向ける。ばたばたとなびくカーテンの陰には一つの花瓶。黄色と赤の花が活けられている。その花弁もか弱い茎も、海から来る風に翻弄されていた。

 そして、その脇に立つ細い人影――身体は華奢で、背も高い。服は薄いピンク色のワンピースで、素足。加えて、絶対に美人に分類される顔立ち。そんな綺麗な女性が、黒い瞳をこちらに向け、長い髪を吹かれるがままにして立っていた。

「侑人、なのね」

「……そう言うお前は、志織、なんだな」

 俺が口にすると、彼女は淑やかに笑みを浮かべ、

「覚えてて、くれたんだ……!」

と、言っ、て……ッ?


 次の瞬間、俺の体には、小さな温もりが灯っていた。背中に回された両手が、ぎゅっと力を込める。けれど、その顔は胸に埋もれたまま、こちらを見ようとはしない。ただひたすら、抱きしめる感触を確かめているように見える。

 正直、想像できなかった。小学生の志織なら、きっと寄ってきてすぐにピコピコハンマーの一発や二発を見舞っていただろうに……そしてずっと、そんな志織の態度は変わらないものだと思っていた。いや、そう思いたかったのかもしれない。

 異性に抱きしめられる、それは嬉しいことのはずだ。でも今は、こいつの変わりように戸惑いを隠しきれない……。

 俺は、そのまま志織を受け止め続けるだけで精いっぱいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る