第18話
すっかり慣れた事務所の応接室のソファーに色葉と並んで紗々芽は座っていた。
少し前に出したエヴァのファーストシングルは、先日ミリオンを達成したらしく、手放しで褒められた。
今日はセカンドシングルの話らしい。
もう次のシングルを出すのかと驚くのと同時に感心する紗々芽だ。
資料の束を持って部屋に入ってきた井口が、開口一番。
「あの歌詞いいよ、さすが色葉ちゃん。セカンドシングルの歌詞はあれで決まったよ」
ぱさりと資料をローテーブルに置いて、腰を下ろす。
「あの歌詞、可愛らしくて女の子って感じで、社長も色葉ちゃんを褒めてたよ。作詞まで出来るなんて凄いね」
井口のウキウキした顔が、首に下がっている金と銀のチェックのネクタイをさらに明るく見せているように感じるなあと思いながら、紗々芽は小首を傾げて色葉を見やった。
「作詞したの?凄いな色葉」
「私の作詞じゃないよ。紗々芽の書いた詩。『桜散らし』ってやつ」
「はあ!あれ見せたのかよっ?」
思わず紗々芽は立ち上がって声を上げた。
そのタイトルは覚えがありすぎる。
先日、色葉にねだられて書いた詩だ。
しかし色葉は悪びれもせず。
「だって凄く素敵な歌詞だし、ぜったい許可が出ると思った」
にこりと口元に笑みを浮かべて、思ったとおりと言う色葉に、紗々芽は目に手を当ててズーンとうつむいて座った。
どよんと紗々芽の周りだけ空気が黒ずんでいる。
社長や井口の許可が出たということは、今さら自分が嫌がっても状況は変わらないだろう。
大勢の人の前に自分の書いたものが歌になって晒されるなんて、自分がステージに立つ以上に羞恥でどうにかなりそうな紗々芽だ。
「え?あれ甘滝さんが書いたの?そっかあ」
二人の様子に事実を察した井口は、うーんと困ったように指先で頬をかいた。
おそらく色葉の作詞と大々的に発表するつもりだったのだろう。
「じゃあこれは、作詞家が書いたことにしておこうか」
井口の提案に、ぴくりと色葉が反応して眉根を寄せた。
「どうして?紗々芽の書いたものなのに」
「いや……甘滝さんがあまり目立つのは、ね。それにイメージってのもあるし」
まっすぐ見つめてくる色葉にたじたじとしながらも、井口は宥めるように両手を組んだ。
「甘滝さんが書いたっていきなり言ってもみんな吃驚しちゃうからさ。ほら!エヴァは光と影ってコンセプトだからね。いいよね、甘滝さんも」
これで丸くおさめてくれと必死に目で紗々芽に訴える井口に、光と影がコンセプトなんてはじめて聞いたなと思いながら、こくんと頷いた。
井口の心配はわかる。
色葉で売り出しているのに紗々芽が変に出しゃばって人気が落ちたら困るということだろう。
それを見て、色葉が体ごと隣に座っていた紗々芽に向き直る。
「だって紗々芽」
「いいんだよ。ってゆうかお前も許可取れよ、びっくりしただろ」
まったくと眉根を寄せれば。
「だって紗々芽の凄さをみんなに知ってほしかった」
シュンとうつむいてしまった。
気高い猫が落ち込んでいるようで、思わずぽんぽんと頭を撫でる。
「お前、変なところで子供みたいだな」
すごいなんて言うのは色葉くらいだと紗々芽はくすぐったく思いながらも、苦笑を浮かべていた。
今日は生放送の歌番組だ。
あれから結局、セカンドシングルは紗々芽の書いた『桜散らし』に決まった。
新しい振りつけのレッスンの時も、レコーデテングの時も、色葉は紗々芽に対して何か言いたそうに唇を尖らせる姿があったのだが、紗々芽は事務所の意向に逆らう気はない。
だから、気づかないふりをしていた。
今日はピンク色のドレスシャツに黒いミニスカートの衣装で、二人は出演している。
アップテンポのメロディーラインに、ファーストシングルほど激しくないダンスを踊った。
自分の書いた詩が隣にいる色葉の声で歌いあげられていく。
それが恥ずかしくて、踊りながら紗々芽は動いているせいではない頬の熱さを感じた。
紗々芽の気に入っている色葉のハイトーンボイス。
それが自分の想いを書いた詩を歌いあげている。
それだけで、なんだか胸がいっぱいになって、書いた人間を誤魔化されたことなんてどうでもよかった。
歌い終わった色葉と最後のポーズを決める。
隣をちらっと見やればなんとも満足そうな色葉の顔。
それだけで紗々芽も満足だった。
「ではエヴァのお二人、こちらへどうぞ」
この番組は歌の後にちょっとだけトークがある。
トークは色葉がすべて喋ることになっているので、ステージが終わって、紗々芽はほっとしていた。
自分の書いた歌詞を歌うなんて羞恥でどうにかなりそうだったので、肩の荷が降りた気分だ。
「素敵な歌でしたね。歌詞がとにかく印象的で」
女性アナウンサーの言葉に、色葉はにっこり笑うと。
「そうでしょう?だって紗々芽が書いたんですから」
爆弾発言を口から零した。
「えっばっおま……!」
突然の暴露に、紗々芽は大声を上げそうになったのをなんとか耐えた。
ここで騒げば、場が混乱してしまう。
必死で愛想笑いを浮かべながら、正反対に上機嫌にアナウンサーに話す色葉に対して内心何やってるんだと言葉に出せない気持ちが吹き荒れていた。
トークも終わりステージが終わると、紗々芽は色葉の腕を引いて速足で楽屋へ向かった。
バタンと扉の閉まる音を聞いて、くるりと色葉の方へ振り向く。
「この!馬鹿!井口さんが言ってたろ、作詞家が書いたことにするって」
先ほどのことに対して叱りつけるも、色葉はムスリと小さく唇を尖らせて紗々芽から視線をそらしていた。
「こら!こっち見ろ」
両手を腰に当てて眉をつりあげ、なおも紗々芽が叱ろうとした時だった。
「二人とも大変だよ!」
ガチャリと井口がタブレット片手に楽屋に慌てて入ってきた。
ちなみに今日はペールブルーに小さな白い羊がたくさん描いてある柄のネクタイだ。
なんだかやけに可愛らしい。
「SNS見てごらん、大盛り上がりだよ」
興奮したように井口がタブレットを差し出してきたので、相方を叱るのは後にして紗々芽はそれを覗き込んだ。
色葉も興味深げに覗き込んでくる。
『歌詞めっちゃいい』『かわいかった』『紗々芽意外』『色葉じゃない方やるじゃん』
書いてあるのは先ほどの歌についての感想だった。
「だいぶ好意的なんだよ」
にこにことタブレットを持っていない方の手を力強く握る井口に、色葉も得意げに紗々芽へ視線をやった。
「ほら、ね。紗々芽は凄いんだよ」
今むくれていた姿がもうご機嫌だ。
「ただの結果オーライだろ」
みんなの感想が嬉しくはあるが、生きた心地がしなかった数分間の事を考えると、紗々芽はがくりと肩を落とした。
冷や汗が出そうだったと内心怖々していたのだから。
「いやあしかし君を見くびってたよ。これから歌詞はすべて君でいこう」
井口の言葉にいやいやいやとぶんぶん首を振ったが、色葉は当然と言わんばかりに頷いて、井口もうんうんと満足げだ。
そして、井口はまっすぐ紗々芽に向き直ると頭を下げた。
「『紗々芽ちゃん』今までの扱いを謝罪するよ。これからは三人でしっかり頑張っていこう」
「いいですから別に」
あわあわと頭を上げてくださいと言うと、井口は顔を上げてスーツのポケットからハンカチを取り出した。
急いで楽屋に来たからだろう、軽くこめかみをそれで拭う。
その様子を見て、思わず紗々芽はぽつりと呟いた。
「それ、ネクタイも思ってたけど、『めぇめぇ』のメンズライン」
井口の手に持っていたハンカチは紺色にネクタイと同じ白い羊柄だった。
「あれ?やっぱり女の子だね。知ってるんだ」
「紗々芽の好きなキャラクターだよ」
色葉の言葉に、マジマジと思わず井口は紗々芽を見やった。
「へえ、こういうのが好きなんだ。意外だな」
どうせ柄じゃないですよと心の中で思わずつぶやけば、井口は楽しそうに。
「ギャップ萌えで受けるかも」
などと言うので、紗々芽は力なくやめてくださいと呟いたのだった。
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