第17話

 その日以降は大変だった。

 次の日学校に行けば秋子が大興奮で感想を言ってくれたが、それ以外の人間には何故色葉のソロじゃないのか、何故紗々芽なのかと話したこともない大多数に詰め寄られた。

 色葉が持ち前のスルースキルで、さらりと煙に巻いていたが。

 色葉はますますモデルとしてショーやそれ以外の仕事をスケジュールに組まれているし、紗々芽にしたってエヴァとして写真撮影の仕事などで、目が回る忙しさだ。

 それでも学校にはちゃんと行きたいという紗々芽の要望のおかげで、仕事はすべて放課後と土日だ。

「今週も疲れてるね紗々芽ちゃん」

 向かい合ってお弁当を広げている秋子に言われて、思わず紗々芽は自分の頬に手をやった。

 特にかさついたりなんてしていない普通の肌の感触が指先に当たる。

「顔色でも悪い?」

「あ、ううん、そんなことないよ。ただ雰囲気がね、疲れてるなあって」

 赤いお箸でトマトをつまんだ秋子が、大変そうだもんねえと言う。

 秋子は紗々芽がアイドルになったことをその日は凄いねと言ってくれたが、紗々芽が柄じゃないと言った言葉に何かを悟ったのか自分からは、その話題にもう触れてこない。

 そのいつもと違わない態度が紗々芽はありがたかった。

「色葉は平気そうなのに、情けない」

 トン、と行儀悪くミートボールに箸を差した紗々芽を、秋子がそれはさあとトマトを口に入れて咀嚼した。

 ごくんと飲み込むと。

「色葉ちゃんは、なんていうか自分を見せない人だからさ」

「そうかあ?」

 きょとんと目をまばたいた紗々芽は、職員室に行っていていない色葉の普段を思い浮かべた。

 強引だわ、我儘言うわ、すぐからかうわ。

 自由奔放すぎてわかりやすいと思うが。

 それを口にすると、秋子は半眼になって溜息を吐いた。

「それはさあ……まあいいや」

「おい、何だよ。気になるだろ」

「それよりさっきの課題出来た?私全然、出来ないんだけど」

 課題というのは、現代文の授業で出た詩を書くというものだ。

 教師が詩集を好む人で、やたらと詩を勧めてくる人だったのだが、とうとう今日は詩の作成を言い渡されたのだ。

「私無理、中二病みたいになる」

 しゅんとうなだれる秋子だ。

「一応、出来たけど……」

「え!見せて」

 勢い込んだ秋子の様子に、紗々芽がえぇーと渋るように顔をしかめた。

 紗々芽は教師の勧める詩集も読んだしカラオケも色んな歌詞が見れるのは楽しかった。

 自分は案外こういうのが好きなのかもしれないと思う程度には、スラスラと書けたのだ。

 それに対して秋子は拝むように、両手を合わせて頭を下げる。

「参考にさせてください、お願い!」

 これじゃ課題終わんないと泣きつかれて、しぶしぶ紗々芽は机の中から詩を書いたノートを出して秋子に渡した。

「参考にならなくても文句言うなよ」

「言わないよ……へぇ、可愛い詩だね」

 言われて紗々芽はボッと顔を赤くした。

 課題だからいいかと思ったが、思った以上に恥ずかしかった。

「やっぱり返せ!」

 真っ赤になった紗々芽が秋子の持つノートに手を伸ばしたが、無常にもそれは別の人間に取り上げられた。

「何これ」

「紗々芽ちゃんの書いた詩、さっきの課題のやつ」

ノートを手に取ったのは色葉だった。

手に取ったそれに目を通しながら、紗々芽の右横の椅子に座った。

「か、返せよ!」

 真っ赤になった紗々芽が手を伸ばすが、色葉はひょいとノートを持っている右手を上へと上げてしまった。

リーチの全然違う紗々芽は届かない。

「お弁当やらないぞ!」

 お弁当を人質に取るとすぐ返すと思ったのに、色葉はノートを左手に持ち換えて、文字を目で追っている。

 そして顔を上げると。

「紗々芽、綺麗な文章だね」

「へ?」

「きらきらしてる、凄いな」

 本音なのだろう、色葉の口元が緩んでふわふわとした雰囲気で、ふにゃりと笑う。

「そ、かな」

 色葉のそんな表情を見たのは初めてだし、人から文章を褒められたのも初めてで、紗々芽は気恥ずかしそうに両手で長い髪を胸の前できゅっと握った。

「うん、私好きだよ、これ」

「そっか……ほら、返せよ」

 へへっと小さく笑って紗々芽が右手を差し出したが、ノートは戻ってこずに色葉の手の中だ。

「色葉?」

「これ気に入ったから、ちゃんと書いて。歌詞みたいに」

「え……」

 にこやかに笑う色葉に、秋子もそれは見たいなと同意した。

「いや、そんな大げさなものは」

「それまでノートは人質ね」

「なっ」

 紗々芽が絶句しているあいだに色葉は自分の背中と椅子のあいだにノートを隠して、堂々と机の上に置いてあった自分の分のお弁当を開けだす。

「放課後、見せてね」

 無情にもタイムリミットまで設けられ、人質になるはずだったお弁当もすでに色葉の手の中で。

「わかったよ……」

 力なく紗々芽は嘆息した。

 思わず自分は押しに弱すぎじゃないだろうかと、紗々芽はうなだれたのだった。

そして放課後。

二人しかいない教室で、向かい合わせに座っていた。

 窓が開きっぱなしで、白いカーテンがふわりふわりと舞っている。

 秋子は明日見せてねと言って、先に帰って行った。

「いいか、笑うなよ」

「笑わないよ」

 ノート代わりのルーズリーフに書いたので、その書いた面を下に向けたまま紗々芽は念を押した。

 笑われたりしたら立ち直れないと本気で思う。

「本当に笑わないな」

「笑わないから、早く見せて」

 わくわくした感じで口角を上げる色葉に、なんでこいつこんなに食いつきがいいんだと思いながら、紗々芽はそっとルーズリーフを差し出した。

 それを白魚のような手が受け取り、ひっくり返す。

そわそわと膝を擦り合わせ、何度もちらちらと色葉の顔を見上げるが、色葉は笑みを浮かべたままじっと文章を目で追っている。

口元が昼休みと同じようにほころんでいった。

「うん、いいね……紗々芽らしくてかわいい」

「そうかあ?」

 唇をちょいと尖らせると、ルーズリーフを置いて色葉が机に頬杖をついた。

 その顔はひどく満足そうだ。

「昼間も言ったけど、凄く素敵。風景が浮かぶみたい」

 掛け値なしに褒める色葉に思わず紗々芽は頬を赤くして、その熱い場所に手のひらを当てた。

「私にはこんなの思いつかないよ」

「そうか?」

「そうだよ。紗々芽はすごいよ」

 意外な事を言う色葉はゆっくりとひとつまばたきをした。

 それからじっと紗々芽を見つめてくる。

 何だろうと思っていると、トンと色葉は唇に指を当ててみせた。

「紗々芽、唇荒れてるよ」

「え、そう?」

 気づかなかったと唇に手をやると、確かに少し乾燥している。

 ポーチに入っているリップを出そうとスクールバッグを手に取ろうとしたら、色葉がスカートのポケットからリップを取り出した。

 それは小さな丸い缶に入っていて、蓋を開けると色葉の細い指先がその中の白いクリームをとろりとすくい取った。

「紗々芽、こっち」

「え?んむ」

 呼ばれて色葉に向き直ると、ついと顎を上向かされた。

 そして間近に色葉の顔がある。

 そして、ふにと指先が唇に押し当てられた。

そこでようやく色葉にリップを塗られているのだと気が付いた。

 つつつ、とゆっくり指の腹が唇をたどっていくのがくすぐったくて、思わず肩に力が入る。

毛穴なんて見えないきめ細やかな肌や通った鼻筋などを見て、あまりの近さにドキンとした。

「はいできた」

「ありがと」

 離れていく指を目で追いながら、そういえば色葉の唇が荒れているところを見た事が無いないなと思った。

「お前って唇荒れてるの見た事ないな」

「そんなことないよ、荒れるときは荒れるし。こうやって」

 言いながら、再び色葉はクリームを指先で拭いとると、さくらんぼのようにぽってりした唇にすいとクリームを塗りつけた。

「結構まめに塗ってるからね」

 唇をなぞる指の動きがなんだかやけに色っぽい。

 思わずそれを目でじっと追ってしまった。

「何?」

「ううん、なんでも」

 リップケースの蓋をしてポケットに戻すと、じっと今度は色葉が紗々芽を見つめてきた。

 さっきからやけに見つめあってしまっているなとおかしく思う。

「そういえば、シュシュつけてくれないの?」

 向かいに座っている紗々芽の髪をさらりとひとふさ色葉は手に取った

 大事に手入れされている艶々とした髪の触り心地はサラサラとしていて、色葉の指先を楽しませる。

 紗々芽は少し困ったように眉を下げると。

「……家で大事に使ってる」

「人前では嫌?」

「嫌って言うか……」

 紗々芽は色葉の好きなようにさせながら。

「お前は似合うって言ってくれたけど、やっぱりらしくないかなって」

 紗々芽の言い分に、少し不満気に色葉が唇を尖らせる。

 その顔はあからさまにぶすくれている。

「紗々芽はもうちょっと自分に自信持ったらいいのに」

「無茶言うな」

 自信なんてこのかた持ったことなどない。

 紗々芽の主張に色葉は仕方ないなあと苦笑してみせた。

「残念、私が贈ったものを紗々芽が身に着けてたの気分よかったのに」

 手に取っている髪にさらりと唇を小さく落として、色葉は手を離した。

「でも使ってくれてるんだよね?」

「それはもちろん!愛用してるよ」

 色葉の疑問に紗々芽が力強く頷く。

 実際、家で可愛いシュシュをつけているとテンションが上がったし、鏡に映った自分に照れくさそうにしたのは一度や二度じゃない。

 そう告げると、色のついていないリップクリームだけを塗っているのにピンク色のさくらんぼのような色葉の唇がにんまり笑った。

「気分いいから紗々芽にアイス奢ってあげるよ」

 カタンと立ち上がり、スクールバックを持ち上げた。

「この歌詞書いた紙、貰っていいよね?」

「いいけど」

 何でそんなものがいるのだろうと、紗々芽は内心首を傾げた。

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