Basis1. 異世界よりの歓待

 それは下着姿の美少女だった。それもかなり気合いの入った下着。普段飾り気のないものばかり選んでしまう私にとっては、布地のそこら中にフリルをまき散らしているそれには憧憬の念すら浮かんでしまう。


 少女本人のスペックもなかなかのものだ。今にも火花が飛んできそうな赤い髪。南国の海をそっくりそのまま写しているかのような目。まるでアニメの中のキャラクターがそのまま飛び出てきたみたいに感じる。


 だが、何故私はここにいるんだろう……? 自分の記憶を辿る。私は中学の卒業式に出席して、クラスメイトとの別れを惜しんだはず。そしてその帰り道で私は……


「不審者ですわ!」


 眼前の少女は私の思索を許さない。『話せば分かる!』って状況でもないしなぁ……


「どんな手段を使ったのか存じませんが……わたくしの痴態を覗いた罪は重いですわよ?」

「ひぃっ! ごめんなさい! 覗くとかそんなんじゃんくて私にも今起きた状況が分からなくて!」

「問答無用ですわ!」


 少女は突如として虚空から何かを取り出した。それは細身の剣……いわゆるレイピアだと推測される。ってこれ完全に怒ってるじゃん! 意味も分からず美少女の下着姿を拝むことが私の人生の終焉になるなど、誰に言っても信じてもらえないだろう。


「導火よ巡れ」


 次の瞬間、レイピアから炎が上がる。このような展開は見たことがある。いわゆる学園バトルラブコメに部類されるライトノベルでは典型的なヒロインとの初対面のシーンだ。


 その内容は単純明快。なんらかの理由で主人公はヒロインの下着姿を見ることになる。それにヒロインは激怒しなんやかんやでドンパチすることになるのだ。大概その主人公ってのはメチャクチャな力を持っているおかげで対等に渡り合うことができるが、生憎ながら今の私には超能力もすごい武器も持っていない。なのでやることは1つ。


「ひぃぃぃっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「大丈夫です、殺しはしませんわ。然るべき法の裁きを受けてもらいます」

「いきなり火炙りにする法律なんていつの時代なの!?」


 平謝りである。だが、少女は私を裁くことを諦めていない。だが、私が狼狽して言い放ったその一言に、少女は疑問を呈しているようだ。


「不法侵入くらいで火炙りにするわけないですわ」

「じゃあどう裁くっての? その物騒な剣で活け作りにするつもり?」

「然るべき法務組織に任せるという意味で……。ん? 何かおかしいですわね」

 

 目の前の少女は何か思索すると、私に問いかけを投げた。


「そもそもここがどこか分かりますの?」

「貴女の部屋?」

「そうではなくて……この部屋がに存在するかですわ」

「特区……? 区画……?」

 

 少女は謎の単語を口にした。。その言葉自体は存在する言葉であるが、私の周囲では馴染みがない。それこそ、を伝えるということにおいてそのような表現は使用しない。その違和感に、どうやら少女も感づいたようだ。


「……なるほど。まぁ結果オーライですわ」

「どういうことなんですか?」


 その疑問に答えるように突然扉が乱暴に開かれる。そこには、スーツを着た女性が拳銃らしきものを構えこちらに睨みを効かせていた。


「NMO対魔導犯罪課です! 異常な魔導検知の報告を受けましたが何事ですか?」

「おそらく『異界よりの嬰児リンカネート・パラディオン』ですわ。突然部屋に現れたので不法侵入と勘違いしてしまいました、お手を煩わせて申し訳ありません」

「いえ。それにしても珍しいですね。彼女たちは大抵屋外で見つかりますから……」


 脳内を疑問符が占領する。状況を考えると、NMOと呼ばれるものは何らかの組織、特に警察に近しい組織であると推察できる。異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンという謎の単語に関してはおそらく私のことだろう。頭の中で情報を整理していると、NMOのお姉さんがこちらに近づいてくる。だが、その表情は険しいものではなく、迷子の子供を保護するかのような優しいものであった。


「怖がらせてごめんなさいね。まず貴女の名前を聞かせてもらってもいいかしら?」

「橘華凜です」

「華凜ちゃんね。……こちら対魔導犯罪課19番区画橿原。異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンと思しき人物を発見。『人物参照パーソナライズサーチ』の魔術使用許可願います」


 魔術。橿原と名乗ったNMOの人は今はっきりと魔術と言った。今ここにはっきりと自覚する。


 私はどうやら別の世界へと飛ばされてしまった。それも魔術がはびこり謎の単語が認識されている、それはまるで……私が好きな学園バトルラブコメの舞台にでもなるような世界に!


 嬉しさよりも困惑がわき上がる。自分が認識できない言葉を喋る世界。それは明らかに日本のような世界であるにも関わらず、言葉の通じない外国に放り出されたかのように思えた。


 ※

「データベースでの名前の一致は無し。入管の魔素反応も発見されていないことを考えれば間違いなく異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンと考えていいでしょう」


 「分かりました。彼女は私が責任を持って面倒を見ますわ。明日にでも然るべき手続きを済ませますわ」

「助かります。キネマゼンタ家のご令嬢であればNMOとしても安心です」

 NMOの橿原さんは目の前の少女と談笑すると、こちらに向く。


「華凜ちゃん」

「はっ、はい」

「大変なこともあるかと思いますが、その時はこのお姉さんに頼ってくださいね」


 そう言って、少女の方を一瞥する。少女は虚を衝かれたような表情を見せたが、すぐに凜々しい表情に変わった。それは令嬢という言葉にふさわしい気品漂うものだった


「では、私はこれで」

「お手数をおかけしましたわ」


 NMOの橿原さんが部屋を後にする。


「こちらに座ってくださいな」

「え、えぇ」

 

 促されるままに椅子に座る。部屋の周囲を見ると、小綺麗に整えられている印象を受ける。棚には高価そう食器が置かれていて、やはりいいところのお嬢様というのは間違っていないだろう。アイリスはどうやらお茶を入れているようだ。ふんわりと紅茶の香りが漂う。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 高価そうなティーカップが目の前に置かれた。そっと紅茶に口をつける。


「いい香りですね」

「ええ。わたくしの好きなフレーバーですの」


 紅茶のフレーバーことは全く分からないが、市販のものと比べるとかなり香りが強い。柑橘系の香りだろうか?


「えっと……」

「アイリス・キネマゼンタ。私の名前ですわ、華凜さん」

「はっ、はい。アイリス様。とても美味しい紅茶でした」

「喜んでいただけて何よりですわ」


 アイリスはそう言うと、真剣な表情になってこちらを向いた。


「先ほどは大変なご無礼、本当に申し訳ありませんでした」

「いえそんな! 私も同じ状況ならきっとアイリス様と同じようなことをしていたと思います」


 斬りかかろうとしたり炎ぶつけようとしたりはしたものの、状況を鑑みればその行為を否定することは難しい。なんなら、自分の非を認めた上でこのように謝っているだけでも人格的には相当良いものであると想像できる。


「それならば良いのです。あと、わたくしとはそのように畏まった態度をしなくてもよろしいですわ」

「でも、アイリス様は……」


 私が『アイリス様』呼ばわりすることにかなり不服のようで、アイリスは頬を膨らませる。


「ご学友の皆様もみんなわたくしのことを『アイリス様』とお呼びになりますわ。でもわたくしは普通のお友達が欲しいのです」

「つまり呼び捨てでもいい」


 アイリスはふんすふんすとうなずいている。私に剣の鋒を向けてきた時や他の人の対応を見るだけだと高貴な令嬢というイメージが先行するが、今のアイリスはどこにでも居る一人の女の子として振る舞っている。そしてアイリスは私と友達になれたら良いと考えているようだ。


 さらに言えばここは日本、もしくはそれに近しいものであることは先の橿原さんのことを考えれば高確率でそうだと言えるだろう。そう考えると、アイリスは留学生のようなものだろうか。さらに、アイリスの家はかなり名が知れており、色眼鏡で見られることにも頷ける。『普通のお友達』が欲しいというアイリスの願いは、ささやかではあるが大きな願いと考える。

 

「うん、いいよアイリス」

「……! ありがとうございます!」


 アイリスは満開の花のような笑顔を見せながら私の手を取る。


「綺麗」

「……綺麗、ですか?」

「えっ、あぁ……うん。すごく綺麗だったよ」


 その顔を見た私は衝動的にそう口走っていた。


「……そうおっしゃってくださったのはお父様くらいですわ」

「ごめんアイリス! 嫌な気持ちになったかな……」

「そういうことではないのです。えぇ。私の見立ては間違っていませんでしたわ」


 アイリスの見立てとは何なのかと疑問に思うが、どうやらアイリスはとても気分を良くしていた。少し頬が紅潮しているように見えたのは気のせいだろうか……?


「せっかくですからディナーを作りましょう。えぇ。今日は記念日ですわ!」


 そう言ってまたキッチンへと戻る。アイリスにとっての友達の重みはどうやら相当大きなものらしい。そんなことを考えていると、一瞬世界がホワイトアウトしたような錯覚を覚えた。立ちくらみだろうかと周囲を見渡すが、何の変化も起きていない。アイリスは鼻歌交じりに鍋をかき混ぜている。コンソメの香りが漂っているのでスープでも作っているのだろう。


「聞こえる? 華凜」


 懐かしい声が聞こえたような気がした。どこかで聞いたことのある、絶対に忘れてはいけない声。だが、私はその声の主を思い出すことができない。厳密に言えば、思い出そうとすると白い靄がかかる感覚と言えばいいだろうか。そしてその靄が空間を支配する。


 さっきまでアイリスの部屋だったそれは、一瞬で無機質な白壁に打ち付けられた空間に変貌する。目の前には一人の少女が立っていた。少女の顔は靄に包まれ見えないが、服には見覚えがある。それは私が通っていた中学校の制服だ。私が今着ているそれと同じデザインであることからそこに間違いは無いだろう。


「あなたは、誰?」

 

 私はそんな疑問を口にした。少女はケタケタと笑う。

 

「そんなこと聞かれたのいつ以来かなぁ。……そうだね。みんなからは『基底』って言われているよ」

「基底……?」

「そう。そしてここはこの世界の基底。妾はそこで全てを『観測』している」

「あなたが私をここに連れてきたの?」


 少女は少し思案すると、こう結論づけた。


「肯定と否定、だね。華凜がここに居るのは基底の意志であり、そうでないとも言える」

「言ってる意味がよく分からないよ!」

「……結論は華凜が掴むものだよ。『基底』は貴女を歓迎するわ」


 少女はそう言うと、こちらに歩みを向けた。すぐそばに少女を感じることができるが少女が何者であるかということまでは分からなかった。少女はそっと私の髪に触れた。さらさらと私の毛先を弄っているようだ。


「……あの時と何も変わってない。そのままの華凜だ」

「……? 私のことを知っているの?」


 その疑問に少女は答えない。少女は髪に触れた手を下ろし、今度は私の右腕をそっと触った。


「可愛いブレスレットだね」

「……? ブレスレット?」


 確かに私の右手にはブレスレットが巻かれていた。オレンジ色の宝石が埋め込まれたそれを彼女は見つめているように思えた。私は何故これを巻いているのだろうか? 記憶を遡ろうとするが、その部分だけ記憶がぽっかりと抜けていた。


「■■を思い出して」

「……?」


 少女は何かを伝えた。だが、肝心の内容はノイズが入ったかのように理解することができない。


「この世界は■■の断片がある。華凜がここに来るまでに落とした断片を集めれば華凜は『基底』にたどり着くことができると思う」

「ねぇ! あなたは私にそれを伝えてどうするつもりなの!?」

「壊して、この世界を。遡行と改変に満ちた欺瞞の世界を」

「そんなこと、私にできるわけないよ!」

「華凜ならできる。だって華凜は■■の……」


 少女が何を言うかを理解するよりも前に私は意識を失った。


「……華凜さん!」

「……? ここは?」

「わたくしの部屋ですわ、寝ぼけてらっしゃいますの?」

 

 夢、だったのだろうか? 意味の分からないことばかり起きて疲れていたのかもしれない。


「ごめん。ちょっと疲れてたのかもね」

「身体は大事にしないといけませんわ。それより、ディナーの準備が整いましたわ」

「ありがとう、じゃあ一緒に食べよっか」


 私とアイリスは夕食を共にした。だが、私の頭にはあの夢の内容を忘れられないでいた。


「(私は、何か大事なことを忘れているのだろうか?)」

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