今、気になっている人がいる。

 同じクラスの皐月だ。

 彼女はどちらかといえば地味な方で、いつも教室で本を読んでいる。かといって、クラスで孤立しているわけじゃなくて、友達と一緒にいるところもよく見かける。文学少女なだけあって国語は得意らしい。だけど数学だとか理科だとかは苦手で、授業で当てられると、悩んだ末間違えたりすることもあったりする。

 いつから好きになったのかは覚えていないけど、帰り道が同じだったから気になり始めたのだと思う。時折見せる笑顔とか、数学の問題に悩んでいるときの顔とか、表情豊かなところに惹かれて好きになったのは覚えている。


 一人で帰る帰り道。

 同じ帰り道だから一緒に帰ろう、なんて皐月を誘えたら……。でもそれは付き合ってから、なんて考えが邪魔をしている。

 でも、告白なんてできない。恥ずかしいっていうのもあるけど、もしフラれたら……。そもそも僕のことを知らない、なんて言われたら……。自分の小心さを恨みたくなる。

 きっかけがあればできるのに、なんてただの言い訳なんだろうか。


「はぁ……」

 小さくため息をつく。

 文芸部は金曜日だけ活動がないけど、僕が所属する陸上部は雨が降らない限り毎日練習がある。次皐月と会えるのは月曜日か……。

 そんなことを考える憂鬱な金曜日のHR。

 雨音。

「雨、降ってきた……」

 窓の外を見ていた皐月がつぶやいた。鞄に手を伸ばしているところを見るに、傘を持っているのだろう。真面目だし。

 一緒に雨宿りできると思ったのに。

「マジか。天気予報では晴れだったのに……」

 傘を持ってきていない自分を呪いたくなる。

「傘、持ってないわ。どーしよ」

 傘に入れてもらう、なんて実現しなさそうな願いを胸に抱きながら、つぶやいてみる。

「夕立みたいだし、すぐにやむんじゃない? やむまで、待ってたら?」

 何も起こらないことは分かっていたが、改めて聞くと悲しくなる。

 やっぱり、告白はもう少し仲良くなってからか。


「傘を持ち歩こう」

 家に帰ってから、そう考えた。そうすれば雨宿りで皐月とバラバラに帰ることもないだろう。それに、もし――そんなことはないだろうけど――皐月が傘を忘れることがあれば一緒に傘に入ろう、なんて誘えるかもしれないし。……多分無理だけど。

 とりあえず、傘を探そう。しばらく使ってないからな。


 なかなか雨が降らない。

 せっかく傘を用意したのに。

 あれから一緒に帰る機会もなかったし、ちょっと寂しいな、と感じる。それほど皐月のことが好きなんだろう。僕は。

 あの時、告白していたら。せめて、次から一緒に帰ろう、なんて言っていたら。この寂しさはなかったはずなのに。

 雨音。

 そんな事を考えていると、雨が降り始めてきた。傘を差そうと、急いで近くの屋根があるところへ行く。

 すると、そこに皐月がいた。

 これで一緒に帰ることができる。

 ここで言わないと。

 皐月もこちらに気づいて鞄に手を伸ばす。

 しかし、皐月の手は鞄を探るだけで、傘が出てきそうにない。

 ――まさか、忘れたのか?

 僕は、傘に誘おうと思いながら屋根の下へ入っていく。しかし、思考とは裏腹に傘を鞄に隠してしまう。傘に誘うのはまだ無理そうだ。

「また雨が降ってきた……。最近、天気予報外れすぎじゃない?」

 心拍数が上がっているのがわかる。やはりまだ二人きりは慣れない。

「そ、そうだね」

 皐月の声が震えていた。僕のことが嫌いなのだろうか。そっと皐月のほうを見る。

 ――顔が赤かった。

 僕のことを好きなのかもしれない。……いや、それで失敗している人を何人も知っている。それに、僕も失敗しそうになったことが何度もあった。勘違いで告白しないようにしないと。

「……」

「……」

 たまに視線が合うのに、会話にまでは至らない。

 話したいのに言葉が出なくてもどかしい。

 ここでたくさん話して、仲良くなっておきたいのに。

「雨、やまないね」

 無難ことを言う。これで、話がつながったりするわけでもないのに。

「あ、あのね! 私、雨宮くんのことが……」

 雷鳴。

「近いな。あ、ごめん。何だっけ?」

 聞こえていたのに、聞こえないふりをする。

 分かっている。雨宮くんのことが……の後に好き、の言葉が続くことを。でも、聞こえないふりをする。自分が先に言いたいだとか、恥ずかしいからだとか、言い訳はいくらでも出てくる。でも、本当の理由は――怖いからだ。もしあの後に好き、ではなく嫌い、が続いたら、もし聞き間違いで違う人のことを言っていたら、なんて小心者の考えが邪魔をする。

 本当は聞きたいのに。

 本当は言いたいのに。

「あ、いや。なんでもない……」

「雨、強くなってきたな」

 また、沈黙の時間が訪れる。

 でも、この時間は嫌いじゃない。隣で息遣いが聞こえ、熱が伝わってくる。何も進まないけど、後退もしない。誰にも邪魔されない二人だけの時間――。

 

「雨、やんだな。あ、虹が出てきた」

「綺麗だね。……私、雨宮くんのことが好き」

「……え?」

「あっ……」

 虚を突かれて、聞き返すことしかできなかった。皐月も、虚を突かれたように驚いていた。

「私ね、雨宮くんのことが好きなの。優しいし、いつでも明るいし、一緒にいてて楽しい。だから……、私と付き合って欲しい」

 皐月は、笑顔でそう言った。とても綺麗な、晴れ渡った笑顔だった。

「……あっ。急にごめんね。返事はまたあとでいいから。じゃあねっ」

「皐月! 返事、次の雨の日にするから! それまで待ってて!」

 一緒に傘に入ろう。次からならそう誘える。そう考えると、僕の心も今の天気のように晴れ渡っていった。


 雨の日は好きだ。

 二人の距離がいつもより縮まるから。

 傘が縮めてくれるから。

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雨と傘 伽藍青花 @Garam_Ram

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